十三 戦いの行方


依利比古いりひこ!」


 アカルは駆け寄った。

 韴之剣ふつのつるぎと渦巻く闇がぶつかった瞬間、依利比古と炫毘古かがびこは何かに弾き飛ばされたように、背中から地面に倒れ込んだ。

 衝撃のせいか、依利比古は呆然と宙を見上げている。


「依利比古、怪我は?」


 肩をつかんで揺さぶると、彼はハッとしたようにアカルを見上げた。


「……何が、起きた? 炫毘古は?」


「わからない。けど、向こうも今の衝撃で倒れてる。なぜ私を庇った? あんたは私を憎んでただろう?」


 依利比古の行動が理解出来なかった。かつてアカルのことを裏切者だと断罪した彼が、なぜ自分を庇うような真似をするのだろう。

 立ち上がれずにいる依利比古をアカルは力一杯引っ張った。少しでも安全な場所に移動させたいのに、彼はまだ呆然としている。

 さっきの衝撃がよほど大きかったのか、少し離れた場所に座り込んだ炫毘古も、同じように呆然とこちらを見ている。


「依利比古、しっかりしろ!」


 もう一度肩を揺さぶると、依利比古はのろのろと首を振った。


「私は、おまえを恨んでなどいない…………確かに豊比古とよひこは、波海なみを憎んでいたかも知れない……いや、違う。そうじゃない。憎みたかっただけで、本当は愛していたんだ────波海も……会った事のない矢速やはやのことも、私は愛していたんだ。

矢速はもう一人の私だった! 彼が居ることで、私も耐えることが出来たんだ!」


 依利比古の静かな呟きは、次第に熱を持った叫びに変わっていた。


「────父は、私の前ではお前を褒めていた! あの人は、二人の息子を競わせ、力を示した者を後継とするつもりでいたんだ! 自分が一番大事な人だった。

我らは父に踊らされ、互いを憎んだ! でも……お前が死んでから、私は本当に一人だったんだ……」


 依利比古が叫ぶと、白銀しろがね色だった炫毘古の瞳が元の黒い瞳に戻った。しかし、憎しみの炎は消えていない。


「お前には姉妹きょうだい波海なみがいたじゃないか。俺には血を分けた兄弟も、許嫁もいなかったぞ!」


「それは……波海と私が同い年だったせいだ。私たちの年齢が逆だったら、波海はお前の許嫁だったはずだ────どちらにしても波海は国を出て行った。

 彼女を失った私は、恨みと怒りに心を蝕まれた。那国が分裂したのは父のせいだが、南那なな国に鉾を向けたのは……あの五十年戦争を引き起こしたのは私だっ!」


 依利比古の告白に答えたのは、炫毘古の呆れたような吐息だった。


「今さら、懺悔か?」

「っく……孤独だったのはお前一人じゃない!」


 言葉による戦いは終わりが見えない。

 当事者以外は立ち入ることが出来ない、魂の叫びのようなやり取りだ。

 けれど、忘れてはいけない。さっき炫毘古は何と言った。


 ────山神は、人は滅ぶべきだと言った。

 ────俺は山神に力を貸すことにした。

 ────依利比古を贄に選んだのは山神だ。

 ────山神は人を見限った。


 山神、山神、山神、すべて山神だ。


「くっ……二人とも落ち着け! 過去の恨みごとに因らわれてる場合じゃない。何かがおかしいと思わないのか?」


 依利比古の腕をつかみ、アカルは叫んだ。


「私たちは、まるで、お前の復讐のために生まれ変わったみたいじゃないか! 

 山神は一体何がしたいんだ? 豊比古が戦を起こしたから、依利比古を贄に選んだって? そんなことする前に、どうして山神は、豊比古の前に現れて戦を止めなかった? わざわざ依利比古を唆して、もう一度世を乱して何がしたい? 山神はあんたに何て説明したんだ?」


