六 アカルと鷹弥
「トーイ!」
温かな波が心の中に押し寄せて来て、アカルはトーイに抱きついた。
背中に回した両手でギュッと衣をつかみ彼の胸に顔を埋めると、上質な衣からは
「まさか、こんな所で会えるなんて……突然いなくなるから、すごく心配したんだよ……なんで、夜明けまでいるなんて、嘘ついたんだよ?」
胸に顔を埋めたまま責めるように問いかけると、上擦ったような声が降ってきた。
「夜明け前に……お前、来たのか?」
アカルは慌ててトーイを見上げた。
「も、もちろん、止めに行ったんだよ! トーイが里を出ていくなんて嫌だったから……」
早口でそう言ってから、ハッと口を押える。
「ごめん……何か訳があったんだよね? 情けないけど、ばば様に言われるまで何も気がつかなかったよ。今はここで働いてるの? ばば様は知ってるの?」
「いや、ばば様は何も知らない……それよりお前は? どうして里を出た?」
その問いかけに、アカルは固まった。
あの日の光景が、目の前に蘇ってくる。
無残に荒らされた岩の里。その姿を目にした時の記憶が波のように押し寄せて来て、ブワッと目頭が熱くなり視界がぼやけてゆく。
「アカル?」
「……岩の里が、盗賊に襲われた。ばば様は怪我をして、里の子も四人攫われた」
「そんな……」
トーイは言葉を失った。
「すぐに後を追って里を襲った盗賊を見つけたけど、里の子も米もぜんぶ
「お前一人でここへ来たのか?」
「うん」
ぽろぽろと涙をこぼしながらアカルは頷いた。
「その盗賊の手引きで、この
まるで命綱に縋るように、アカルはトーイの衣を握りしめた。
「あの子たちが酷い目にあってるかも知れないのに、私はまだここでグズグズと……」
懐かしい顔を見たせいで、今までひた隠しにしてきた不安や心細さが一気に溢れ出してくる。
「アカル、泣かないでくれ」
トーイの大きな手がアカルの髪を撫でる。その懐かしい感触に、余計に心が揺さぶられる。
「ごめん……すぐに、止めるから」
アカルは衣の袖で涙を拭った。
少しずつ心が静まってくると、アカルはようやく、さっきまで一緒にいた武官のことを思い出した。
ハッと息を呑んで
「大丈夫だ。俺が来てすぐ、あの男は帰って行った」
「そうか……良かった」
話を聞かれなくて済んだ事と、海渡が帰ってくれた事にホッとする。
「ああいう時は、人のいない場所へ行ったら駄目だ。お前は危機感が足らな過ぎる。一人で盗賊を追ったり、あんな男に言い寄られたり!」
トーイは眉間にしわを寄せ、怖い顔でアカルを睨む。
「だって、仕方がなかったんだ! トーイこそ、どうして阿知宮で働いてるのさ?」
矛先をかわそうとして尋ねると、彼は急に黙り込んだ。
「……呼び戻されたんだ。ここでの俺の名は、鷹弥と言うんだ」
「タカ……ヤ?」
アカルは目を見張ったまま、鷹弥と名乗った男を見上げた。
人の名前を覚えるのは苦手なのに、その名前が
「アカル?」
呆然とした表情でそっと離れてゆくアカルの肩を、鷹弥は捕まえた。
「鷹弥が……本当の名前なの?」
「そうだ。俺は姫比の人間だ。黙っていて済まなかった」
鷹弥は苦しそうに唇を噛みしめた。たぶん、知られたくなかったのだろう。
岩の里の浜に流れ着いた男の子は、故郷の記憶が無かったはずだから。
「そう……か。じゃあ、もしかして、焔の一族を知ってる?」
深く考えるのが怖くて、イマリカたちのことにだけ気持ちを向ける。
「知っている。だが、俺も焔の城の場所は知らない」
「そうか」
再び涙がじわりと滲んでくる。
考えないようにしているのに、心がかき乱される。
「大丈夫、鷹弥さまには迷惑かけないよ。焔の城がどこにあるかわからなくても、私は近いうちにここを出ていくからさ」
「だめだ!」
鷹弥の指がアカルの肩に食い込んだ。
「里の子は、四人とも俺が助ける。だから、お前はもう盗賊を探さなくていい」
「そんなの無理だ。これは、私がばば様から託された仕事だ!」
大きく首を振って、アカルは鷹弥を突き放す。
「なら、俺も一緒に探す。お前一人にそんな危ない仕事を任せられるものか! いいか、絶対に一人で動くな!」
人差し指を突き付けるようにして叫ぶ鷹弥は、とても怖い顔をしている。
これ以上言い合いをしても、お互い譲らないことはわかっていた。
「わかったよ。それじゃお互い、城の場所がわかったら必ず知らせることにしよう。約束だ」
「約束だ」
二人の間で交わした約束は、子供の頃から一度も違えられたことはない。
ようやく穏やかになってきた鷹弥の顔を、アカルは複雑な思いで見上げた。
会えて嬉しいのは本当なのに、心から打ち解けられない気持ちがどこかにある。
どんなに考えないようにしても、鷹弥が何故嘘をついてまで岩の里にいたのか、それが気になって仕方がない。
(そうか、ばば様が言っていた闇とは、この事なのか……)
自分の知らない闇を、鷹弥はずっと一人で抱えていたのか。
十年の間ずっと──。
考えるだけで、心が痛くなってくる。
「──でもさ、下働きの私が、鷹弥さまに声をかけるのは難しいよ。自分より身分が上の人には、声をかけちゃ駄目なんでしょ?」
気持ちを切り替えるために、アカルはわざと不機嫌な顔をした。
「アカル……頼むからその呼び方はやめてくれ」
鷹弥が困ったように額を押さえる。
「それは、無理だよ。だってここは姫比の王宮で、鷹弥さまは王族の側近でしょ。岩の里にいた時みたいに、呼び捨てにはできないよ。あっ……でも、間違えてトーイって呼んだらごめんね」
わざとおどけたような口を利くが、わざとらしすぎて笑えない。
「わかった、連絡方法は考えておく」
「うん」
衣の袖でもう一度涙を拭き、アカルは逃げるようにその場を後にした。
林の中に消えてゆくアカルの後ろ姿を、鷹弥はしばらくの間見送っていた。
「おまえは少しも変わってないな」
想いが溢れて口からこぼれた。
鷹弥が岩の里を出てから、そろそろ
見た目や言葉遣いは微妙に変化しているのに、アカルの中身は少しも変わっていない。岩の里にいた頃のままだ。
不器用で人付き合いが苦手なのに、変なところで面倒見が良い。文句を言いながらも、結局は人を見捨てることが出来ない。アカルは昔からそうだった。
「里の子を探すために、たった一人でここまで来たのか……」
熱いものが込み上げてきて、鷹弥は目頭を押さえた。
──誰にも心を許してはいけない。隙を見せてはいけない。姫比に戻ってからの鷹弥は、ずっと心に鎧を纏ったまま暮らしてきた。
それなのに、アカルに会った途端、ピンと張りつめていた緊張の糸が一気に緩んでしまった。
「……情けない」
溢れてきた涙を急いで拭ったけれど、その涙は不思議と心地よかった。
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