五 夜祭り


「さあ、早く行きましょう! お祭りでは食べ物がたくさん振舞われるんだからね!」


 珠美たまみは仕事から戻ったばかりのアカルたちを急かして着替えさせると、背中を押して小屋の外に連れ出した。


「あたし、変じゃない? 大丈夫?」

 桃は自分の衣や髪を気にしている。


「大丈夫だよもも姉ちゃん。昨日も鳥柴とりしば茶で髪を洗ったから、とってもいい香りがするよ。ねっ、朱瑠!」


 妹のゆずが元気づけるように言う。


「でも、でも……」


 桃は何を言ってもソワソワしていて、まるで、見たこともない相手にもう恋をしているようだった。


(桃は楽しそうだな)


 桃の姿を微笑ましく思う反面、アカルはとても気が重かった。

 自分のために連れて来られる人には申し訳ないが、夜祭りの最後までいるつもりはない。もちろん珠美が知ったら怒るだろうが、それは仕方がない。アカルは覚悟を決めて西門に向かった。


 北宮と南宮のちょうど中ほどにある西門から外に出ると、夕陽を映して朱く色づいた池が見えた。

 この池の畔で行われる夜祭りは豊穣祭の前夜祭だ。

 豊穣祭と言っても巫女による祭祀はどこか他で行われるらしく、ここでは一年の収穫を祝って食べ物が振舞われる。


 池の畔にはすでに子供たちが群がっている。ここで振舞われる食べ物を目当てに、この辺りに住む農民や阿知宮の使用人たちが集まっているのだ。


「珠美ちゃん」

「あ、青桐あおぎりさん!」


 声をかけて来た男に、珠美が愛想よく答える。


「この子が桃で、こっちが朱瑠よ。朱瑠は女官の菊花きくかさまのお気に入りなんだからね」


 珠美は二人を前に押し出すように紹介する。


「俺は青桐。で、こいつが海渡かいと。普段は港守りをしているんだ」


 二人とも同僚の新米武官らしく、同じような背格好をしていて見分けがつかないが、話し方はあまり武官らしくない。


「さあ、二人とも楽しんで来て! 私は柚と適当に遊んだら先に帰るから」


 珠美がそう言って柚と手をつなぐ。


「朱瑠ちゃんだっけ、何か食べようか?」


 いきなり手を引かれた。驚いて見上げると、珠美と話していた武官ではなく、もう一人の青年がにっこりと笑っていた。武官だと言われなければ、純朴な農村の青年だと思ってしまいそうな柔和な顔だった。


「はぁ」


 どうしたものかと思って桃の方を見ると、向こうも同じように手をつなぎ、食べ物を振舞う屋台に向かって歩いている。


(とにかく、何か食べてからにしよう)


 仕事を終えてから何も食べていないのでお腹がすいていた。

 豊穣祭というだけあって、屋台では熱々の汁物からご飯を丸めたもの、魚の串焼きや酒まで振舞われている。

 姫比きびではこの祭りを境に、古米と新米を入れ替えるのだと聞いた。


(姫比は豊かだな)


 走り回る子供たちや屋台を見て回る人たちが、すぐ横を通り過ぎてゆく。


(人がたくさんいて、何だか金海の夜店みたいだ……)


 そう思った途端、周りの音がフッと消えてゆき、ソナの顔が浮かんだ。

 陽に透ける薄茶色の髪や、茶と緑が混ざったような不思議な瞳の色。子供みたいに笑う顔や、真剣な顔のソナを思い出すたびに、アカルの心はチクリと痛んだ。


(もっと、ちゃんとお別れをすればよかった……)


 逃げるように斐川ひかわの宮を出てきてしまったことを、アカルは今になって後悔していた。


「朱瑠ちゃんは、下働きに入ったばかりなんだって?」


 青年の声で、アカルは姫比の夜祭りに引き戻された。

 魚と青菜の汁物をアカルに差し出しながら、青年はにこにこしている。


「はい……この秋からです」


 アカルは目の前の人に意識を戻した。


「阿知宮から港を見ましたけど、大きな港ですね」

「そうだね。もし港が見たいなら、今度の休みに案内するよ。他国の船もたくさん来てるから、女の子だけじゃ危ないからね」


 青年は心配して言ってくれたようだが、アカルは興味がわいた。


「他国の船って、どこから来るんですか?」

「うん、多いのは対岸の蘇阿紗そあさ国だけど、尹古麻いこま国や都萬つま国からも来るよ」

「すごいですね」


 聞き覚えがあるのは都萬国だけだったが、姫比の友好国がわかったのは収穫だった。


(そうか、こうやって知り合った人から、色々なことを聞けばいいのか)


