十 西伯(さいはく)の巫女


「なに? 大神岳おおかみだけに登りたい?」


 朝餉を済ませると、アカルは、青影あおかげに大神岳登山の許しを願い出た。


「はい。千代姫さまが回復するまで、ここに滞在するように言われましたけど、ただじっとしているのも退屈なので、もしお許しが出たら登ってみたいと思います」


「ううむ……そうか」

 青影は唸った。困ったような顔でアカルを見る。


「大神岳は神域でな、神域に住まう巫女の許しを得ねばらないのだ。使いを送ってみるが、許しが出るかどうか……とにかく、しばしお待ち願いたい」


「わかりました。よろしくお願いいたします」


 アカルは頭を下げながら、不思議に思った。

 豪胆な西伯さいはくの王がこんなに困った顔をするのだ、よほど巫女の力が強いのだろう。


(まぁ、どこにも我儘な婆様はいるよな)


 自分勝手な岩の巫女を思い浮かべて、アカルは納得した。

 あの青影の様子では数日待たされるだろう。そう覚悟を決めていたら、驚いたことに、その日の夕方には巫女宮から迎えが来た。




「えっ、わざわざ迎えが来たの?」

 アカルは目を大きく見開いて、夜玖やくを見上げた。


「そうなんだよ。しかもその迎えの巫女が言うには、大神岳は巫女以外入れない神域だとかで、俺はついて行けないんだそうだ」


 夜玖も困ったような顔をしている。


「迎えの巫女は門の外で待ってるから、行く気があるならすぐに支度してついて来るように、とのことだ」


「今すぐか?」


「ああ。何でも、山に登る前に潔斎けっさいをするとかって言ってたぞ」


 夜玖は思いきり顔をしかめている。

 岩の里でもそうだったが、夜玖は巫女という存在がそもそも苦手のようだ。


「わかった。すぐに行く」


 もともと少ない荷物の中から、みそぎと山登りに必要な物だけを手早くまとめて布に包むと、アカルは夜玖と一緒に門へ急いだ。


朱瑠あかる、こんなことは言いたくないんだが……」


「なに?」


「お前は、西伯さいはくの巫女にも出来なかった、千代姫さまの呪いを解いただろ? 西伯の巫女たちが、お前に面目をつぶされたと思っていても不思議じゃない。お前の事だから心配はいらんと思うが、気をつけろ」


 門の手前で立ち止まった夜玖は、苦々しい表情でそう言った。


「わかった。肝に銘じておく」

 アカルはうなずいた。

「じゃあ、行ってくる」


「ああ、気を付けてな」


 さっさと門をくぐってゆくアカルを、夜玖は心許なく見送る。


「何ごとも無けりゃいいんだがなぁ」


 水生比古からはアカルの護衛を命じられているのに、大神岳に同行できないのは複雑だった。


「あのぉ、夜玖さま? いま出て行った娘さんは、例の巫女さまですか?」


 顔なじみの門番が遠慮がちに聞いて来たので、夜玖は気分を変えて笑顔を作った。


「ああそうだ。あのいにしえの一族の、次の岩の巫女になる娘だよ」

 腕組みをした胸をそらし、自慢げにうなずいて見せる。


「噂の通り、本当に古の民ではないのですね。我々と同じか混血なのか……」


 門番は、去ってゆくアカルの後ろ姿をぼんやりと眺めている。

 迎えに来たという白装束の巫女と一緒に山道を歩いて行くアカルを、夜玖も眺めた。


「いや、朱瑠あかるは子供の頃に岩の里に保護されただけで、生まれは西伯のようだ」


「巫女さまは……朱留さま、というお名前なのですか?」


 門番が食い入るように夜玖を見つめる。


「ああ。そうだが……どうかしたか?」


「い、いえ。何でもありません。巫女さまのお戻りはいつ頃でしょうか?」


「さぁて、どうだろうな。二、三日はかかるだろうが、こっちも待つだけでは心配でたまらん。いつ戻るのか青影さまに聞いてもらうのが良かろうな」


 夜玖は自分の考えにうんうんとうなずくと、さっそく青影のいる宮の奥へと足を向けた。


 〇     〇


 西伯さいはくの巫女に案内され、アカルは弥山みせんの宮からさらに山を登った森の中を歩いていた。

 先導する西伯の巫女は、細い顔に陰気な表情をした二十歳くらいの女だ。必要なことだけを端的に話し、冷めた目でアカルを見る。


(明日は山に登れるのかな? 今夜はどこに泊まるのだろう?)


 訊きたいことは色々あるが、とても雑談に応えてくれる雰囲気ではない。とりあえず大神岳に登れればいいやと、アカルは成り行きに任せることにした。


 そもそも山に登ろうと思ったのは、大神岳の王が会いたがっていると鴉の王に言われたからだ。

 アカルは会ったことのない神になど興味はなかったけれど、退屈な弥山の宮でただぼんやり過ごすよりはマシだと思ったのだ。


(明日、登れればいいな)


 そんな風に思っていたから、森の中の泉に案内されてみそぎをしている間に、松明たいまつを手にした年かさの巫女たちが集まって来たことに、本当に驚いてしまった。


「これより、山の神域に向かいます」


 陰気な顔の巫女がアカルに松明を差出した時には、もう陽はとっくに沈んでいた。


 暗い山道を、松明を手にした白装束の巫女たちが、一列になって登ってゆく。それはとても不気味な光景だった。口をきく者は一人もなく、無言の行をしているようだった。


 山に登るにつれ、だんだんとあたりの空気が変わってきた。神域に近づいているせいだろうか、空気がひんやりと冷たく、山にいる生き物すべてが息をひそめているようだった。

 どのくらい歩いただろうか。山の中腹あたりまで来た時、いきなり木々が疎らにな

り、木の柵で囲われた立派な高殿が姿を現した。


「大神岳の中宮なかみやです。高殿で大巫女さまがお待ちです」


 そう言ったのは陰気な巫女だったが、彼女の仕事はここまでのようだ。

 中宮の門を入った所で、待っていた年かさの巫女が後を引き継ぎ、無言のままアカルを案内する。

 アカルも無言のまま年かさの巫女について行き、中宮の中心に立つ高殿の階を上った。


 中で待っていたのは、かなり高齢だと思われる老巫女だった。めしいているのか目は閉じたままだったが、アカルが入ると口元が弓なりに曲がった。


「良くおいでになった。岩の巫女を継ぐ者よ」


 アカルは老巫女の前に正座すると、床に手をついて丁寧に頭を下げた。


「急なお願いを聞いていただき、ありがとうございました」


「なに、そなたが来ることはうらに出ていた。急なことではない。気に病む事はないぞ」


「占……ですか?」


「さよう。しかし、そなたがこの神域に来る理由まではわからなかった。教えてくれるかの?」


 大巫女の口調は柔らかだったけれど、周りからは刺すような視線を感じた。

 アカルは鴉の王の話をしようと思って、やめた。

 大神岳おおかみだけの王と、ここの巫女たちが祀る神が同じなのかはわからない。どちらにしても、巫女たちの気分を害するような気がした。


「しばらくの間、弥山の宮に留まるように言われました。大神岳は古来より神が宿る山だと聞いていたので、お許しがあれば登ってみたいと思ったのです」


 嘘ではないが、本当でもない。けれど、暇つぶしだと言って、巫女たちの気分を害するよりはいいだろう。


「そうか。では明日、心ゆくまで神の山を見て歩くがよい。今宵はゆるりといたせ」

 大巫女は目を閉じたままにっこりと笑った。 

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