十七 軛(くびき)


 鷹弥と黒森たち騎馬隊は、富谷の里に戻っていた。

 アカルは里に戻る途中で意識を失ったままだ。ほむらの城を出てすぐに止血して左腕の血は止まったが、傷を負ったせいで熱が上がり、今も額に汗を浮かせたまま里長の家の屋根裏部屋で眠っている。


「アカル……」


 鷹弥はアカルの額の汗を布で拭き、熱を帯びた頬に触れた。手のひらに伝わる熱さに眉をひそめる。

 怪我の手当てをした里長は大丈夫だと言ってくれたが、熱は少しも下がる気配はない。傍らにずっと付き添っている鷹弥は、心配で食事もろくにとっていない。


(お前はいつも無茶なんだ。もっと慎重に行動しろ)

 アカルが目覚めた途端、そんな風に怒鳴ってしまいそうな自分がいる。


「頼むから、早く元気になってくれ」


 祈るように呟いてから、アカルの唇にそっと口づける。

 カタンと音がした。

 振り向くと、梯子を上って来た美咲がオロオロしている。


「ご、ごめんなさい」

「……いや、構わない。上がってこい」


 美咲は言われるまま鷹弥の近くまでやって来た。美咲が持ってきたお盆の上には、質素な粥の椀が乗っていた。


「兄さまと朱瑠さんは、その……恋仲だったのですね。朱瑠さんから、兄さまを知っていると聞いた時は、そんな風に聞こえなかったから、びっくりして……」

 しどろもどろに言い訳をする美咲を見て、鷹弥は苦笑した。


「いや、アカルは俺のことを兄のようにしか思っていない。俺の片想いだ」


 十年前、小さなアカルを川底から救い上げた時から、鷹弥は同じ渡海人の子としてアカルの面倒を見てきた。そうする事で、岩の里にいる自分を肯定したかった。

 だんだんと成長してゆくアカルは、いつの間にか鷹弥にとってかけがえのない光になっていたけれど、アカルが鷹弥に想いを寄せることはなかった。


「……それは、朱瑠さんが巫女のような方だからでしょう? この世の外を見ることが出来る人は、恋心には疎い方が多いと聞きます」

「なるほど、そうかも知れないな」

 美咲が兄を気遣っているのがわかったので、鷹弥は柔らかな笑みを浮かべた。


応弐おうには死んだが、太丹ふとに王と宇良うらがどう動くかはわからない。お前と母上はこれからどうする? 心配なら姫比きびから逃れる方法もあるが」

 鷹弥の問いに、美咲は首を振った。


「私はここで、哲多てつたさんと一緒に暮らします。もちろん母上も一緒です。大丈夫ですよ。それより兄さまこそ、もう自由になりたいのではないですか?」


 美咲の柔らかな指摘に心臓が脈打った。

 鷹弥にとって自由とは、姫比きびくびきから逃れて只人ただびととなることだった。いつもつかみたいと願って手を伸ばすのに、あと少しの勇気が足りなくてつかめないものだった。


「岩の里を出て来た時、俺は、何もかも諦めたんだ。姫比に戻り、宇良の家臣となって手足のように働く。そうするしかないと思っていた──だが、阿知宮あちみやにアカルが現れた時、俺はまだ神に見捨てられた訳じゃないと思ったんだ。アカルはただ、盗賊に攫われた子供たちを助けに来ただけなのにな」


「私たちも……朱瑠さんが来てくれたお陰で、助けてもらうことが出来ました。ほむらの城も落ちて、もう応弐に怯えなくてもいいのです。本当に、神様が朱瑠さんを遣わしてくれたみたい。不思議だわ」


 夢見るようにそう言ってから、美咲はハッと両手で口元を覆った。

「子供たちを助けたのなら、朱瑠さんはもう帰ってしまうの? 兄さまはどうするの?」


「まだ、シサムという男の子の所在がわかっていない。あの子を探すまで、アカルは帰らないだろう」

「それなら、早く怪我を治さないとね。この里で朱瑠さんを預かりましょうか?」

 美咲の提案に、鷹弥は首を振った。

「いや、阿知宮に連れて帰る」


 富谷の里に居た方がアカルの身は安全かも知れないが、元気になればすぐにシサムを探しに飛び出していくだろう。行方のわからないアカルを探すのはもう懲り懲りだった。無事を確かめるまでの恐れと苛立ちをもう一度繰り返すくらいなら、鷹弥はアカルの傍を離れない方を選ぶ。