 アカルが叫ぶと、炫毘古の腕が僅かに震えた。腕に突き刺さったかんざしのせいで、まだ闇色の血が流れ続けている。


「はっ……まだわからないのか? 山神は、もう一度人に機会を与えてやるつもりだったんだ。俺に唆されても戦を起こさなければ、山神は考え直そうとしていたんだ!」


「本当に? 山神がそう言ったのか? 最初から、人は滅ぶべきだと言ったんじゃないのか? 人の世を混乱させるために、山神はあんたを利用したんじゃないのか?」


 一連の出来事すべてに途轍もない悪意を感じる。


「俺は自分で山神に手を貸すことにしたんだ! 利用されてなどいない! 俺は神使しんしとして、この現世うつしよに手を下しているんだ!」


「……本当にそう思っているのか? 私はあんたの話を聞いてから、自分が山神の手で配置された駒のような気がして……すごく不快だよ!」


 依利比古と同じ時代に生まれ、再会したことまで、裏に山神の意図が隠れているような気がするのだ。


「もう、終わりにしないか? 一度山神から離れて考えてみてくれ。事の善悪はともかく、私と依利比古は今の時代を生きている。山神が滅ぶべきだと言ったからって、なぜ言葉通りに滅ばなきゃならないんだ? 人は何度だってやり直せる。互いに助け合って生きることだって出来るんだ。きっと戦のない世を作ることだって出来る。 そう思わないか? あんたもやり直せる。冥府へ行って、もう一度この人の世に生まれてこい!」


 カッと目を焼くような光が、炫毘古の腕から放たれた。よく見ると、その光はアカルの作った霊木の簪から放たれている。

 あまりの眩さに目が眩み、光から目を背けた瞬間足がよろけた。


「大丈夫か?」


 立ち上がった依利比古が、腕を伸ばしてアカルを支えてくれた。

 自分の方が大怪我をしているくせに、依利比古は憑き物が失せたように澄んだ目をしている。


「大丈夫。ありがとう」


 強烈な光が徐々に弱まって、アカルはもう一度炫毘古に視線を戻した。

 そこで、ようやく彼の異変に気づいた。

 霊木の簪が光ったままずぶずぶと腕の中に吸い込まれてゆく。炫毘古の体も光り始めている。


「何だ……これは……」


 炫毘古は、光り出した自分の両手を呆然と見つめている。


(これは……もしや)


 アカルは依利比古の手を放すと、炫毘古に駆け寄った。

 光る彼の手を取り、ぎゅっと握りしめる。


「大丈夫だ。光の導くままに行け。そしてもう一度生まれて来い。何なら、私の所へ来てもいいよ。必ず生んでやる」


 最後の言葉を耳元に囁くと、炫毘古が驚いたように目を瞠った。


 生き物が脱皮するように、月弓の体から炫毘古の幽体が浮かび上がる。同時に、月弓の体が足先から黒い砂となって崩れ落ちてゆく。

 雲間から下りてきた光の柱を、炫毘古は呆然と見上げた。


「そのまま光を目指せ。人の子としてもう一度生まれてくるお前を待ってる!」


 完全に浮き上がった炫毘古の幽体は、幼い矢速の姿をしていた。

 光を見つめたまま、スーッと空へ昇ってゆく。


「────あの光は、冥府に続いているのか?」


 いつの間にか、アカルのすぐ後ろに依利比古が立っていた。


「たぶんね」


 確証があるわけではない。ただ、兼谷が逝ったときも同じようだった。

 アカルは空に昇ってゆく矢速の姿を見送った。

 光と共に矢速の姿が見えなくなると、ガクンと膝から力が抜けて、その場に座り込んだ。

 体が重かった。気が抜けたせいか、疲れと眩暈が襲ってくる。


「これで、終わったのか?」


 アカルの隣に依利比古も座り込んだ。彼も疲労の色が濃い。


「わからない。けど、矢速はもう大丈夫だ」

「そうか……一つだけ訊いて良いか? 奴に、最後、何を言った?」

「最後って? 何だったかな? クタクタで頭が回らないや。少し休ませてくれ」


 早く十世たちと合流しなければと思うけれど、体が動きそうもない。霊力は空っぽで、酷い眠気が襲ってくる。

 このまま眠ってしまいたい。けれど、きっとまだ終わっていない。矢速は逝ったけれど、彼を手駒のように使った黒幕がまだ残っている。


「依利比古。傷はどう?」


「脇腹が灰になってるかと思ったが、大丈夫だ。黒い傷痕は残りそうだが、血は止まっている。お前こそ、左腕はどうなんだ?」


「あー、左腕はダメだ。力が入らない。でもあんたの方が重傷だよ。もし山神が来たらどうする?」


 アカルは依利比古を見上げた。傷を負い、疲れ切っている彼にそう訊くのは気が引けたが、このまま終わるとはどうしても思えないのだ。

 実際、チリチリと身の毛がよだつような気配が近づいている。


「山神か……」


 依利比古は苦笑した。


「神と言うが、一体どんな神なのだ? 矢速の復讐心を利用するなんて、とても神の所業とは思えないが」


「まぁ……ね。せっかくだ、訊いてみればいい」


 アカルも苦笑した。

 途端に背筋がゾクリとする。戦慄が止まらない。


(────来る!)

  

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