十一 地下牢
足が冷たくて、アカルは両足をこすり合わせた。
腹を立てた
外は日が暮れてきている。
時折ぱらぱらと降っていた雨はもう止んでいたが、寒さはずっと増していた。
外廊下からは建物に囲まれた中央の広場が見える。
広場には大きな篝火が円を描くように配置されていて、篝火の周りでは、男たちが賑やかに話しながら酒を飲んでいる。
風に乗って夕餉の匂いが漂ってくると、アカルのお腹はキュルキュルと不平を漏らした。
(昨日の夜祭りで、もっと食べておくんだったなぁ)
あの夜祭りから、まだたった一日しか経っていない。
(あれから、水しか口にしてないな)
お腹が空いているせいで余計に寒さが身に染みる。
膝を抱えてうずくまっていると、手下らしき男が来て乱暴に縄を解いた。
「来い」
引きずられるようにして葦簀で仕切られた部屋に入る。
夕餉を食べる応弐の横に、緊張で固まった
「お頭、連れてきました」
「おう」
応弐の前に投げ出されたアカルは、角石の方を盗み見ながら座りなおした。
「こいつを覚えてるか? お前に荷物を盗られたらしいんだ」
「へっ……へぇ。いやぁ、あんまり覚えてないんですが、金目のもんなんか一つも無かったと思いますよ」
応弐の質問に、角石はたどたどしく答える。汗をかき、視線は救いを求めるように泳いている。
「まぁ、そうだろうと思ったが、どうしてこいつを攫って来なかったんだ? お前が連れて来た子供四人よりは、こいつの方がまだ売れたかもしれねぇのによ」
「い、いやぁ、あの時は、こんなきれいな衣は着てなかったですし、もっと薄汚れて小汚い娘だったんですよ!」
角石は必死に弁明する。
「へぇ、じゃあそれは貰った衣か。あの里じゃずいぶん良くしてもらったようだが、結局は盗賊の餌食になる運命だったようだな」
応弐はクックッと笑った。
「まぁいい。興が冷めた。誰か、この娘を北の地下牢へ連れてけ!」
「お、おお、俺が連れて行きます!」
応弐の手下が来る前に、角石が立ち上がった。
「何だ、逃した獲物に未練か? まさか手ぇ出すつもりじゃねぇだろうな? ちゃんと牢へ連れてけよ」
「も、もちろんです! ほ、ほら来い!」
角石はぺこぺこしながらアカルの腕をつかむ。アカルは素直に立ち上がり、角石に手を引かれるまま歩いた。
篝火の焚かれている広場の端を通って建物の裏側へ行くと、辺りは途端に暗くなり人の気配も遠のいていった。
「話を合わせてくれて助かったよ。ありがとう」
「あ、あんたは一応、命の恩人だからな。
アカルの腕を引きながら、角石は小声で問いかけてくる。
「そうだ。これから行く地下牢に居るといいんだが……」
「悪いが、あんたを逃がしてやることは出来ねぇぞ。俺もまだ命が惜しいんだ」
「大丈夫だ。自分で何とかする。ああでも、何か食べ物をくれると嬉しいな。腹ペコなんだ」
アカルがそう言うと、角石は膝の力が抜けたようにガクッとよろめいた。
「わ、わかったよ。後で何か持っていく。ここが地下牢だ」
大きな建物の前で角石が立ち止まった。その建物は横に長く、
角石はその半地下へ続く石段を下りはじめた。
入口から真っすぐに続く通路の両側に、木の格子で仕切られた牢があった。暗くて良く見えないが、牢の中に人の気配はない。
「入ってくれ」
申し訳なさそうな顔をしながら、角石が牢の戸を開ける。
「ここには誰もいないのか? 牢はここだけか?」
「いや、もう一つある。だが、あんたをここへ入れろと言われたんだ。頼むから入ってくれよ。食い物は何とかするからよぉ」
情けないほど顔を歪ませて角石が懇願する。
「……わかった」
アカルが牢の中に入ると、角石は戸を閉めて
角石が出て行ってしまうと、暗い地下牢には不気味な静けさが漂いはじめた。
広場にいる盗賊たちの話し声も、まるで水の中にいるような不明瞭な音になってしまう。
地下牢の床に座ってアカルは膝を抱えた。
外廊下にいた時よりは格段に暖かいけれど、肌が粟立つような嫌な寒気を感じる。
通路を隔てた向かい側の牢をぼんやりと見ていると、まるで闇が凝ったような黒い人影が見えた。
ゾクリ──と背筋が震えた。
アカルと同じように牢の中にうずくまる闇色の人影は、かつてここで命を落とした人の魂か、怨念が凝ったモノだろう。とにかく生きている人ではない。
(目を、そらさなければ……)
そう思うのに、どうした訳か目が離せない。
悪霊や怨念のようなものと同調すれば、魂を引っ張られたり体を乗っ取られたりすることもある。こういったモノと出くわした時には、相手が気づかぬうちに目をそらすことが大事だ。なのに、アカルは黒い人影に吸い寄せられたように目が離せない。
(いけない)
そう思った時、
ゆらりと立ち上がると、ゆっくりとした足取りでこちらへ向かって来る。
向かい側の牢屋の格子をすり抜け、わずかに光の射す通路に出ると、その場に佇みながらアカルをじっと見ている。
目も口も鼻もない闇一色の顔なのに、ニヤリと笑ったような気がした。
闇人から目が離せないまま、アカルは無意識のうちに懐に手を差し入れ、削り花用の小刀をぎゅっと握りしめた。
睨み合ったまま時間だけが過ぎてゆく。
それが長い時間だったのか、ほんの一瞬だったのかはわからない。
やがて、闇人の顔がフイッと出口の方へ向くと、頭の先からだんだんと形が崩れて黒い煙のようなモノになると、スーッと外へ出て行ってしまった。
闇人が消えてしまうと、膜がかかったように不明瞭だった外の音がはっきりと聞こえるようになった。
「──お前が勝てば解放してやる。命が惜しければ戦えっ!」
何かをけしかけるような応弐の声が聞こえ、囃し立てるような男たちの笑い声が聞こえた。
「何をやってるんだろう?」
立ち上がって格子のそばへ行くが、外は見えない。
イライラしていると角石が戻って来た。手に竹筒と木の器を持っている。
「食い物持ってきたぜ」
「ありがとう。外で何をやってるの?」
「あれは、応弐の悪趣味な遊びだ」
角石は髭だらけの顔を歪ませた。
「捕まえたけど売り払えなかった奴や、
角石は小声で吐き捨てるように言った。
「ほら、早く受け取ってくれ」
「あ、ああ……」
格子の隙間から竹筒と器を受け取ると、角石は逃げるように出て行ってしまった。
木の器には骨付きの肉と雑穀の握り飯が乗っていた。
「人を殺して楽しむ……か」
応弐が始めた殺し合いも、外に出て行った闇人のことも気になったが、牢から出られるわけではない。アカルは腹ごしらえをしようとその場に座り込んだ。
ゆっくり竹筒の水を飲み、握り飯を一口かじる。
さっきまでは確かに感じていた空腹感は、もうどこかへ行ってしまっていた。
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