十四 誓約(うけい)
まるで突風でも吹いたように、ゴォーっと音を立てて大木の枝葉が揺れた。
『これは懐かしい供物じゃ。そなたの供物、ありがたく受けよう』
大木に重なるような、大きな女神がそこにいた。
女神は微笑みながら手を伸ばし、アカルが作った二本の削り花を手に取る。
「き、消えた!」
「ひぃ!」
巫女たちの方からたくさんの囁き声が聞こえてくる。
アカルは怪訝な顔で巫女たちの方へ振り返った。
(ここも、
『そうじゃ。この者たちにわらわの姿は見えぬ。声も聞こえぬ。この者たちの行う占では、聞かれたことにしか答えられぬ』
女神の言葉は哀しみに満ちていた。
かつてこの
それは仕方のない事なのだと、岩の巫女は言っていた。
「……それでも、私がここから解放されるためには、今年の作物の出来具合をお聞きしなければなりません」
『今年は豊作じゃ。この者たちにもそれは伝えてある。じゃが、その鹿骨には細工がしてあるぞ。そなたがその骨に焼き金を押しつければ、骨は凶兆の割れ方をする』
「なるほど」
今さら驚きはしなかった。
『アカル、そなたに頼みがある。聞き届けてくれれば、そなたの言う通りにその鹿骨を割ってやろう』
「頼みとは?」
『わらわの憂いをこの者たちに伝えて欲しい。この大地が揺らぎ始めていることを』
(揺らぎ?)
アカルは
山の神の鎮めを行っていなかったせいで、大地が揺れた。
あの時、狼の王が教えてくれた。山の神とはひとつひとつの山の神のことではなく、地の底でつながった火の神であり、幽界の神でもあるのだと。
『そなたは知っておろうか、火の神であり幽界の神でもある山神は争いを好む。
もともとは人の生き死にの均衡を保つのが山神の役割であったが、人の世が争えば争うほど命の均衡を保つことが難しくなり、山神は揺らぎ始めた。良くない方へと揺らいでいる。
このままでは彼の神は悪しきモノへと転化するやも知れぬ。それが何時なのかは最早わらわにはわからぬが、大地の底が蠢くのを感じるのじゃ。
人の世に争いが近づいている。このまま戦が起こればたくさんの人死にが出るだろう。この者たちに警告を与えて欲しい』
「警告……」
アカルは息を呑んだ。
とてつもなく大きな神託を受けてしまったというのに、ここにいる巫女たちが自分の言葉を信じるとはとても思えない。
「やってはみますが、見ての通りここで私は排除すべき存在のようです。私の言葉をきく者はいないかも知れません」
『それでも構わぬ。その時は、この者たちに影響を与えられる者に警告を』
「承知しました」
アカルは深々と頭を下げた。
地面に置いた鹿骨を手に取り、頭上高くまで手を伸ばす。
「今年の収穫が豊作ならば、横に割れる!」
平たい鹿の骨がアカルの手を離れた途端、パキッと音を立てて真一文字に割れ、二つに分かれて地面に落ちた。
アカルは二つに割れた鹿骨を拾うと、巫女たちに見えるように掲げた。
「ご覧の通り、今年の収穫は豊作だそうだ。これで満足か?」
辺りはしんと静まり返り、ざわめきのひとつも起こらなかった。
「あなた方の
「こっ、この者を捕らえよ! 命をとっても構わぬ!」
アカルの言葉を遮るように、大巫女の怒号が飛んだ。
「畏れ多くも御祖神の名を語り、この
狼狽えていた巫女たちは大巫女の言葉で我に返ると、真っすぐアカルに向かって来る。
「やはり駄目か」
アカルは手にしていた鹿骨を押し寄せる巫女たちに向かって投げつけると、すぐさま大地を蹴って駆け出した。
巫女宮の出入り口は、さっき入って来たしめ縄の門ひとつだけで、そこへ行くには押し寄せて来る巫女たちをかき分けて行かねばならない。
岩の里で野山を駆け回っていたアカルは、足には自信があるが、大勢の巫女を押し倒せるような力はない。
(どう考えても無理だな)
アカルは咄嗟に巫女宮を囲む塀に目を向けた。幸い塀のそばには庭木が林立していて、塀を飛び越える足場になってくれそうだ。
(衣の裾が邪魔だな)
アカルが素早く庭木の林に駆け込んだ時、背中に突き刺さるような殺気を感じた。
「俺にお任せください!」
兼谷の声だった。
裏門を出た時には姿を消していたのに、こちらの様子を見て戻ってきたようだ。
アカルは振り返る間も惜しんで駆け続けたが、巫女たちを蹴散らすようにして兼谷が突進してくるのを感じた。
(斬られる!)
アカルは咄嗟に反転して、庭木を挟むように兼谷と対峙した。
じりじりと動く兼谷に合わせ、庭木を盾にするように動く。この木がアカルの命綱だ。
「見苦しいぞ、山猿巫女! 潔く斬られたらどうだ」
「お前こそ、この神域を血で穢す気か?」
全身を冷たい汗が伝う。この状況では、もう逃げ出す事など不可能だろう。
このまま兼谷の刃から逃れ続けても、いずれは巫女たちに囲まれてしまう。
「山猿風情が偉そうに! 死ねぇ!」
兼谷の大剣が庭木を薙いだ。細い枝葉の一部が横へ飛び散る。
遮るものが無くなった場所からは、勝ち誇ったような兼谷の顔が見えた。
「死ね死ね死ねぇ!」
大剣が枝葉を薙ぎ払ってゆく。そのうちの一振りがアカルの袖に届いた。
袖は横一文字に切り裂かれ、腕には血が滲んでいる。
(これだけ枝葉を切っておきながら……)
兼谷の剣の怖ろしい切れ味にアカルは戦慄した。全身の血が凍ったように、体が冷たく固まってしまう。
『アカル!
叱咤するような大地の女神の声がした。
(入口は……どこにでもある)
呆然とした頭でその言葉を反芻する。
考えている時間などなかった。
剣を振りかぶった兼谷の姿に釘づけになったまま、アカルは目をつぶった。
「これで最後だ!」
兼谷の大剣が空を切ったとき、アカルの姿は消失していた。
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