五 夜祭り
「さあ、早く行きましょう! お祭りでは食べ物がたくさん振舞われるんだからね!」
「あたし、変じゃない? 大丈夫?」
桃は自分の衣や髪を気にしている。
「大丈夫だよ
妹の
「でも、でも……」
桃は何を言ってもソワソワしていて、まるで、見たこともない相手にもう恋をしているようだった。
(桃は楽しそうだな)
桃の姿を微笑ましく思う反面、アカルはとても気が重かった。
自分のために連れて来られる人には申し訳ないが、夜祭りの最後までいるつもりはない。もちろん珠美が知ったら怒るだろうが、それは仕方がない。アカルは覚悟を決めて西門に向かった。
北宮と南宮のちょうど中ほどにある西門から外に出ると、夕陽を映して朱く色づいた池が見えた。
この池の畔で行われる夜祭りは豊穣祭の前夜祭だ。
豊穣祭と言っても巫女による祭祀はどこか他で行われるらしく、ここでは一年の収穫を祝って食べ物が振舞われる。
池の畔にはすでに子供たちが群がっている。ここで振舞われる食べ物を目当てに、この辺りに住む農民や阿知宮の使用人たちが集まっているのだ。
「珠美ちゃん」
「あ、
声をかけて来た男に、珠美が愛想よく答える。
「この子が桃で、こっちが朱瑠よ。朱瑠は女官の
珠美は二人を前に押し出すように紹介する。
「俺は青桐。で、こいつが
二人とも同僚の新米武官らしく、同じような背格好をしていて見分けがつかないが、話し方はあまり武官らしくない。
「さあ、二人とも楽しんで来て! 私は柚と適当に遊んだら先に帰るから」
珠美がそう言って柚と手をつなぐ。
「朱瑠ちゃんだっけ、何か食べようか?」
いきなり手を引かれた。驚いて見上げると、珠美と話していた武官ではなく、もう一人の青年がにっこりと笑っていた。武官だと言われなければ、純朴な農村の青年だと思ってしまいそうな柔和な顔だった。
「はぁ」
どうしたものかと思って桃の方を見ると、向こうも同じように手をつなぎ、食べ物を振舞う屋台に向かって歩いている。
(とにかく、何か食べてからにしよう)
仕事を終えてから何も食べていないのでお腹がすいていた。
豊穣祭というだけあって、屋台では熱々の汁物からご飯を丸めたもの、魚の串焼きや酒まで振舞われている。
(姫比は豊かだな)
走り回る子供たちや屋台を見て回る人たちが、すぐ横を通り過ぎてゆく。
(人がたくさんいて、何だか金海の夜店みたいだ……)
そう思った途端、周りの音がフッと消えてゆき、ソナの顔が浮かんだ。
陽に透ける薄茶色の髪や、茶と緑が混ざったような不思議な瞳の色。子供みたいに笑う顔や、真剣な顔のソナを思い出すたびに、アカルの心はチクリと痛んだ。
(もっと、ちゃんとお別れをすればよかった……)
逃げるように
「朱瑠ちゃんは、下働きに入ったばかりなんだって?」
青年の声で、アカルは姫比の夜祭りに引き戻された。
魚と青菜の汁物をアカルに差し出しながら、青年はにこにこしている。
「はい……この秋からです」
アカルは目の前の人に意識を戻した。
「阿知宮から港を見ましたけど、大きな港ですね」
「そうだね。もし港が見たいなら、今度の休みに案内するよ。他国の船もたくさん来てるから、女の子だけじゃ危ないからね」
青年は心配して言ってくれたようだが、アカルは興味がわいた。
「他国の船って、どこから来るんですか?」
「うん、多いのは対岸の
「すごいですね」
聞き覚えがあるのは都萬国だけだったが、姫比の友好国がわかったのは収穫だった。
(そうか、こうやって知り合った人から、色々なことを聞けばいいのか)
そう思ったけれど、いきなり盗賊の名前を出すのは気が引けた。
「正直に言うとさ、今日はそんなに期待してなかったんだ」
