五 西都(さいと)


「おかわり!」


 格子の向こうに立つ炊屋かしきやの少女に、アカルは勢いよく、空になった粥の椀を突き出した。少女は戸惑いながら、そっと椀を受け取り、牢屋敷から駆け出して行く。


「……良く食べるな」


 傍らに座る依利比古いりひこが呆れ顔で呟くと、アカルは半分に細めた目でチラリと彼を見返した。


「腹ペコなの。悪い?」

「いや。元気そうで何よりだ。それより、質問にはちゃんと答えてくれないか?」


 座敷牢へ来るなり、依利比古は、アカルが握りしめていた呪符のことを訊いてきた。しかし、アカルは呪符を手にした覚えがない。そもそも、記憶が無いのだ。


「だから、何も覚えてないって言ったろ。確かに、奴の頭に張り付いてた呪符を取ろうとしたけど、手が届かなかったんだ……そこから先の事は、よく覚えてない」


 アカルは眉間に皺を寄せて、不機嫌丸出しだ。


「だが、きみは、呪符を握りしめていた。それに、座敷牢から放たれたあの光は何なのだ? きみには守護の使鬼でもついているのか?」


 座敷牢だけでなく、都萬つま国の主要な場所には広範囲の結界が張ってある。使鬼など入れるはずがないと分かっていても、そう訊かずにはいられない。


「私は使鬼なんか使ってないし、わからないことは答えられないよ。こっちが訊きたいくらいだ! それよりさぁ、あの化け蜘蛛に私を襲わせたのは誰なんだ? 都萬の巫女か? それとも王か?」


 アカルは怒りに任せて反撃に出る。


「それは、たぶん十世とよの独断だ」

 そう答えてから、依利比古は面白がるように少しだけ口元を歪めた。

「十世というのは、きみが会いたがっていた巫女だよ。例の、千代姫に呪いをかけた巫女だ。これから十世のいる西都さいとに向かうが、きみが会いたいなら、会わせてあげるよ」


 どうする、と依利比古は首を傾げる。

 アカルは用心深く依利比古の顔を窺った。彼の真意は気になるところだが、アカルは大蜘蛛に殺されかけた今でも、都萬国の巫女に会いたいという気持ちは変わっていない。


「なら……会わせて」


 アカルが答えるなり、依利比古は破顔した。いつもの微笑みだけでは足りずに、あははっと、声を上げて笑っている。


「きみは、どこまでも私の期待を裏切るね。自分を殺そうとした相手に会いたいとは、一体どんな心持ちなんだい?」


「話してみないとわからないだろ? 私は、彼女がどんな立場にいて、どんな気持ちで使鬼しきを差し向けたのか、それが知りたいんだ」


 どんな経緯で、千代姫や自分を殺そうとしたのか。泡間あわいで聞いた、今にも泣きだしそうな声は何だったのか。十世に会って、彼女の口から直に訊きたい。


「ふふっ……十世がきみを殺そうとしたのは、純粋な嫉妬心だと思うけどな。彼女は私に懸想しているんだ。私がきみを都萬国に連れて来たと知って、きみに使鬼を放ったんだよ」


 楽しそうに笑う依利比古の顔には、十世に対する侮蔑の色がある。


「ふぅん」

 アカルは冷めた目で依利比古を見つめた。

「彼女が自分を好きだって、どうしてわかるの?」


「普段の言動を見ていればわかるさ」

「へぇー、すごい自信だね。あんたの勘違いかも知れないとは思わないの?」

「思わないな。私は時々、人の心の声が聞こえるんだ。十世が私を慕っているのは間違いないよ」


 依利比古は楽しげにクスクスと笑う。

 他人ひとを小馬鹿にしたその態度に、アカルは腹が立った。姫比で再会した時から、何となく彼の人となりを理解したつもりでいたけれど、今ほど彼のことを軽蔑したことはない。


「心の声が聴けるなら、私が何を考えているか、わかるよね?」


 挑むように問いかけると、依利比古は肩をすくめた。


「残念だけど、きみの心の声は聞こえないよ。でも、きみが酷く怒っていて、私の事が嫌いなことはわかる。きみは特別、感情が顔に出やすいからね────以前、きみは探女さぐめになれないと言ったのは、己を偽ることの出来ないその顔が原因だよ」


「ふん!」


 アカルは怒ってそっぽを向いた。

 ちょうど粥のおかわりを持って炊屋かしきやの少女が戻って来たので、それきり会話は途切れてしまったが、その後も依利比古はクスクスと笑い続けていた。



 不思議な事に、依利比古はアカルとの会話を楽しんでいた。

 今まで、西都で王に会わねばならない時は、いつも鬱屈した気持ちをどうにか鼓舞して向かっていたのに、今は西都に行くのが楽しみでならない。アカルと十世がどんな会話を交わすのか、とても興味があった。