 そう思ったけれど、いきなり盗賊の名前を出すのは気が引けた。


「正直に言うとさ、今日はそんなに期待してなかったんだ」


 青年が恥ずかしそうな顔をしてそう言ったので、アカルは首を傾げた。


「何をですか?」

「俺、急に誘われたし、本当にさ……朱瑠ちゃんみたいな子に会えると思わなかったんだ。今日は来て良かったよ!」


 青年がひとりで盛り上がりはじめたので、アカルは返答に困ってしまった。


(まだ来たばかりだけど、そろそろ理由をつけて帰るかな……)


 何だか、この人の良さそうな青年を騙しているような気がした。


「朱瑠ちゃんみたいな子と所帯を持てたら、俺、幸せだな。朱瑠ちゃんは?」

「わ、私は……まだ下働きに入ったばかりなので」


 青年の顔を見られなくて、アカルはうつむいた。


「そ、そうだよね。でもさ、せっかくこうして会えたんだから、また会って欲しいな」


 青年の手がそっとアカルの手を取る。


「私は……」


 桃の姿を探して視線をさ迷わせるが見つからず、アカルは正直に打ち明けることにした。


「ごめんなさい……本当は私、珠美の誘いを断れなくて来ただけなんです。本当にごめんなさい!」


 アカルは深々と頭を下げると、青年を置いて駆け出した。

 人ごみをかき分けるようにして西門の中へ戻り、ホッと息をついたのもつかの間、


「朱瑠ちゃん、待って!」


 青年が追いかけて来ていた。


(うそっ)


 アカルは再び走り出したけれど、回廊を超えて中庭に入った所で腕をつかまれた。

 人の良さそうな青年の顔には、困惑の表情が浮かんでいる。


(困った……水生比古みおひこみたいな奴が相手なら、何とでも言えるのに……)


 青年に悪態をつく訳にもいかず、アカルは優しい断り方を探した。


「あの、カイ……リさん?」

海渡かいとです」

「ご、ごめんなさい。カイトさんには、その……もっと家庭的な人を紹介してもらえるように、珠美にお願いしておきます。本当に申し訳ありませんでした!」


 アカルはもう一度深々と頭を下げた。


「朱瑠ちゃん、頼むからちょっと待ってよ」


 両肩をガシッとつかまれる。


(えっ……)


 予想外の展開に、アカルは頭を下げた状態のまま固まった。


「朱瑠ちゃんが、まだ所帯を持つつもりなんか無いのはわかってるんだ。俺も別に急いでる訳じゃないんだけど、ただ……せっかく会えたんだから、その……たまに会ってくれるだけでもいいんだ。頼むから断らないでくれよ!」


 肩をつかんでいる手に力がこもる。


「──だってさ、珠美ちゃんはきっと、朱瑠ちゃんにまた別の男を紹介すると思うんだ。俺は、それが嫌なんだ!」


 海渡はすっかり頭に血が上っているようだ。


「あ、あの、放してください」


 海渡の手を振りほどこうとするが、振りほどけない。


「ここで朱瑠ちゃんを手放したら、俺、絶対後悔するってわかってるんだ!」

「頼むから、放してっ!」


 アカルが叫んだ瞬間、ふいに海渡の力が緩んだ。

 彼の視線の先には、回廊からこちらへ向かって歩いて来る人影が見えた。

 ホッとしたアカルは素早く海渡から離れ、そのまま踵を返した。


「アカル!」


 名を呼ばれて、アカルは立ち止まった。

 聞き覚えのある声に、胸の中がざわめいてくる。

 目を見張ったまま声のした方へ振り返ると、回廊の光を背にした黒い人影が見えた。

 目も鼻も口も見えないのに、アカルは何かに縋るように必死に目を凝らした。


「アカル……」


 もう一度、名を呼ばれた。

 低くて優しい声は、懐かしい人を思わせた。


「ト……オイ、トーイなの?」


 呆然と呼びかける。

 目の前で足を止めた長身の男の顔は、やはり暗くて見えない。

 アカルが背伸びをすると、男はほんの少しだけ屈んで顔を光の方へ向けた。


「俺は、そんなに変わったか?」


 困ったような顔で笑う。

 長かった髪は短くなっていたが、目の前にいる男は、岩の里で別れたきりのトーイだった。

  

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