九 来訪者
秋が過ぎ、
余分にとれた獣や魚は
アカルは【
仕事に追われるうちに、あっという間に冬至がやってきた。渡海人たちが使う暦とは多少のズレはあるものの、一年で一番長い夜が明けた時から新年が始まるのは同じだ。
そんな節目である新年の朝、アカルは岩の巫女に呼び出された。
新年とはいえ、冬の空はどんよりとした薄墨色の雲に覆われ、どこからかゴロゴロと遠い雷鳴が聞こえる。きっと雪おこしの雷だ。
「ばば様、アカルです」
高殿の前で声をかけ、
奥に座る老巫女の前には、大きな持ち手のついた火壺が置かれていた。火壺の中では炎がゆらめいて、厳かな雰囲気を醸し出している。
「そこへお座り」
改まった雰囲気に、怪訝そうに顔をしかめながら、アカルは老巫女の前に座った。
「話ってなに?」
「新年に相応しい話じゃ。今日からお前も十七だったな。実は、お前に縁談がある」
ギョロリとした老巫女の目が、ニンマリと弓なりの弧を描く。
「はっ……何だよ、歌垣はまだまだ先じゃないか」
アカルは笑おうとした。
【娘の館】で暮らしてはいるが、初めから歌垣に出るつもりはない。何とか老巫女を丸め込んで、この先もひとりでいる方法を見つけるつもりだった。
「里のこわっぱどもでは、仮にも巫女の真似事をしていたお前には、声をかけ辛いだろう。だからと言って、あと一年もお前を野放しにしておく訳にはゆかぬ」
「何でさ?」
「今すぐにでも、お前を守る者が必要だからだ。幸い、お前を妻にと望んでいる者は、お前の巫女としての力も全て大切にすると言っている。わしもあやつになら、お前を託しても良いと思っている。アカル、里長シリトの妻になれ」
「え……」
アカルは呆然としたまま老巫女を見つめた。
「お前も知っているだろう。シリトは七年前の冬、飢饉で妻を亡くした。それからずっと独り身を通していたが、里長になって、ようやくもう一度妻を持つ気になったようじゃ。お前より十二ほど年上じゃが、まだ十分若い」
アカルは頭が真っ白になった。
シリトのことは尊敬している。とても良い里長になると思う。でも、そんなことは関係ない。アカルの心には、もう揺るがすことの出来ない人が住んでいる。シリトに不満がある訳じゃなくて、その人以外考えられないだけだ。
アカルは膝の上に乗せていた手を、ぎゅっと握りしめた。
「ごめんなさい。お断りします!」
両手を床について頭を下げた。何と言われようと、受けることは出来ない。
「何故じゃ? シリトでは不服か?」
「そうじゃない。私は、誰の妻にもなりたくないんだ。歌垣にも出るつもりはなかった!」
「その理由は何じゃ? アカル、顔を上げて、わしの目を見て答えろ!」
厳しい老巫女の声に顔を上げると、アカルは今にも泣きだしそうな目で老巫女を見つめた。
「私は……鷹弥が好きだ。他の人の妻には、なりたくない」
アカルが答えた瞬間、老巫女の目が光った。
「ほぅ。そいつは、
「そうだ。だから私は、誰の妻にもならない」
「馬鹿をお言いでないよ!」
ピシャリと言い放たれた言葉に、頬を打たれた気がした。
「この里で暮らすつもりなら、家族を作りこの地に根を下ろせ。でないと、お前はまた、運命に引かれるまま、危険に身をさらすことになる。もう一度言う。外のことはすべて忘れ、シリトの妻になれ」
「嫌だ!」
「アカル!」
老巫女の鋭い声が響いた瞬間、外から声が掛けられた。
「ばば様、アカルに客人だ」
シリトの声だった。
遠慮がちに葦簀の戸が開き、粉雪と共に気まずそうな表情のシリトが顔を出す。
(……聞かれた!)
