十三 闘犬
パチパチと燃える篝火から、火の粉が飛んだ。
篝火に照らされた広場の中央は、格子状に組んだ竹の柵で四角く囲われていて、
周りに集まった大勢の男たちが、酒を酌み交わしながら大声で騒いでいる。
その声に答えるように、柵の中に両手を縛られた男が引きずられて来た。
「戦う準備はいいかぁ!」
「よぉよぉ、俺たちを楽しませてくれよ!」
即席の闘技場を囲む男たちから声がかかり、どっと笑い声が沸く。
「連れてこい!」
「こいつはもう何日も餌を食ってねぇ。何でもいいから食いたいはずだ。せいぜい噛みつかれないように戦うんだな!」
応弐がニヤニヤ笑いながら腕を振り上げると、手下が犬の首に掛かっていた縄を解き、竹の柵の隙間から中へ押し込む。
解放された犬が土を蹴散らすように柵の中に飛び込んでゆくと、柵の隙間はぴったりと閉ざされた。
男と、餓えた犬の戦いが始まった。
口から涎を滴らせた犬が、両腕を縛られた男に向かって跳躍する。すると、それまで微動だにしなかった男がゆらりと動いた。
縛られた両腕を、飛びついて来る犬に向かって勢いよく振り上げる。
男の腕が顎に当たった犬は弾き飛ばされたが、空中で体をひねりながら見事に着地した。
グルルルル
一撃を食らって用心深くなった犬が、男の周りをぐるぐると回りはじめる。
互いに相手の様子をうかがいながら間合いを測っている。
冬だというのに男の額には玉のような汗が噴き出している。無精ひげに覆われたその顔は、薄汚れているがまだ若い。
縛られた両腕をゆっくりと上げて男が額の汗を拭うと、伸ばした腕で視界が狭まった一瞬の隙を突いて、犬が再び跳躍する。
涎を撒き散らしながら正面から飛びかかる犬に、男が体勢を崩して仰向けに倒れ込んでゆく──。
〇 〇
体がガクンとなって、アカルは目を覚ました。
どうやら、いつの間にか居眠りをして、夢まで見ていたらしい。じっとりとした嫌な汗が体に纏わりついている。
きっと外の声に引きずられたのだろう。男が犬と戦っている夢を見た。しかもその男は、アカルの知っている人だった。
「可笑しな夢だな。何で
兼谷はアカルの命を狙っている
彼を避けるために、岩の里へ帰る前のアカルは姫比国へ行くふりをしていた。だから、兼谷が姫比に来ていたとしても少しも不思議ではなかったが、あの男が盗賊に囚われているとは思えなかった。
ただの可笑しな夢だ。
そう思うのに、どうしても笑い飛ばすことが出来ない。
「まだ夜は明けてないよな。外はどうなっているんだろう?」
人の気配はするものの、もうお祭り騒ぎは終わったのか静かなものだった。
アカルは格子の向こうを眺めた。
通路の近くだけは外の明かりが差し込んで、少しだけ明るい。
ぼんやりと石段の方を見ていると、外からふわりと黒い煙が流れ込んできた。
その煙が通路の中央で一つにまとまると、闇色の人型に戻った。
(こいつは一体、何なんだろう?)
