十三 求める者、拒む者


(あれは、助けを呼ぶ声だったのかな?)

 

 離れ宮の縁台に腰かけて、アカルはぼんやりと庭をながめていた。

 泡間あわいにいる時に聞こえた声が、ずっと頭から離れない。声と気配しか知らない相手なのに、それが自分と同じくらいの少女だと何故だかわかってしまった。


 敵だとか味方だとか、水生比古みおひこたちの言う国同士のいざこざなど関係ない。千代姫に呪いをかけたことは許せないが、彼女は筑紫ちくしの王に従うしか生きる道がなかったのかも知れない。

 彼女は、自分よりも重い軛に縛られている──そんな気がしてならない。


(もう一度泡間に入ったら、話をする事が出来るだろうか?)


 何故だかわからないけれど、アカルはあの少女と話がしてみたかった。



 水入りの器を乗せた高御膳運びを終えて、アカルは行儀作法の修練からは解放されていた。久しぶりに自由な時間があるというのに、ずっとあの少女のことばかり考えている。


「アカル!」


 すぐそばで声がした。顔を上げるとソナが立っていた。

 久しぶりに見る袖なしの青い長衣ながごろもを着たソナは、爽やかな風のようだったけれど、アカルはソナと庭とを見比べながら首を傾げた。


「ソナ……この間も思ったんだけど、どこから入って来たんだ? 靴を履いてるってことは廊下を歩いて来た訳じゃないよね?」

「ああ、この庭の裏手に近道があるんだ。ちょっと塀を上ったりするから、きみには勧めないけどね」

「塀をよじ登って来たのか? 金海の王子が何やってるんだよ」


 アカルは呆れたが、ソナは笑いながらアカルの隣に座った。


「実はさ、旅の仲間を見つけたんだ」

「えっ」


 一瞬、何を言われたのかわからなかった。

 目を見張ったままソナの顔を見つめているのに、楽しそうに話を続けるソナの声が少しも耳に入って来ない。


「港をウロウロしてる時にそいつと出会ったんだ。アカルにも会って欲しいんだ」

「……そうなんだ、良かったじゃないか」


 ソナと一緒に西方へ行ってくれる仲間ができた。それは嬉しい事のはずなのに、顔が強張って笑顔が作れない。


「会ってくれるかな? ここへは呼べないから、港まで行かないといけないんだけど」


 ソナが首を傾げるようにしてアカルの顔をのぞき込む。


「港か……」


 金海の城を抜け出して夜店に行った時のことを思い出す。もう一度あれをやるのかと思ったけれど、あんな面倒なことをするのなら堂々と夜玖やくに許可を取った方がいい。


「夜玖に聞いてみるから、返事は待って貰えるかな?」

「わかった」


 ソナが笑顔でうなずいた時、渡殿わたどのの方から大勢の人の気配がした。

 庭木のすき間から、離れ宮と大宮を繋ぐ渡殿の方へ振り返ると、白装束の一団がこちらに向かって来るのが見えた。


「何だろうな?」


 ソナはのんびりと構えているが、アカルはその一団の中に兼谷かなやの姿を見つけて眉をひそめた。


「こっちへ来るみたいだ。ソナは戻った方がいい。とにかく隠れて。早く!」


 縁台に座っていたソナを追い立てると、アカルは部屋に入り庭に面した簾を下ろす。程なくして、女官が来客を告げた。


白珠しらたま姫さまです」


 離れ宮の入口に立っていたのは美しい女だった。白絹の夏衣にふわりとした若葉色の裳を合わせた姿は、艶やかな花のように堂々としていた。


(水生比古の奥方かな)


 来客の意図を察して、アカルは床に座ったまま丁寧にお辞儀をした。


「そなたが朱瑠あかるか。鈴音すずねの心を乱したそうじゃな」


 にっこりと微笑む目元にも、弧を描く唇にも、鮮やかな朱がさしてある。


「はい」


 非があるのは水生比古の方だと思いながら、アカルはうなずいた。


「そなたが巫女だと聞いたので、わらわも智至ちたるの巫女に相談してみた。そなた、この者たちと一緒に巫女の宮まで行っておくれ」

「巫女の宮?」


 アカルが問い返す間も与えずに、白珠姫の後ろから白装束の一団がアカルの部屋に入って来た。年かさの女もまだ幼さの残る少女も、一様に無表情な顔でアカルを取り囲む。

 濃紺の衣を着た兼谷が、白珠姫の横で剣に手をかけている。


(歯向かえば殺す、ということか)


