十三 戦士の遠吠え


 ウォォーン ウォォォォーン


 宵闇を貫く遠吠えが、遠くから聞こえてくる。

 犬の遠吠えのようなそれは、隼人の戦士が行う狗吠くはい────情報伝達を目的とした、声による狼煙のろしだ。吠声はいせいの長さやその組み合わせで、ある程度の意思疎通が出来るのだと、十世とよ愛良あいら姫から聞いていた。


 彼女と共にまつりごとに関わるようになって、そろそろ一年が過ぎる。その間に、休戦状態だった南那なな国との戦が再燃した。ヒオク率いる伊那いな国の軍が、南那国との国境付近で小競り合いを起こしたからだ。おそらく先の狗吠も、山の向こうで南那国を見張る部隊からの連絡だろう。


(……まったく、ヒオク王子も余計な事をしてくれたものだわ)


 十世は疲れを滲ませ、嘆息した。

 彼女は今、安波岐あわきの宮の大広間に、長青ちょうせいと向かい合って座っている。表情の読めない細い目と、武官とは思えない細長い顔をした長青を、十世は思案気に見つめた。


 この大陸の武官を最初に呼んだのは、先の日の巫女さまだった。南那国との終わりの見えない戦に疲れ果てた日の巫女が、大陸の威光を使って戦を収めようとしたのだ。だが、戦を収束させたのは、南那国と都萬つま国との間で交わされた、日の巫女の命を引き換えにした密約だった。


 あの恐ろしい日から、五年近くの月日が流れた。筑紫を二分した戦が収まっても、長青はこの筑紫に留まっている。日の巫女が呼びよせたにも拘わらず、今の長青は明らかに伊那国側だ。彼はヒオクの代理として何度も都萬国へ来ては、対南那国戦線への出兵を要請している。すでに都萬国の兵だけでなく、愛良の祖国である祖於そお国の兵までもが、南那国との戦に駆り出されている。


 ヒオク率いる伊那国軍は、昨年春の胸形むなかた侵攻から間もなく、菟沙うさ国をも押さえた。今は援軍の要請をしてくるだけだが、そのうち都萬国まで押さえるつもりではなかろうか。

 そんな疑念が、十世の心に浮かんでいる。


「長青殿は……私を軽んじておられるのですか?」


 十世は、射るような目で長青に問いかけた。

 表情の乏しい大陸の武官は、多少は驚いたのか、その細い目を見開いた。


「いきなり何を仰るかと思えば、この私が一体いつ、十世さまを軽んじたのでしょう? とんでもない誤解です」


 長青は年若い十世に対しても、常に慇懃に振舞う。それだけ見れば、彼が十世を軽んじているとは、誰も思わないだろう。しかし、十世はいつも、長青に馬鹿にされているように感じていた。

 “無謀にもまつりごとに手を出した馬鹿な小娘” “日の巫女を継ぐには明らかに力の足りない若い巫女” そんな風に思われている気がしてならない。


「では何故、あなたは伊那国の手先のように振舞うのですか? ヒオク王子の代理となり、我が国に兵を出せと言ってくるのですか? それでも、日の巫女を軽んじていないと言えるのですか?」


 十世は怒りを、長青は静かに受け止めた。


「我が国……と、十世さまは仰いますが、何故そこまで都萬国に肩入れなさるのですか? 先の日の巫女さまの御代より、この筑紫を統べていたのは伊那国でした。確かに先の戦で伊那国は力を失い、筑紫の宗主の座を失いました。しかし、伊那国は再び力をつけております。王が不在の都萬国に、日の巫女であるあなた様が、何故そこまで尽くそうとなさるのですか?」


 長青の冷静な反論に、十世は何も言えなくなった。

 確かに、日輪殿にちりんでんが南那国に落とされるまでは、そうだったのだ。中立地帯にあるというのは建前で、日の巫女の威光を使い筑紫を仕切っていたのは伊那国王だった。


「とにかく、これ以上、兵を出すことは出来ません。ヒオク王子にそう伝えて下さい」


「お伝えはしますが、彼が聞き入れると思いますか?」


 長青にそう問われて、十世は首を振った。例え聞き入れられなくても、この場で首肯しゅこうする訳にはいかない。ただの時間稼ぎにしかならなくても、とにかく今は長青を追い返さなければならない。


