十四 運命の神の手


「おい朱瑠! 大丈夫か?」


 揺り起こされて目を開けると、夜玖やくの顔が見えた。どうやら離れ宮の縁台で眠っていたらしい。空はもう暗くなっている。


「夜玖、どうしたの?」

「それはこっちの台詞だ! お前っ、これは何だ!」


 目をこすりながらアカルが体を起こすと、夜玖がずいっと大きな手を突き出してきた。その手の上には、アカルが旅立つつもりで書いた木簡かきおきが乗っていた。


「ああ……それ、失敗しちゃったの。邪魔が入って行けなかった」

「はぁ? どういうことだ?」


 夜玖は説明を要求したが、アカルは答えなかった。持ち帰って来た情報を確認するのに忙しかったからだ。

 確かに美和山へ行くことは出来なかったが、失敗と引き換えに多くの情報を得た。過去視で得た情報の真偽はわからないが、少なくとも炫毘古かがびこ依利比古いりひこと交わした会話は本物で、そこにも重要なことがたくさん含まれていた。


「そうだ! 水生比古みおひこさまにも言っておかないと!」


 依利比古の宣戦布告めいた言葉を、伝えなくてはならない。すでに高志こうし国と戦端を開いているなら、ただの脅しではないはずだ。


「夜玖、水生比古さまに話があるの。取り次いで!」

「ああ……俺もお前を呼びに来たんだ。驚くなよ、ソナ王子が帰って来たんだ。いま水生比古さまに謁見している」

「ソナが?」

「そうだ、お前が居ると言ったら、ぜひ会いたいとさ」




 ソナが帰って来たと聞いて、アカルは混乱したまま斐川ひかわの宮の最奥の門をくぐった。

 本当は、過去視で得た情報をきちんと整理し、一刻も早く尹古麻いこまへ向かわねばならない。水生比古には伝えなければならない話があるが、ソナと話している時間はないだろう。


(西方の話が聞けないのは残念だな……)


 大広間に続くきざはしを上った瞬間、異国の甘い香りがした。開け放たれた扉の向こうに、水生比古と向かい合って談笑する青い衣の青年がいる。


「ああ、来たか」


 アカルと夜玖やくに気づいた水生比古がこちらを向くと、青い衣の青年が立ち上がった。覚えていたよりも日に焼けて逞しくなったソナが、アカルに駆け寄って来る。


「アカル、会いたかったよ!」


 いつの間にか、背の高いソナの胸に抱き寄せられていた。


「ソナ……元気そうで良かった。西方の、先祖の国へは行けたの?」

「もちろんさ! まぁ行けたのは、旧バクトリアの中でも、海に近い町だけどね。向こうはすごく交易が盛んでさ、船も大きくて立派なんだ」

「そうか。今度ゆっくり話を聞かせてよ。今は水生比古さまに話があるんだ」


 アカルはソナの腕の中から抜け出すと、水生比古の前へ行った。

 短い挨拶の後、過去視で手に入れた情報を全て伝えた。

 宵芽よいめが呼びに来たこと。炫毘古の過去を視たこと。そして北海諸国を狙う依利比古の言葉を伝えるうちに、水生比古の顔はみるみる険しくなった。


「お前はどうして……ひとりで危険な真似をするのだ! なぜそう平気な顔をして、敵の懐へ飛び込んだり出来るのだ!」


「別に、自分から敵の懐に飛び込んだわけじゃありません。引き込まれたんです! そんなことより、高志国はどうなっているんですか?」


「そんなことだと? ……高志は今、大王の臣、北の将君いくさぎみを名乗る軍勢と交戦中だ。我が国からも兵を送った」


 水生比古はしぶしぶ戦が起きていることを認めた。


「それじゃ、依利比古が言ったのは本当のことなのですね……水生比古さま、お願いです! もしも與呂伎よろぎが戦に巻き込まれそうになっても、出来るだけ引き延ばしてください。交渉出来るなら、とにかく長引かせて下さい。魔物を斃すことが出来たら、彼は戦を止めるかもしれない。どうか私に時間をください!」


 アカルは必死に懇願した。


「何だと? お前はまだ馬鹿なことをするつもりなのか?」

「魔物を斃す、手がかりをつかんだ気がするんです!」


 炫毘古が矢速やはやなら、きっと過去の因縁が絡んでいる。そこに、必ず魔物を斃す手がかりがある。依利比古だって必ず耳を貸してくれるはずだ。


「手がかり? 気がする? そんなもので魔物が斃せるのか? そもそもお前の視た過去が本当に真実だと言えるのか? 魔物が見せた偽物の記憶かも知れないではないか!」


「それは……」


 水生比古の語気に押されて、アカルは口ごもった。

 過去視の中で波海なみと同化した時、彼女の記憶が奔流のようにアカルの中に流れ込んで来た。あれが全て、炫毘古の罠だとはとても思えない。だが、それはあくまでもアカルの感覚でしかない。


「でも炫毘古は……私に自分の過去を視られるのを嫌がっていました」

「そんな嘘など、いくらでもつける!」


 冷ややかな目で、水生比古はアカルの言葉を撥ねつける。


「どうして否定ばかりするんですか? 水生比古さまは、北海を統べる大国の王でしょ? 戦を終わらせられる可能性を、どうして最初から摘もうとするの? 戦にしない為なら、どんな策でも実行してみるべきじゃありませんか!」


 拳を握り締めて反論するアカルの肩を、ソナがそっと抱いた。


「水生比古さまは、アカルのことが心配なんだよ」

「でも、炫毘古が矢速だって知ってるのは、私だけなんだ!」


 アカルと水生比古が睨み合った時、階を駆けのぼる足音がした。


「申し上げます! 姫比きび国より急使が参り、水生比古さまに謁見を願い出ております!」

「姫比国だと?」


 水生比古は苛立たし気に首をひねったが、アカルは胸が騒いだ。


(まさか、姫比にも大王の手が───)


 どくどくと心臓が早鐘を打つ。


「良い。通せ」


 水生比古が許すと、ややあって姫比国の急使が階を上ってきた。扉の前で片膝をついて深々と頭を下げる。

 背の高い男だ。一介の兵士のような身なりに、やや乱れた頭髪。しかしその姿を見た途端、アカルは息が出来なくなった。

 頭を下げたまま己の身分を告げる急使の声は、もはや耳には届かない。

 ずっと会いたいと思いながら、会いに行けなかった人が、そこにいた。


「鷹……弥」


 喘ぐようにその名を口にすると、ハッとしたように彼が頭を上げた。驚いたように目が見開かれ、アカル、と呟く声が聞こえた。


「あ……」


 拒絶を恐れる心とは裏腹に、アカルの体は鷹弥に駆け寄ろうと一歩踏み出した。

 しかし、ソナの腕に阻まれてしまう。


「駄目だよアカル。彼は使者だ。俺たち部外者は、席を外した方が良い」

「でも……」


 ソナは、アカルの肩に腕を回したまま外に向かって歩き出す。

 扉の前に跪いた鷹弥の横を通り過ぎる間、アカルは鷹弥から目が離せなかった。そして鷹弥もまた、連れ出されてゆくアカルを目で追っていた。


「外で……待ってるから!」


 そう言うのが精一杯だった。

  

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