十二 幽霊

(ここは……結界の中か?)


 光の中に取り込まれたアカルがハッと顔を上げると、黄色い空間の奥に巫女のような白装束の女が立っていた。

 女の足元には、血まみれの短剣を手にした男がうずくまっている。


「ようこそ。岩の里のアカル殿。私は姫比の大巫女、さかきと申す。そなたのことは、この阿知宮あちみやに来た時からずっと見ておりました」


 白髪交じりの髪を高く結い上げ目元に朱を刺した榊は、女王のような高慢な眼差しでアカルを見下ろしていた。

 そんな榊を、アカルは眉をひそめて見上げる。


「あの視線はあなただったのか。ずいぶん不躾だな。気味が悪かったよ」

「フフ、それは申し訳なかった。いにしえの巫女の力に興味があったものでな」

 榊は笑った。


(こいつが姫比の大巫女だって? 怪しすぎるだろ!)


 アカルは榊の足元にうずくまる男に目を向けた。血まみれの短剣がひどく気になった。鷹弥が呼ばれた一大事は、この二人によって引き起こされたものに違いない。


「誰か、殺してきたのか?」

 アカルが問いかけると、うずくまっていた男が顔を上げてアカルを見た。その顔はまだ若いが生気がなく、どことなく宇良に似た目は何も見ていないように虚ろだった。


「父を……殺した」

「えっ?」

 驚いて聞き返すと、榊の笑い声が上から降って来た。

太丹ふとに王じゃ。あの男を殺すことが、この子の長年の夢だったのだ」

姫比きびの王を殺してきたのか?」


 それは大騒ぎにもなるだろう。冬至の儀式には他国の使者が大勢来ていると聞いている。そんな中で王が殺されたら、姫比の威信にも関わる大事になるだろう。


「長年の夢って、どういうこと?」

「知りたいか古の巫女よ。話したらそなたはこの子の味方になってくれるか?」

 榊は男の隣に座り込むと、アカルを真正面から見つめた。

「悪いが断る。私は姫比の人間ではないし、誰かに肩入れする気はない」

「いいや。そなたはきっと我らの味方になる。この子の話を聞けばきっとそうなる」

 虚ろな目をした男の頭を胸に抱き、榊は母のような顔で男の髪を撫でた。


「二十五年前、太丹はまだ王子だった。王位を継ぐご長子とは対照的な、粗暴で我儘な二番目の王子だった。その太丹の最初の妃が双子の男の子を生んだ。同じ時に同じ腹から生まれた男の子は諍いの種になると言って、太丹は出産に立ち会っていた巫女に赤子の一人を投げて寄越したのじゃ。まだへその緒がついたままの赤子を、我らに処分しろとな!」


 榊の目からこぼれた涙が、男の髪に落ちる。


「処分など出来なかった。我らは赤子を鶴島の巫女宮に連れ帰り、人知れず育てることにした。すくすくと育ってゆくこの子を見るのは楽しかった。太丹の横暴ぶりはたびたび耳にしていたが、それは兄君が王位を継いでからも変わらなかった。

 数年後、兄王が亡くなった時も太丹の陰謀だという噂が流れたが、きっとその通りだろう。そなたが兄のように慕っている鷹弥の父も、太丹が殺したのだ!」


 胸がズキンと痛んだが、アカルは眉を寄せたまま、ぐっと唇を噛んで何も言わなかった。


「太丹は最低な男じゃ。王になる資格はない。甘やかされて育った息子の宇良うらもそうじゃ。あんなことさえなければ、この子は宇良と共に育ち、王子としての教育を受け、自らの高潔さを皆に示すことが出来た筈なのに、その機会を奪われたのだ。

 この子の命を助けると決めた時、我ら巫女は誓ったのじゃ。いつかこの子を王位につけてやると」


 涙を流したまま榊は口を閉ざした。

 アカルは苦い表情のまま榊と男を見比べた。


「だから太丹を殺したのか? 王位につけたいなら逆効果じゃないのか?」


「何を言う、正攻法で王位が得られるものか! この子は巫女宮に隠れながら、この二十五年もの間それだけを生きるとしてきたのじゃ! この子が可哀そうだと思う心があるのなら、そなたの力をこの子に貸してくれ! 古の巫女よ!」


