十四 山神
────ドォン!
空間が弾けるような轟音と同時に、視界が闇に染まった。一寸先さえ見えない真の闇だ。
(間に合って良かった……)
山神が現れる前に
轟音に少し遅れて爆風が巻き起こる。
暗闇の中、体が弾き飛ばされた。すぐ後ろにいた
闇の中で何とか立ち上がると、また眩暈がした。頭の中をかき回され、体から力が抜けてゆく。アカルはぐにゃりとしゃがみ込んだ。
「朱瑠、大丈夫か?」
「ごめん。眩暈が……」
胸の不快感が込み上げてきたが、何とか気力で追い払う。
アカルの背後で依利比古が膝をつく気配がした。
真の闇だ。目の前にかざした自分の手すら見えない。地面はあるが、ここが元の庭園なのか、それとも異空間に飛ばされたのかはわからない。ただ、風と轟音は消えて、暗闇の中は静寂に包まれた。
「山神が……来るのか?」
「たぶん」
色々あり過ぎて神経がおかしくなったのか、もはや恐怖も感じない。
例え神と対峙することになっても、相手は人の世を混乱に導いた張本人だ。恐れれば恐れるだけ侮られる。
「あんたが一番の被害者だ。文句を言う権利はあるよ」
アカルがそう言うと、笑ったような吐息を感じた。
静寂を破るように、ゴォォ────と下からの暴風が吹き荒れた。
頭を抱え、小さく縮こまる。それでも体が浮き上がりそうになると、互いに手を伸ばして支え合った。
突然の暴風は、やはり突然ピタリとやんだ。
恐る恐る顔を上げると、暗闇の中に赤く燃える火龍が浮かんでいた。
「あれが……山神なのか?」
依利比古の上擦った声がした。
そうだとしか思えないが、アカルが答える前に火龍が咆哮した。
『小賢しい真似をするな人の子よ。なぜ
頭の中に直接響く声は、アカルの頭の中をぐちゃぐちゃにかき回した。
酷い眩暈に、頭を抱えてうずくまる。少しでも気を抜いたら意識を失ってしまいそうだった。
横に居た依利比古が立ち上がる気配がした。
「おまえが山神か?」
『そうだ。我は山の神であり、八洲の地底を統べる王だ。愚かなる人の子よ』
「では……矢速を操り、私を破滅へと導いたのもおまえか?」
『破滅へ導く? そなたは自ら破滅への道を歩んだ。我は炫毘古に少しだけ力を貸してやっただけだ』
依利比古と山神の応酬が繰り広げられている。
アカルは頭を抱えたまま、二人のやり取りを聞き逃すまいと必死に意識を保ち続けた。
『────我は、地上の生き物の生死の数を合わせ、滅びぬように心を砕いてきた。人が合い争い、数を減らしても、どうにか滅びぬようにと神々にも助言した。それでも、人は争うのを止めなかった。
人の子の所業に呆れ嫌気がさした時、偶然矢速の魂を拾った。あれは我と同じくらい人を嫌っていた。それで思いついた。人を試してやろうと────。
矢速をそなたの近くへ行かせるため、死にかけの少年を手に入れた。少年の中で眠りについていた矢速の魂を起こすため、
「何だって! お前が十世を操ったのか?」
怒りに震えながら、アカルは身を起こした。
あの壺を開けたことで十世がどれほど苦しんだか、人が喰われる度にどんなに自分を責めたか、神のくせに知らないとでも言うのだろうか。
「いくら神でも、やっていい事と悪い事があるだろう!」
それとも、人ひとりの気持ちなど、どうでも良いのだろうか。それほど、神の絶望は大きかったのだろうか。
「────確かに、人の世は変わった。昔は……人の子が戦う相手は自然そのものだった。
人と人とが争うことなんてなく、むしろ過酷な自然と闘い生き延びるために助け合ってきた。里や国というのは本来そういうものだったはずだ。神々と絆を結びその力を借りて来たのも、過酷な自然に対抗するためだった。
どんなに助け合っても自然に殺されることはある。それは仕方がないと諦められる。けど、他者によって傷つけられたり、殺されたり、自分の人生を捻じ曲げられることは、あってはならないことだった────。
たぶん、あんたが人を見限ったのはそれが原因だろう。この世で唯一、同胞同士で殺し合う人が許せなかったんだろう。でも、あんたは人を試すと言いながら、人を陥れようとした。
神だからって、そんな事をして許されるのか? 人の運命を変えるような真似をしても良いのか?」
力の限りに叫んだアカルの声は、火龍の炎に吸い込まれてゆく。
『そなたのいう事には一理ある。が、神は人の為だけに在るのではない。人に虐げられし草木や獣を助ける為なら、神は人を排除する側に回ることもある────わかるか? そなたが絆を結んだ神々も、人の為の神ではないのだ。
生きとし生けるもの全てに公平であるのは難しい。特に人が理解することは難しいだろう。それはそなたも同じだ。そなたが個である限り、我の考えを理解することは永遠に出来ないであろう』
「個、である限り? 神は個ではないのか? 私の知る古の神々は自然神だった。彼らは個のようだったし、力を失うと消えてしまう存在だった。私の師である岩の巫女は、いずれこの世から神々が消えると言っていた。でもあなたは違う。人に嫌気がして自ら去ろうとしている────」
『そなたが知る神々は精霊だ。人が忘れぬ限り、幾ばくかの精霊はこの世に残るだろう』
「じゃあ、あんたは?」