「西都へは船で向かう。きみには出発前に着替えてもらうよ。十世に会いたいなら、女官の指示に従っておくれ」


「……わかった」


 しぶしぶ返事をするアカルに微笑んでから、依利比古は牢屋敷を出て行った。


 〇     〇


 河口にある東都とうとから上流の西都さいとまでは、川船で行った。

 川を遡上する割に、それほど時間はかからなかった。それよりも大変だったのは、船着場から台地上の都へと続く急な坂道だった。


 依利比古は馬でさっさと登って行ったが、女官のお仕着せだという萌葱もえぎ色の衣を着せられたアカルは、同じお仕着せを着た監視役の女官や護衛の武官と共に、急な階段を歩いて上らなければならなかった。


 普段は体力に自信のあるアカルだが、十日間ほど飲まず食わずで眠らされていたせいで体力が落ちていた。

 重い足を引きずるように階段を上りながら、木々の間に見える空を見上げる。良い天気だ。冬枯れの木々の間に点在する、常緑樹の緑が目に眩しい。


(鴉の王は、いなかったな)


 都には結界が張られていても、少し離れれば結界のない場所に出るだろう。川を遡る間に、運が良ければ鴉の王に会えるかも知れない。そんな風に考えていたアカルは、気落ちしたまま西都の門をくぐった。

 高台に造られた西都の王宮は、遠くの山々を背にした大きな高殿と、その前にある広場を中心に、たくさんの高宮が建っていた。

 女官や護衛の武官と一緒に広場で待っていると、中央の高殿から依利比古が姿を現した。彼は難しい顔をしながら階を下りていたが、アカルに気づくと笑顔を浮かべた。


「神殿に案内してあげよう。早く十世に会いたいだろ?」


 高殿に背を向けたまま、依利比古はアカルの手を取って歩き出した。庭園のような林の中からは見えないが、海のある東の方角に向かっている。少し離れて、護衛の武官がついて来ている。


「ねぇ、姫比に来ていた従者はどうしたの? ずっと見かけないけど」

「月弓のことか? 彼は少し体調を崩していたから、東都に置いてきた。どうせ、この西都に長居はしない」

「ふぅん」


 気のない返事を返したが、アカルは月弓が居ないことにホッとしていた。彼の仄暗い気配は苦手だった。

 木立の向こうに、王宮の高殿とはおもむきの違う高楼が見えてきた。大屋根の上に櫓のようなものがある高い建物で、近寄ってみると、正面の入口を囲む太い柱は、鮮やかな朱が塗られていた。


「すごいな」


 きざはしを上りながら朱塗りの柱に目を奪われていると、中から声が聞こえてきた。話の内容までは聞き取れないが、神殿には不似合いな高圧的な男の声だ。

 誰が話しているのだろうとアカルが身を乗り出した時、依利比古がいきなりアカルの口を手で塞いだ。そのまま、攫うように柱の影に身を潜める。


「喋るな。中にいる人間に気取けどられぬようにしろ」


 依利比古の行動は謎だったが、アカルはコクコクと頷いた。


「────ですが、南那なな国の王を呪えるような使鬼は、いま手元におりません。ど、どうか、巫女を集めて、使鬼狩りの許可を……」


 か細い、気の弱そうな女の声が聞こえてきた。


「何だと? いつもいつも使えない奴だな! ええいっ、使鬼狩りでも何でもするがいい。とにかく、出来るだけ早く、南那国の王を殺せ!」


「はい……」


 ドスドスと騒々しい足音を立てて、恰幅の良い男が戸口から出て来た。

 アカルと依利比古は、すぐ横の柱の陰に身を潜めていたが、男は気づくことなく階を下りてゆく。


「父上は……南那国の王を呪殺する気か」

 依利比古が小声で呟く。


「今のが、都萬国の王なのか?」

 顔はよく見えなかったが、依利比古とはあまり似てない気がした。


「そうだ……私は父に話がある。きみたちの会話を聞けないのは残念だけど、一人で十世と会ってくれ」

「ああ。いいよ」

「武官はここに残してゆく。話が終わったら一緒に戻ってこい」

「わかった」


 依利比古が静かに階を下りて行くと、アカルは朱塗りの柱から身を乗り出した。

 扉は開け放たれたままで、その内側にあるもう一つの扉も開いたままだ。

 奥の扉の中に、うずくまる少女がいた。長い髪が床に流れ落ちて顔は見えないが、体が小刻みに震えている。


(泣いてるのか?)


 声をかけるのははばかられる気がして、アカルはしばらく様子を見ることにした。

  

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