「例えヒオク王子が聞き入れてくれなくても……あなたが伊那国ではなく、日の巫女に力を貸してくれるなら、なんとかしてくれるはずだわ」


 苦し紛れの言葉を放つと、初めて長青の口元に笑みが浮かんだ。


「検討してみましょう」

 深々と礼をし、長青は静かに広間を出て行った。




「はぁー」


 気が抜けた途端、どっと疲れが押寄せて来た。足を崩して首筋を揉んでいると、扉前の回廊に浅葱色の衣を着た女官が膝をついた。

 目の細い女官こと、山吹やまぶき。彼女はアカルの一番近くにいて、依利比古の事情にも詳しい唯一の女官だ。安波岐の宮に住むようになってから、十世が巫女以外の側仕えを指名したのは彼女だけだった。


「十世さま、宇奈利うなり宵芽よいめが参っております」

「ああ……通してちょうだい」


 十世が頷くと、ややあって、宵芽が姿を現した。と言っても、彼女は頭から足の先まで白布に覆われている。見えるのは、白布の間から僅かにのぞく両の目だけだ。


「十世さま……お疲れの所、申し訳ありません」


 入口でぺこりと頭を下げて、宵芽が広間に入ってくる。


「いいのよ、座って。それより、かえでさまの具合はどう?」

「それが……」

 

宵芽は口ごもった。いつも身に纏っている陽の波動がしぼんでいる。


「良くないのね」


 十世も重いため息をついた。

 楓に頼まれるまま、十世は宇奈利の長の座を継いだ。初めの頃こそ、楓から宇奈利の教えを受け継いだり、互いの違いを討論したりも出来たが、冬の間に楓の体は急速に衰えていった。あれから一年。よくもったと、考えるべきなのだろう。再びやって来た冬を前に、楓はこの世から去ろうとしている。


「結局……魂乗せの儀式は中途半端なままね」


 宵芽の魂を鳥に移すには、楓の助力が必要だと聞いた。だから政務の合間を縫って、十世は出来る限り楓から魂乗せの方法を習おうとした。しかし、赤子を生んだばかりの愛良は育児に忙しく、十世は彼女の代理として公務を執り行うことも多かった。


 楓の方も、魂乗せよりも宇奈利の長の引継ぎを優先したいと言い、実際に宵芽を鳥に移す儀式を試せないまま、楓はとこについてしまった。


「宵芽は、早く朱瑠を探しに行きたかったでしょう?」


 己の力不足で、宵芽の力を発揮させてやれないことを、十世はずっと悔やんでいた。

 しかし、宵芽は静かに首を振った。


「それはいいんです。今は、楓さまの傍を離れたくないから……でも、楓さまがお山へ昇ったら、あたしを十世さまと一緒に東へ連れて行って下さい。東へ行けば、朱瑠に会える気がするんです」


 大きな黒い瞳に決意を滲ませる宵芽を見て、十世は頷いた。


「いいわ。一緒に行きましょう」

「────その時は、私も連れて行って下さいましね」


 回廊から、盆を手にした山吹が入って来た。盆の上には湯気の立つ片口の茶器に器が三つと、干し柿の乗った皿がある。


「疲れた時には甘いものです。さ、一緒に頂きましょう」


 盆を床に置いて、山吹はさっさと茶を注ぎ分け、干し柿の皿を真ん中に置く。


「お前も……東へ行きたいの?」


 十世が目を丸くして訊くと、山吹は当然とばかりに顎を突き出す。


「もちろんです。私は、依利比古さまが五歳の時からお世話申し上げて来たのです。何が起きているのかわからぬままでは、心配で心配で仕方がありません。朱瑠のこともそうです。あの娘の無事を確認せぬままでは、心が落ち着かぬのですよ」


 山吹はそう言うと、干し柿を手に取りパクリとかぶりついた。

 十世と宵芽はクスッと笑った。いつの間にか重苦しい空気は消えていた。


「私たちにこんなに心配してもらったら、朱瑠もおちおち死んでなんかいられないわね」


「あはは! そうですね。絶対生きてます!」



 その夜は、三人で夜を明かした。

 朝陽が登るほんの少し前に呼ばれ、楓の部屋に走った。

 皺深い顔に笑みを浮かべたまま、宇奈利の長は静かに旅立った。

 薄明の空に、隼人の狗吠が悲しげに響き渡った。

  

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