『神とは均衡を保つ者。すべての生き物の味方であり、敵でもある者。我らはやがて八洲を去るだろう。我はもう、人の生死は合わせない。人はいつか滅ぶべき時に滅ぶであろう────』
火龍の体に纏わりついた炎がボォッと燃え上がった。
炎は波のように闇の空間を走り、すべてを焼き尽くすように広がった。
アカルは手をかざして身を守ろうとしたが、そんなもので避けられるような炎ではなかった。
炎に飲み込まれる寸前に、依利比古の腕がアカルを守るように差し伸べられたのが見えた。それを最後に、ぷつりと意識が途切れた。
〇 〇
気がつくと暗闇は消え、元居た離れ宮の庭園に戻っていた。
もう何処にも山神の姿はない。炎に包まれたはずの体は火傷ひとつない。
アカルはゆっくりと身を起こした。
庭園は藍色の薄闇に覆われていて、今が夕暮れなのか夜明けなのか分からない。
(……時間の感覚がおかしいな)
空に浮かぶ雲も青灰色で、どちらかと言えば夜明けの空に似ている。
「これで……終わったのか?」
すぐ横から依利比古の呟きが聞こえて来た。
「そうらしいね」
山神は人を見限り、ただ去っていった。これ以上人の世に関与する事はないだろう。
ホッとしたせいか、体のあちこちが悲鳴を上げだした。たぶん、依利比古も同じだろう。
「依利比古。脇腹の傷、早く手当てした方が良いよ」
アカルは依利比古に目を向けた。彼は隣に座り込んだまま立ち上がろうとしない。自分が元気なら力を貸してやりたいが、アカルも立ち上がれそうにない。
「────私は、これからどうしたらいいのだろう?」
ポツリと、依利比古が呟いた。今まで聞いたことがないほど、途方に暮れたような声だった。
「何でそんなこと、私に訊くんだ?」
「きみは過去の私も、現在の私の罪も知っている。他の誰にもこんな事は聞けない……」
依利比古は血の気のない顔を歪めて苦笑した。その顔には疲れが滲んでいる。
アカル途方に暮れた。
依利比古には同情するが、それは自分で考えなければいけない事だ。そう思うのに、打ちひしがれている彼を、ただ突き放すことは出来なかった。
「どうすればいいかは、自分で考えなよ。ただ、私は、矢速も豊比古も……可哀そうだったと思う。人の想いや愛情がすれ違ったり、想いの方向を間違えたりすると、とても悲劇だ。だからって、何もかも許される訳じゃない。自分のした事には自分で責任を負わないと……」
「そうだな……確かに、きみの言うとおりだ」
依利比古は驚くほど素直だ。その素直さに、アカルは思わず眉をひそめる。
「あんたが素直だと気味が悪いね。なんか……依利比古らしくないよ」
「らしくない……か。そんな事が言えるほど、きみは私の事を知らないだろ?」
「そうだね。確かに知らないや。私たちは、それほど長く一緒にいたことはないものね」
波海だった時も、互いの国を訪問し合うだけで、同じ時を過ごすことはそれほど多くはなかった。だからこそ、豊比古の心情を察する事が出来なかった。
ふと、愛する人の面影が浮かんだ。
「────まぁ、一緒に居たからって、何でも知ってる訳じゃないけどね。相手が話してくれなければ、知りようのない事だってある」
鷹弥のことだって、知らない事の方が多かった。
「そうだな……」
「まぁ、とにかく自分のやった事の後始末はして……って! 一番初めにやらなきゃいけない事があるじゃない! さっさと戦を終わらせないと! 今すぐ伝令を出して────」
立ち上がった途端ぐらりと視界が歪んだ。
(まただ)
ぐらりと傾いだ体を、依利比古が受け止めた。
「大丈夫か? 山神の炎で障りが起きたのかもしれないな」
「何でもないよ。それより、早く伝令を!」
立ち眩みはすぐに収まったが、依利比古は眉間に皺を寄せたままアカルを見つめている。思い詰めたような、悲しそうな顔だ。
「どうしたの?」
「朱瑠……私の側に居てくれないか? きみにこんな事が言える立場ではないとわかっている。でも、お願いだ。きみが居てくれたら、私はもう二度と道を間違えない!」
縋るような依利比古の目に飲み込まれそうになったが、アカルはすぐに首を振った。
「ごめん。それは無理だ」
前の世でも、波海と豊比古は敵対関係で終わった。今のアカルと依利比古も敵対関係にある。魔物に対しては共闘したが、それは変わらない。それに────。
「────私には、大切な人が居るんだ。依利比古も、本当に大切な人を見つけてよ」
「そうか……」
山影から朝日が差し込み、落胆した依利比古の顔を照らし出す。
依利比古の手は、まだアカルの手をつかんだままだ。
朝日を浴びて、足元に影が伸びる。アカルはぼんやりと二人の影を見つめた。
「依利比古さま!」
「朱瑠さま!」
「返事をして! 朱瑠!」
遠くから、アカルたちを探す声が聞こえて来た。
「ああ良かった。探しに来てくれたね」
立っているのがやっとだったせいか、心の底からホッとした途端に膝から力が抜けた。
ペタンと地面に座り込み、依利比古を見上げた。
「すぐに戦をやめろって伝令を出してね。これからは、北海諸国とも仲良くなってくれるといいんだけどな」
それだけ言うと、アカルは耐えられずに目を閉じた。
「そうだな……来世に期待するよ」
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