青年が恥ずかしそうな顔をしてそう言ったので、アカルは首を傾げた。
「何をですか?」
「俺、急に誘われたし、本当にさ……朱瑠ちゃんみたいな子に会えると思わなかったんだ。今日は来て良かったよ!」
青年がひとりで盛り上がりはじめたので、アカルは返答に困ってしまった。
(まだ来たばかりだけど、そろそろ理由をつけて帰るかな……)
何だか、この人の良さそうな青年を騙しているような気がした。
「朱瑠ちゃんみたいな子と所帯を持てたら、俺、幸せだな。朱瑠ちゃんは?」
「わ、私は……まだ下働きに入ったばかりなので」
青年の顔を見られなくて、アカルはうつむいた。
「そ、そうだよね。でもさ、せっかくこうして会えたんだから、また会って欲しいな」
青年の手がそっとアカルの手を取る。
「私は……」
桃の姿を探して視線をさ迷わせるが見つからず、アカルは正直に打ち明けることにした。
「ごめんなさい……本当は私、珠美の誘いを断れなくて来ただけなんです。本当にごめんなさい!」
アカルは深々と頭を下げると、青年を置いて駆け出した。
人ごみをかき分けるようにして西門の中へ戻り、ホッと息をついたのもつかの間、
「朱瑠ちゃん、待って!」
青年が追いかけて来ていた。
(うそっ)
アカルは再び走り出したけれど、回廊を超えて中庭に入った所で腕をつかまれた。
人の良さそうな青年の顔には、困惑の表情が浮かんでいる。
(困った……
青年に悪態をつく訳にもいかず、アカルは優しい断り方を探した。
「あの、カイ……リさん?」
「
「ご、ごめんなさい。カイトさんには、その……もっと家庭的な人を紹介してもらえるように、珠美にお願いしておきます。本当に申し訳ありませんでした!」
アカルはもう一度深々と頭を下げた。
「朱瑠ちゃん、頼むからちょっと待ってよ」
両肩をガシッとつかまれる。
(えっ……)
予想外の展開に、アカルは頭を下げた状態のまま固まった。
「朱瑠ちゃんが、まだ所帯を持つつもりなんか無いのはわかってるんだ。俺も別に急いでる訳じゃないんだけど、ただ……せっかく会えたんだから、その……たまに会ってくれるだけでもいいんだ。頼むから断らないでくれよ!」
肩をつかんでいる手に力がこもる。
「──だってさ、珠美ちゃんはきっと、朱瑠ちゃんにまた別の男を紹介すると思うんだ。俺は、それが嫌なんだ!」
海渡はすっかり頭に血が上っているようだ。
「あ、あの、放してください」
海渡の手を振りほどこうとするが、振りほどけない。
「ここで朱瑠ちゃんを手放したら、俺、絶対後悔するってわかってるんだ!」
「頼むから、放してっ!」
アカルが叫んだ瞬間、ふいに海渡の力が緩んだ。
彼の視線の先には、回廊からこちらへ向かって歩いて来る人影が見えた。
ホッとしたアカルは素早く海渡から離れ、そのまま踵を返した。
「アカル!」
名を呼ばれて、アカルは立ち止まった。
聞き覚えのある声に、胸の中がざわめいてくる。
目を見張ったまま声のした方へ振り返ると、回廊の光を背にした黒い人影が見えた。
目も鼻も口も見えないのに、アカルは何かに縋るように必死に目を凝らした。
「アカル……」
もう一度、名を呼ばれた。
低くて優しい声は、懐かしい人を思わせた。
「ト……オイ、トーイなの?」
呆然と呼びかける。
目の前で足を止めた長身の男の顔は、やはり暗くて見えない。
アカルが背伸びをすると、男はほんの少しだけ屈んで顔を光の方へ向けた。
「俺は、そんなに変わったか?」
困ったような顔で笑う。
長かった髪は短くなっていたが、目の前にいる男は、岩の里で別れたきりのトーイだった。
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