申し訳ない気持ちでアカルが振り返ると、シリトは苦笑いを浮かべて小さく手を振った。
シリトと入れ替わるようにして入って来たのは、粉雪にまみれた黒っぽい衣を着た男だった。その男の顔を見て、アカルは息を呑んだ。
「
「よう、山猿。元気そうだな」
ニヤリと笑った兼谷の顔は少しやつれ、顔も黒っぽい衣もどこか薄汚れていた。
兼谷とは、
「あんた……まさか、私を殺しに来たのか?」
咄嗟にそう尋ねると、外に出ていたシリトが戻って来て、兼谷の腕をつかんだ。
戸口から風に乗って入って来た雪が、部屋の中で渦を巻く。
「その話は本当か?」
三人分の視線を受けて、兼谷は肩をすくめた。
「とんでもない言いがかりだ。俺は
「ああ、そうだったな。カナヤには感謝している」
シリトは兼谷の腕から手を離した。
兼谷はふぅと息を吐いてから、床に座るアカルに目を向けた。
「お前が
「良かろう!」
老巫女が即答した。
「アカル、さっきの話は延期じゃ。とりあえず、この男に守ってもらえ」
兼谷が持って来た食べ物に目が眩んだのか、老巫女はやけに楽しそうだ。
アカルはどうにも腑に落ちない気分だったが、とりあえず、縁談話が延期になった事で良しとすることにした。
その晩は、里の集会所で、ささやかながら兼谷の歓迎の宴が催された。
新年という事もあり、とっておきの酒が振舞われ、イマリカとウシュラとキリが、兼谷に歓迎の踊りを披露した。
黙って酒を飲みながら娘たちの踊りを眺める兼谷に、隣に座ったアカルは疑うような目を向けた。
「こんな時期に、智至から馬で来たのか?」
「いや、西伯までは船で来た。そこからは海が荒れて船が出せなかったから、馬で来たんだが、西伯の東端からこの里へ行く山道で迷ってしまってな。参ったよ。ここはとんでもない所だな」
兼谷がやつれていたのは、山で迷ったせいだった。
「そうか……」
アカルは頷いたが、まだ疑惑は消えない。
「ねぇ、本当に、私を殺しに来たんじゃないのか? 焔の城から逃げるまでは休戦にする約束だったけど、今はもう、そうじゃない」
眉間に皺を寄せるアカルに、兼谷は困ったような目を向けた。
「確かにそうだが、焔の城でお前に助けられたせいで、憑き物が落ちたらしい。お前は知らないだろうが、俺は水生比古さまの命で何度も西伯に行ったんだぞ。死にかけのお前を何度も見舞ってる。殺そうと思えばいつでもやれたんだ。今更お前を殺そうとは思わん」
「そうか」
「何だ、不服そうだな?」
「いや……白珠姫の命令は、もういいのかなって思って」
「ああ。もういいんだ」
兼谷は短く答えて、踊る子供たちの方へ目を向けた。娘たちに変わって、今度は少年たちの勇ましい踊りに変わっている。
「私は……焔の城で、あんたに無神経なことを言ったよね。ずっと、後悔してたんだ」
「え?」
兼谷はアカルに視線を戻した。
「白珠姫の側にいた方が幸せなんじゃないか……なんて、無神経だったよ。あの時の私は、何も分かってなかったんだ。白珠姫の夫は、水生比古さまだ。白珠姫の側にいるってことは、二人の姿を見続けるってことだ。私なら、そんなの辛い。好きな人が、他の誰かと仲睦まじくしている姿を側で見るなんて、とても出来そうにない。無神経なことを言って、悪かった」
アカルが謝ると、兼谷はくっくっと笑った。
「山猿の分際で、人の心がわかるようになったのか。偉っそうに!」
小さく笑い続ける兼谷は、どこか悲しそうで、アカルはわざと、兼谷の背中をバシッと叩いた。
「山猿って言うな!」
そう言うアカルも、半分泣き笑いだった。
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