「わかりました」


 アカルがゆっくり立ち上がると、白装束の一団がアカルを包み込むようにして廊下を歩き出す。それはまるで、周りの目からアカルの姿を隠すようだった。


 ○     ○


「夜玖殿、夜玖殿はいるか?」


 高殿の外からの呼びかけに、夜玖は伏せていた顔を上げた。主の水生比古は、奥方の白珠姫と食事を始めたばかりだった。

 細く開けた戸から夜玖が大きな体を滑らせるように出てゆくと、警備の武官に止められる形でソナが立っていた。


「ソナさま、どうされましたか?」

「実は、裏門を通ろうとしたら止められてしまったんだ。夜玖殿から門番に言ってくれないか?」

「裏門、ですか? あの向こうは巫女宮です。聖域になっているので我らは入れませんが」

「しかし……」


 口ごもったソナは夜玖の袖をつかむと、周りの目を気にするように少し離れた場所まで引っ張った。


「その巫女の集団にアカルが連れて行かれたんだ。どう考えても普通の招待とは思えない。助けに行かなきゃ。頼むから俺を通すように言ってくれ」

「巫女が、朱瑠を?」


 夜玖は信じられないようにつぶやいたが、ふと、主のいる部屋を振り返る。

 水生比古と一緒にいる白珠姫が、今日は珍しく上機嫌だったことを思い出す。

 嫌な予感に、夜玖は思わず目をつぶった。


 ○     ○


 白装束の一団が向かったのは、斐川ひかわの宮の後ろにそびえる山の中だった。

 斐川の宮の裏門を出るとすぐに急な山道が続き、登りきった場所にしめ縄の下がった門があった。門の向こうには大きな高殿と、簡素な小屋がいくつか見える。

 西伯さいはくの巫女の宮と似ているが、ここには大神岳おおかみだけに代わるような神域があるようには見えなかった。


(あ……)


 しめ縄の門をくぐった途端、そこは神域に似たピリピリする空気に変わっていた。


「朱瑠よ、そなたの力を試させてもらうぞ」


 高殿の上から声が聞こえた。きざはしの上に、顔の前に布を垂らした人が立っている。


(あれが、大巫女か?)


 いつの間にか白装束の一団はみな平伏していた。

 アカルはひとり立ったまま、苦い思いで高殿を見上げた。口では試すと言っていても、今までの経験から、既に処分は決定済みなのだとわかっていた。


「そなたが力ある巫女ならこの宮に迎え、力無き者なら神の供物とする」


 ずいぶん勝手な力試しだ。


「悪いが、私は岩の里の巫女だ。ここでの仕事を終えれば岩の里に帰る」

「そうはいかぬ。この誓約うけいは破ることは出来ぬ。そなたには今年の収穫について卜占ぼくせんをしてもらう。我らと同じ結果が出れば、そなたの力を認めよう」


 大巫女がそう言うと、すぐに脇から若い巫女が進み出て鹿骨をアカルの足元に置いた。平たい肩甲骨の部分だ。


「私は占いをしたことがない」


 アカルがそう言うと、平伏した巫女たちからざわめきが起こった。


「古の里では占はせぬのか? やり方は簡単だ。われらは鹿骨の割れ方で吉凶を見る。まずは骨に占うべき事柄を記し、誓約を書き入れる。吉兆ならばこう、凶兆ならばこうと割れ方を決めて記しておくのだ。神に祈った後、焼き金を押し付けると骨にひびが入る」


「面倒だな。なぜ神に直接聞かないんだ?」


 アカルがそう言い放つと、再びざわめきが起こった。今度はさっきよりも大きく、針のような敵意も感じた。


「罰当たりな! 御祖神みおやがみさまに直接問うなど、そのような無礼は許されぬ!」


 大巫女は震えるような声でアカルの言葉を否定した。


(無礼? 神と人とは同等のはずではないか)


 アカルは黙ったまま足元の鹿骨を拾った。そこにはご丁寧に『今年の収穫は豊作か否か』という目的と吉凶それぞれの割れ方、それから『朱瑠』の名が記されていた。


「悪いが、私は私のやり方でやらせてもらう」


 アカルは鹿骨を持ったまま平伏する白装束の巫女たちの間を歩き、高殿の脇にある大木の前まで行くとそこに座り込んだ。


「御祖神……地母神かな?」


 大木をじっと見上げてから、懐から取り出した小枝と小刀で削り花を創りはじめる。

 白装束の巫女たちが怪訝な顔で見守る中、アカルは完成した削り花を二本、地面に突き立てた。


「大地の母、豊穣の女神に供物を捧げる!」


 アカルが大木を見上げた時、ざわりと枝葉が揺れた。


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