「────悪いが、答えは同じだ」

 アカルが答えると、榊はキッと鋭い目でアカルを睨んだ。

「その人の生い立ちには同情するけど、私は姫比の内政に関わる気はない。ただし、ここにあなた方が居ることは誰にも話さない。今聞いた話も私の胸に留めておく」


「そなたには人の心が無いのか? 今まで見て来たそなたは、愚かなほど他人に尽くしてきたではないか! 何故この子の力になれない? 鷹弥のためか?」


「それは違う! 私は他人の復讐に手を貸す気はないだけだ!」


 押しつけるような榊の言葉に、怒りが湧いた。

 このまま静かに立ち去ろうと思っていたのに、火のついてしまった怒りがアカルの足をこの場に留めた。


「ずっと気になってたけど、その人の名前は何て言うの?」

「……雨羅うらじゃ」

 榊は顔を歪めた。

「ウラ? 宇良さまと同じ名をつけたのか? 何故そんな……どうして、その人だけの名前をつけてやらなかったのさ?」


 聞き返した瞬間、嫌な考えが頭に浮かんだ。


「あんたたちは、初めから復讐するために赤子を育てたのか? ああ……そうか、そうだよね。本当にその人のことを想うなら、太丹のことなんか知らせずに育てた筈だものね」


 虚ろな目でぼんやりしている雨羅は、どう見ても幸せそうには見えなかった。


「大人になってから自分の生い立ちを知り、その人が自分で復讐することを選んだのならまだいいさ。でも、もしも子供の頃から恨みつらみを吹き込まれて育てられたとしたら、その人の人生は復讐だけだ。そんなのが幸せだと思うの? 太丹のために人生を捨てたようなものじゃないか!」


 もし自分がそうだったら、そう思うだけでゾッとした。

 自分が子供の頃の記憶を持ったまま生きていたら、ほむらの一族や応弐おうにを父の仇だと恨んで生きてきたら、きっとアカルの人生は今とは全く別のものになっていただろう。岩の里にいても、笑うことも無く生きてきたかも知れない。

 初めは女王のようだった榊の顔は、今はもう、年老いた母親にしか見えなかった。


「あんたたちは、太丹王に恨みがあったんじゃないのか? 最初から自分たちの恨みを晴らすために、その人を復讐の道具にしたんじゃないのか?」

 アカルが問い詰めると、榊はふっと笑みを漏らした。


「そうかも知れぬな────昔、私には妹のように可愛がっていた巫女がいた。天女のように可憐で、いずれは大巫女になると囁かれてもいた力ある巫女だった。その娘が、太丹の妃として召し上げられた。それなのに、半年もしないうちにその娘はむくろとなって戻って来た。運んできた兵士が、太丹の怒りを買って殺されたのだと教えてくれた。雨羅が生まれたのはその翌年だった。確かにそうじゃ。我らは太丹を憎んでいた。復讐してやりたかった。他の事など考えられなかった!」


 涙を流し続ける榊は哀れだった。

 アカルは立ち上がると、黄色い空間の中を歩いた。

 榊の腕の中で呆然としている雨羅の前に膝をつくと、胸倉をつかんでバシッと頬を打つ。


「いつまで呆けているんだ! あんたは太丹を殺して復讐を果たしたんだろ? どんな気分だ? 嬉しいか?」


 アカルに打たれた頬に手を触れて、雨羅は顔を上げた。

 わずかに生気の戻った目に、暗い憎しみの光が灯る。


「私はまだ……宇良を殺していない。奴を殺すまでは、復讐は終わらない」


「宇良は、あんたの兄弟じゃないか。太丹は最低な親だけど、赤子だった宇良はただ運が良かっただけだろう? どうしても王になりたいなら別だけど、恨みや憎しみのためだけに生きるのは虚しいと思わないか?」


「私は王になる。その為だけに生きてきた。今更どんな生き方がある?」

 雨羅は暗い笑みを浮かべる。


「太丹を殺して嬉しかったのなら止めはしない。でも、あんたの顔はとても幸せそうには見えないよ」

「幸せ? 私には、そんなものは必要ない」

「そうか。なら好きにすればいい」

 アカルは立ち上がった。


「約束通り、あんたたちの事は誰にも言わない。姫比の王が誰になろうと私には関係ないからな。ただ、あんたはもっと自分の幸せを考えた方が良い。別の生き方がなかったか考えてみれば? もしも、これから先の人生を変えたいと思うのなら、今が最後の好機だと思うよ」


 アカルは踵を返すと、黄色い空間の中を真っ直ぐに進んだ。

 榊が作った結界の中から出ると、一瞬で冷えた空気が体を包んだ。


「寒っ」


 両手で肩を抱き、アカルは駆け足で自分の小屋に向かった。

  

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