 しかめっ面になった鷹弥の顔を覗き込んで、フフフッ、と美咲が笑った。


「私、兄さまの想いが叶うように祈っています。絶対に朱瑠さんを放しては駄目よ。兄さまはいつも他人の事ばかり優先し過ぎるのだから、自分の事をもっと大切にしなきゃ!」

 美咲の顔を見ながら、鷹弥は目を見張る。

「岩の里のばば様と、同じことを言うんだな」


 目の前にいる可憐な妹と、頭に思い浮かんだ岩の里のギョロ目の婆さまを見比べて、鷹弥は笑った。そして、そんな風に笑えた自分に驚いた。

 姫比に戻ってから、こんなに穏やかな気持ちになったのは初めてだった。


「朱瑠さんは私が見ていますから、兄さまはそれを食べて、下にいる黒森さんの所へ行って下さい。交代で城を見に行った隊が戻って来たのですって」

「わかった」

 鷹弥は表情を引き締めてうなずいた。




 ──富谷の里に戻った後、鷹弥は黒森たちに阿知宮へ戻るように命じたが、予想通り、黒森は鷹弥の命令には従わなかった。


「阿知宮に戻るより、富谷の里で休ませておいた兵に案内をつけて、ほむらの城を見に行った方が良いんじゃないですか?」


 黒森は、焔の城の状態を正確に把握して、盗賊の生き残りや、奪われた物が残っているか確かめた方が良いと言った。

 確かにやるべき事だと思ったから、鷹弥も反対はしなかった。




 食べ終えた粥の器を持って梯子を下りると、黒森の姿を探して里長の家を出る。

 広場に出るとすぐに門の前に立つ黒森の姿を見つけた。


「黒森!」

 声をかけると、副官らしき男に指示を出しながら黒森が戻って来た。

「鷹弥さま、焔の城を見に行かせた者たちが帰ってきました。倉にあった米などを持ち帰って来たので、ここの倉に入れましょう。どこから奪い取った物かはわかりませんが、取り返せるものは取り返しておいた方がいいですよ」

「そうだな。この里も冬の心配が減るだろう」


 黒森の采配に、鷹弥は驚くだけだった。門の外からは次々と米俵を背負った男たちが入って来て、今まで遠巻きにしていた里人たちも見物に来ていた。

「焔の城の建物は、ほぼ半壊状態でした。倉から物を持ち去った形跡があったようですから、生き残りはかなりいると思っていた方がいいですね」

「そうだな」


 鷹弥は、黒森の日に焼けた逞しい顔をじっと見た。

 黒森たちが勝手について来たとは言え、姫比の武人が、宇良の配下だった焔の一族に関わるのは危険なことだ。


「誰かに見られたか?」


「いいえ。大丈夫です」

 黒森は自信満々だ。

「昨夜は闇の中でしたし、生き残っている盗賊たちは、化け物が焔の城を落としたことを知っています。今日は兵たちに、盗賊になったつもりで行くよう命じておきましたし、そもそも我々は騎馬訓練に出ただけです」


「宇良に疑われるかも知れないぞ。あれでも一応、焔の一族を配下に従えていたのだからな」

 鷹弥が反論すると、黒森は片頬を歪ませてニヤリと笑った。


「ご心配なさいますな。我らはこれでも、先王の死に疑問を抱きながらこの十数年を過ごしてきたのです。疑われるようなヘマは致しません」

 黒森の言葉に、鷹弥は息を呑んだ。


「父上の死に……疑問?」

「はい」


 黒森は神妙な顔でうなずく。

 その真剣な顔を見ながら、鷹弥は自分がまだとおにもならない少年だった頃を思い出していた。


 狩りに出かけた父の突然の死。

 嘆き悲しむ母とまだ幼い妹と一緒に、山の上のもがりの宮で過ごした長い冬。

 亡き父に代わって叔父が王位を継いだと聞いたのは、山を下りて津山の離宮に連れて行かれた後だった。

 あの頃の鷹弥は、叔父が王位を継ぐことに疑問を持たなかった。十にも満たない自分が王になる事など考えもしなかった。ただ、その後の生活には疑問を抱いた。父がいない者はこんな扱いを受けるのか。住む場所や食べる物のためには、嫌なことでも従わなければならないのか。

 それまで王の長子として暮らしてきた鷹弥にとって、それは屈辱的な生活だった。


 ──もしも、父の死に疑問があるのだとしたら、それは王位を継いだ叔父の仕業なのだろう。


 聞かないのか、と黒森の目に問われている気がした。


 父の死の真相を知りたい。けれど、知ってしまったら、永遠に姫比のくびきからは逃れられない──そんな気がしてならなかった。

  

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る