十五 隠(なばり)の海賊


「アカル、アカル大丈夫か? 俺がわかるか?」


 気がつくと、アカルはソナの腕の中にいた。

「あれ、私は確か……」

 泡間あわいに入ったはずだった。自分ではそのつもりだったのに、見える景色は何故だか裏門前の広場だ。

 失敗か成功かと問われれば失敗なのだろうが、今まで自力で泡間へ行ったことのないアカルにとっては、兼谷かなやの刃から逃れられただけで大成功だ。


「覚えてないのか? きみはいきなり宙から湧いて出て、俺の前に落ちて来たんだ」

「落ちて来た?」

 アカルは首を傾げた。

 ソナの肩越しに二人の門番の姿を見つけたが、二人とも目と口を大きく開けたまま怖々とこっちを見ている。

「どうやってここまで来たんだろう?」

 門番の背後にある裏門の向こうへ目を向けると、うっそうとした緑に包まれた山が見えた。


「アカル、腕を怪我してるね」

「ああ、かすり傷だよ」

「すぐに手当てしなきゃ駄目だ」

 ソナがアカルを抱き上げて向きを変えると、高殿の方から水生比古みおひこ夜玖やくがやって来るのが見えた。

朱瑠あかる!」

 何をどこまで知っているのか、水生比古は複雑な表情でアカルの名を呼んだきり言葉を失っている。

「大丈夫です水生比古さま。アカルの手当ては俺がやりますから」

 ソナはいつものように微笑んで、水生比古の前を通り過ぎてゆく。

 アカルは水生比古に声をかけようと思ったけれど、結局何も言えなかった。



「ほら出来た。上手いもんだろ?」

 アカルを自分の離れ宮に連れて来たソナは、アカルの腕を手当てしたあと、裂いた布をくるくると巻き付けてくれた。

「金海秘伝の薬だ。傷も浅いしすぐに治るよ」

「ありがとう。ソナの薬には前も助けられたね」

 アカルは布がまかれた腕を曲げたり伸ばしたりしてみた。痛みはあるが支障は無さそうだ。


「アカル、もう自分の宮に戻っちゃ駄目だよ。ここの奴等は信用できない。一人になったら危険だよ。この宮は広いし、俺と一緒なら安心だ。アカルの荷物も持って来てもらうから」

 心配そうな顔をしたソナが、アカルの手を両手で包みこむ。

「それから、早くここから出よう。アカルも一緒に船に……」


「ありがたいけど、私はやっぱり岩の婆さまが大事なんだ。ごめんね。私は行けないけど、ソナの仲間には会いたいな。もう水生比古たちに遠慮する気はないから、いつでも会いに行けるよ。今からでもいい」

 ソナの言葉を遮るようにして、アカルはそう言った。


「アカル……」

 ソナは目を伏せたままアカルの手を握りしめていたが、やがて沈んだ気持ちを振り切るように頭を振った。

「そうだね。あいつらを紹介するよ。ちょっと強面の奴らだけど、会って話をすればアカルもきっと気に入るよ」

「そうだな」

 アカルは笑顔でうなずいた。



 女官が持って来てくれたアカルの葛籠つづらの中から、港を歩いても目立たない衣をソナが選んでくれた。淡い桃色の衣は、西伯さいはくの青影王から貰ったものだ。

「じゃあ、行こうか」

 ソナはにっこり笑ってアカルの手を引いた。


 驚いたことに、ソナはいくつもある斐川ひかわの宮の門番たちと顔見知りだった。門番がソナを覚えるのは容易いが、ソナも門番の顔と名前を覚えているようだった。


「ソナはいつも自然体だな。どこにいても、誰の前でも、ちゃんと自分を持ってる」

「アカルだってそうだろ」

「私は違う」

 アカルは首を振った。考えてみると、岩の里を出てからは自分の意思で動いたことがない。

「私は……居心地のいい小さない池から、うっかり流れの速い大河に飛び出してしまった哀れな蛙だ。急流に流されるだけで、自力て泳ぐことも出来ない」


「アカルが蛙なら、俺も蛙だ。しかも、これから海へ出ようとしている無謀な蛙だ」

 川べりを歩きながら二人は笑いあった。

 別れが迫っているのに不思議と心は温かかった。

「西方の国を目指すなんて、確かにソナは無謀だよね。でも、強い信念を持ってる」

「そう言ってくれるのはアカルだけだよ。あらしには散々馬鹿にされたからな」

「嵐?」

「ああ。そこらへんの酒場にいるはずだ」


 気がつくと、目の前には内海が広がっていた。

 遠くに山影が見える大きな内海には、ずっと遠くまで停泊している船の影が見える。

 西の空には朱色に染まった雲がぽっかりと浮かび、東にはもう夕闇が迫っていた。

「おーい、嵐!」


 ソナは茅葺屋根と柱だけの風通しの良い建物に首をつっこんでいる。

 ソナに応えるように酒場らしきその建物から出てきたのは、黒い衣を着た日に焼けた男だった。ソナよりは年上のように見えるがまだ若い。肩まで伸びた長い髪と額に巻いた黒い布はこの辺りでは珍しく、黒一色のその姿は隣を歩く金海の王子と同じくらい異質に見えた。