アカルは眉をひそめて闇人を見上げた。
さっき見た時よりも大きくなった気がする。
「お前は、何者なんだ?」
問いかけても闇人は答えない。すぐそばに立っているのに攻撃してくる気配もない。ただ冷たくて、ゾクリとする空気を纏っているだけだ。
「私に用があるなら、突っ立ってないで何とか言えよ!」
アカルが怒鳴ると、闇人の細長い腕がゆっくりと持ち上がった。先端で一本だけ伸ばされた指のようなものが、アカルの胸を指さす。
「私? 私が何だ、はっきり言え!」
口がきけないのか、アカルに闇人の声を聴く力が無いのか、闇人はアカルの胸を指さしたままじっと佇んでいる。
「いったい何なんだよ!」
アカルが癇癪を起こしたとき、石段を下りて来る足音がした。
「うるさいぞ。何を喋っている?」
松明を持った手下を一人連れて、応弐が石段を下りて来た。
「喋る相手などいないだろう?」
応弐の姿を見て、アカルは閃いた。
「ここには化け物がいます。人の形をした黒いモノです。私をここから出してください!」
怯えた娘のふりをして応弐に訴える。
「人型の黒い化け物だぁ?」
応弐は手下と顔を見合わせると、大声で笑った。
「そりゃあいるだろう。ここではたくさん死んでるからな。恨み辛みもあるだろうさ」
応弐たちは怖がる素振りすら見せない。
「あなた達には見えないんですか? すぐそこにいるのに」
パッと手下のすぐ横を指さすと、手下がヒィっと変な声を上げて飛び退いた。
「ほかの場所に移してください! 一人でここに居たら気が変になってしまいます!」
「ふーん、なら、俺の寝屋に来るか?」
ニヤニヤ笑いながら応弐が目を細める。
その残忍な顔に一瞬たじろいだが、牢から出られる機会を逃す気はなかった。
「こ、ここから出られるなら、どこへでも行きます」
そう答えるなり、応弐の笑い声があはははっと響いた。
「生憎、俺はお前のような小娘は好みじゃないが、ここには餓えた狼どもが大勢いる。そいつらの寝屋でたっぷり可愛がってもらえ。化け物と狼ども、どっちが本当に恐ろしいか、自分の体で確かめてみるんだな」
応弐が顎をしゃくると、手下が
「出ろ!」
手下に促されて格子戸をくぐったものの、一歩踏み出すたびに足が震えた。
ここは盗賊たちの根城で、一旦入ればいつ襲われてもおかしくない。そんなことは最初から予想していたし、里の子供たちを助ける為なら構わないと、その覚悟だってして来た。
それなのに、応弐の言葉を聞いて全身に鳥肌が立った。
(覚悟が……甘かったな)
よほど青ざめた顔でもしていたのか、応弐がアカルの顔を覗き込んで嫌な笑みを浮かべる。それは、他人の怯えを楽しむ嗜虐的な笑みだった。
「来い」
応弐に腕を引かれて石段を上がった。
すぐに手下たちの溜り場に連れて行かれるのだと思っていたら、応弐は広場の建物から離れ、暗い林の中へと入って行く。
林の先に
思わず口を押えると、応弐はますます面白がるようにアカルの腕を強く引いた。
逆茂木に近づくにつれて臭いはどんどん酷くなる。腐ったゴミのような、獣のような臭いだ。
「ここから下を見てみろ」
応弐はアカルを逆茂木の隙間に立たせた。
手下が松明を掲げて暗闇を照らす。
恐る恐る中を覗くと、小屋のある場所は逆茂木よりも土が掘り下げられ、地面は随分遠かった。
強烈な悪臭に口元を押さえながら目を凝らすと、黒っぽい獣が何かに喰らいついているのが見えた。力任せに肉を剥ぐ音、クチャクチャと咀嚼する音も聞こえる。
手下が、備え付けてあった篝火に一つ、また一つと火をつけてゆくと、明るくなった地面に転がされた男の姿が見えた。
黒っぽい衣は引き裂かれてボロボロになり、筋肉の盛り上がった体にはたくさんのまだ新しい刀傷があった。それとは別に、腹のあたりには食いちぎられたような暗い穴があり、その穴からは、てらてらと光に反射する赤い内臓がはみ出していた。
全身から血の気が引いた。
冷たい汗が噴き出し、頭がくらくらした。
悪寒と共に臓腑が持ち上げられるような感覚がした途端、アカルはその場にしゃがみこんで嘔吐した。
転がされていたのは一人だけだったが、その周りにはたくさんの骨が散乱していた。頭蓋骨もたくさん転がっていて、そのほとんどが人骨だった。
(あんなに、たくさんの人が喰われたのか……)
恐ろしい光景だった。
これなら、怨念が凝って人型の化け物になったところで、少しも不思議ではない。
「あ……あの人は?」
「あれは、俺の手下と戦って負けた男だ。役に立たない男だったが、死ねば犬の餌になる」
応弐は心底楽しそうに笑う。
(なんて奴だ……人間のクズだ!)
心は怒りでいっぱいなのに、体の震えが止まらない。
アカルは悔し涙を浮かべたまま応弐を睨みつけた。
「怖いか? 心配すんな。お前をここに放り込んだりはしないさ」
応弐は再びアカルの腕をつかむと、来た道を戻り始めた。アカルは来た時よりもさらに足が震え、力が入らなくなった足は何度も地面に膝をつきそうになった。
「お頭ぁ、この娘は俺たちに下げ渡してくれんだろ?」
篝火を消して追いついて来た手下が、アカルの衣をつかんだ。
「気が変わった。こいつを虐めるのは結構面白い。俺が飽きるまでは手ぇ出すんじゃねぇぞ。西の地下牢に入れておけ」
手下を威圧するようにそう言うと、応弐は自分の館に戻って行った。
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