十一 大地の揺らぎ


(見張られているようだな……)


 米粥と青菜の朝餉あさげを食べながら、アカルは周りを見回した。


 一晩泊った茅葺屋根の小さな小屋には、アカルの他に誰もいない。

 戸口から差し込む光だけでは薄暗いが、戸口の向こうにも人がいる気配はない。

しかし、昨夜から絶えることなく刺すような視線を感じるのだ。


(嫌だな)


 アカルは大神岳おおかみだけに来たことを後悔していた。

 お許しが出たら、一人で勝手に登れるのだと思っていた。

 勘違いしていた自分も悪いが、ここへ来るきっかけになった鴉の王にも、文句を言ってやりたい気分だった。

 一度嫌だと思ってしまうと、小屋を取り囲む気配や視線にも悪意を感じる。


(もう大神岳の王なんかどうでもいい。中宮なかみやの周りを見たらすぐに帰ろう)


 アカルは朝餉を食べ終えると、盆を持って立ち上がろうとした。

 そのとき


 ゴォォォォォォ


 地の底から、低い地鳴りのような音が響いてきた。

 初めて聞く地鳴りに耳を澄ました時、ぐらりと大地がゆらいだ。


「なんだ、これは」


 盆の上に並んだ器を落とすまいと、アカルは必死に体を立て直そうと思ったが、とうとうその場に膝をついてしまった。

 長いようにも思えた揺れは、アカルが床に座り込むとすぐに収まった。


「危なかったな」


 横倒しになった器を元に戻して立ち上がろうとした時、周囲の気配が変わった。

小屋の前には、いつの間にか怖い顔をした巫女たちが集まっていた。


「もう時間がない。お前には悪いが、ことは一刻を争うのだ」


 そう言ったのは、昨夜、高殿の大巫女の所まで案内してくれた、年かさの巫女だった。


「捕らえよ!」


 彼女はたぶん巫女の頭なのだろう。年かさの巫女の号令で、たくさんの巫女たちが小屋の中になだれ込んでくる。


「は?」


 アカルは何が何だかわからないうちに、巫女たちに取り囲まれた。

 左右の腕を二人の巫女に横からがっちりと掴まれ、そのまま小屋から引きずり出されてしまう。


「何なんだ、手をはなせ!」


 アカルは掴まれた両腕を振り払おうとした。けれど、だんだんと体から力が抜けていくような脱力感に襲われた。


(朝餉に……何か盛られたか?)


 小屋の外でガクンと膝をついてしまったアカルを、巫女頭みこがしらが見下ろしてくる。


「悪く思わないで欲しい。すべては神の御為」


 巫女頭の冷たい視線に、アカルは背筋がゾッとした。

 この感じには覚えがある。

 幼い頃に、川の里で贄にされかけた時、里の大人たちはみんなこんな顔をしていた。


(こいつら、私を贄にするつもりだ)


 神に仕える巫女であるせいか、彼女たちの顔には、川の里の人たちほど罪悪感はない。大勢の為なら少数の犠牲は仕方がない。これは神の為にする事なのだ。そんな、使命感と哀れみが混ざったような表情を浮かべている。


 自由の利かなくなったアカルの体を、巫女たちが持ち上げ、用意してあった籠の中に入れる。

 籠の前後左右には棒がついていて、それを八人の巫女が担いで、アカルを何処かへ運ぼうとしている。


(まるで、生け捕りにされた獣のようだな)


 アカルは震える唇を必死に噛んだ。

 前の棒を担いでいる巫女の一人が、時おりアカルの方をちらちらと振り返る。よく見ると、彼女はアカルを迎えに来た若い巫女だった。

 陰気な顔をしたこの巫女とは、必要なこと以外話さなかったのに、他の巫女たちとは明らかに違う視線をアカルに向けてくる。

 しばらくすると、巫女頭が籠のすぐ横を歩き出した。


「体が痺れて動かないだろうが、毒ではないから安心しろ。最期の瞬間まで意識はある。お前は山の神の神々しいお姿を拝見することが出来るだろう」


 巫女頭は饒舌だった。

 贄の儀式を前に高揚しているのだ。そう思うと、アカルは唾棄したい衝動にかられた。


(神が、人の血肉など欲するものか、馬鹿どもめ!)


 そう叫びたかったけれど、体は痺れて言うことが聞かない。

 徐々に険しさを増してゆく山道を、八人の巫女たちは草木をかき分けるようにして進む。

 朝露に濡れた草や土の匂いがした。


 やがて、見晴らしの良い尾根道へ出た。両脇の谷はまだ残雪に覆われている。

その尾根道から遠く眼下に広がる海岸線が見えた時、アカルは初めて恐怖を感じた。


(いったい、どこへ行くのだろう)


 川の神の贄にされた時は、川に投げ入れられた。

 山の神の贄は、どこへ捧げられるのだろう。

 考えてもわからないが、この体で水の中に放り込まれたら致命的だ。体が麻痺しているから寒さは感じないが、水の中から脱出することはどう考えても不可能だ。

 アカルの心を、徐々に恐怖が支配してゆく。


(私はこんな所で死ぬのか? 私が選んだ運命は、結局は神の贄にされることだったのか? いや……違う。少なくとも、私の人生は西伯さいはくのその先へ続いているはずだ。ばば様がそう言ったんだ。こんな所で死ぬはずはない)


 アカルは必死に自分を勇気づけた。


 尾根道を上るにつれて、山肌に白い霧がかかってきた。

 巫女たちは視界の悪さをものともせずに進んでゆき、やがてアカルの入った籠が地面に下ろされた。


 冷たい風が吹いて霧が流されてゆくと、ほんの少し視界が開け、新緑の野原と小さな池が見えた。


(あれか?)


 山の神でも贄は水に落とされるのかと苦笑した時、アカルの体が籠から引き出された。

 そのまま池の縁まで引きずられ、アカルは水面に映った自分の顔を見た。


「さぁ、贄を捧げよ!」


 巫女頭の声を合図に、アカルの体が巫女たちの手で押し出される。

 ドボン!

 小さな池のはずなのに、吸い込まれるように体が沈んでゆく。

 底なしの薄青い水の中にゆっくりと落下しているのに、不思議と息苦しくはなかった。


 どこまで落ちるのだろうと思った時、底の方に赤黒いものが見えた。それが水なのか土なのかはわからなかったけれど、それを見た瞬間アカルは凍りついた。

 言葉では言い表せないほど禍々しいその赤黒いものに、アカルは吸い寄せられてゆく。


(嫌だ、あそこには行きたくない!)


 恐怖に肌が粟立つ。

 生まれて初めて、死よりも恐ろしい事があると感じた。


(鴉の王! あんたが行けと言ったからここへ来たのに、何とかしてくれよ!)


 心の中で叫んだ瞬間、アカルの周りを光が包んだ。


〇     〇


 小さな池が光を浴びた鏡のように輝いた。


「きゃぁっ!」


 急に光り輝いた池に驚いて、巫女たちは顔を背けた。


「落ち着きなさい!」


 巫女頭の一声で静まったものの、光を放つ池を畏れて、巫女たちはじわじわと離れてゆく。


「神が贄をお受け取りになったのだ。これで山の怒りは静まる!」


 勝ち誇ったような巫女頭の声が響いた瞬間、山が激しく揺れた。

 立っていられぬほどの揺れに、巫女たちは次々と地面に倒れ込んでしまった。

  

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