 けれど、何よりアカルを驚かせたのは、男の背後に波打つ海を感じた事だった。


「アカル、こいつが嵐だ」

 ソナがニコニコ笑いながら紹介すると、ソナの隣に立っていた嵐は不機嫌そうな顔をアカルに向けた。

「おいソナ、この小娘はなんだ? まさかコレを連れて行くなんて言わないだろうな?」

 嵐はアカルに人差し指を突きつける。

「コレって何だよ、指さすなよ! アカルはすごい巫女なんだぞ!」


「安心しろ、私は行かない」

 嵐に食って掛かるソナを見ながら、アカルは苦笑した。そして、嵐の顔をじっと見上げる。

「あなたには海神の加護があるね。あなたになら安心してソナを頼める」

 アカルがそう言うと、嵐は日に焼けた顔をパッと紅潮させた。


「わかるのか?」

「ああ。あなたの後ろに海が見える。海神の守りだ」

「俺は海神の申し子だからな。気に入った、乾杯しようぜ! ソナも行くぞ」

 嵐はバシッとアカルの肩を叩くと、そのまま肩をつかんで酒場に向かった。


 酒場の中は薄暗く、酒の匂いが充満していた。

 嵐の仲間らしき男たちがたくさんいて、陽気に盃を上げている。アカルの前にもいつの間にか酒が注がれた盃が配られていた。

「それじゃ、あらためて紹介するよ。こいつは嵐、なばりの海賊の頭領だ」

 ソナが嵐を紹介すると、やんややんやと男たちが声を上げて盛り上げる。


「隠の海賊? 海賊が堂々と港に着けていて大丈夫なのか?」

「そりゃ大丈夫だ。おれ達は西伯の沖にある島を根城にしている海賊だが、仕事はもっぱら穴戸あなと海峡付近だからな」

「穴戸海峡……そうか、智至ちたるの味方か。私は岩の里のアカルだ。西伯の東の果てにあるいにしえの里の者だ」

「古の民か? そりゃあいい。乾杯しようぜ」


 嵐に酒杯を差出され、アカルは困った。

「私は酒が飲めない。水で良ければつき合うが」

「何言ってんだよ、水盃は縁起が悪いだろ!」

「そうなのか?」

 今までそんなことを言われたことがなかったアカルは、きょとんとして嵐を見返した。

「そうだよ。水盃ってぇのはな、二度と会えない相手と酌み交わすもんだ。縁起でもねぇ」

「なるほど」

 アカルは嵐から酒盃を受け取った。


「よーし、みんな盃は持ってるな?」

「おおー!」

「俺たちの出会いと、冒険の旅を祝して、乾杯!」

「かんぱーい!」

 たくさんの手が腕を振り上げ、高々と掲げた酒盃を一気に口へ運ぶ。

「あっ……」

 酒を口にしたアカルが目を見張った。

「どうした?」

 ニヤニヤ顔の嵐がアカルの顔を窺う。

「美味しいかも」

「何だ、お前、いける口じゃねぇか。ほら飲め飲め、ソナも飲め」


 酒壺が手から手へと渡ってゆき、瞬く間になくなると、また新しい酒壺が置かれた。

 初めての酒は美味しく、海賊たちの話はとても楽しかった。

「アカルが一緒に来てくれたらなぁ、俺の大好きな仲間が勢揃いなのになぁ」

 酒に酔ったのか、甘えるような声でソナがつぶやくのが聞こえた。


(ああ……)


 アカルの手から、ポロリと酒杯が落ちて床に転がった。床に落ちた酒杯を拾わなきゃと思うのに、ぼんやりとしてしまう。

「大丈夫だよ。割れてない。はい」

 ソナが拾ってくれた酒杯をアカルは呆然と見つめた。

「どうしたの? アカル? 大丈夫?」

「ああ……ごめん。大丈夫」

 アカルは微笑みを浮かべて酒杯を受け取ったけれど、胸の奥には疼くような不思議な痛みが広がっていた。


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