十五 約束
「────で? さっきの使者はアカルの何?」
大広間のある高殿から離れるなり、ソナはアカルに振り返った。しかし、アカルは高殿の方に目を向けたまま、まだ呆然としている。
「タカヤだっけ。
茶色と緑色がまざり合った美しい瞳が、無理やりアカルの視界に割り込んでくる。好奇心いっぱいの瞳に見つめられて、アカルは思わず目を逸らした。
「鷹弥は、私の……大切な人だ」
アカルは下を向いたまま小さな声で答えた。恥ずかしくて、とても顔を見て答えるなんて出来ない。
「えっ、うそぉ!」
ソナは屈んでいた背を反らせて大袈裟に驚いている。
そんなソナを見上げて、アカルははぁっと嘆息した。
「ソナ……すっかり大人の男になったと思ったのに、なんか変に軽くなったね」
「え、そう? 海の暮らしに慣れたせいかな? でもほら、逞しくなったろ?」
太くなった腕を曲げて逞しい筋肉を見せつける。
「しっかし驚いたな。まさかアカルに好きな男が出来るとは! しかも姫比の武人て、どういうこと?」
わざとらしい溜息をついて、ソナは再びアカルの顔を覗き込んでくる。
「鷹弥は……今は姫比の武人だけど、私の幼馴染なんだ。でも、もう二度と会うことはないと思ってたのに……」
今も胸の動悸が収まらない。なぜ鷹弥は、姫比の急使として
心配な事は色々あるが、胸の動悸の原因はそんな事とは別にあるのだとわかっていた。
(ずっと会いたかった……でも────)
二年以上離れていたのだ。今の鷹弥はすっかり姫比の人間になっているだろう。今更会って、何を喋ればいいのだろう。
アカルはぎゅっと唇を引き結んだ。
「ふぅーん。大切な人だけど、二度と会わないと思ってたんだ? どうして?」
ソナは躊躇いもなく質問を続けてくる。その気遣いのなさにアカルは嘆息し、ジトッとした目で睨んでしまう。
「……ソナは、誰かを好きになったことはないの?」
「そりゃ……あるさ。西方を旅してる間は、それなりに付き合いがある女性は何人かいたよ」
「えっ、何人か?」
アカルは顔をしかめたが、ソナは気づかないのかニヤケ顔で軽口を続ける。
「ほら、海に出ると次はいつ会えるかわからないだろ? お互いそれは承知の上なんだ」
「そういうのは、本当の恋って言わないんじゃないの?」
「えっ、何だよ本当の恋って? 女のアカルにはわからないかも知れないけど、男ってそういうもんだろ。アカルの好きなタカヤだって、そういう女性の一人や二人いるって」
「嘘だ! 鷹弥はそんな男じゃない。一人はいるとしても、何人もなんて……」
「なら、訊いてみなよ」
ソナが顎をしゃくる。
慌てて振り返ると、鷹弥がこちらに向かって歩いて来るのが見えた。伸びた前髪の奥から冷ややかな目がこちらを向いている。その目を見た途端、アカルは動けなくなった。
「ほら、どうしたの? 訊いてみなよ」
ソナに背中を押されて、アカルは転がるように鷹弥の前に走り出た。
「た……鷹弥」
勢いよく前に出たものの、続く言葉は出てこなかった。
姫比は鷹弥の故郷だ。いつか岩の里に帰りたいと言ったことを、彼は後悔しているのかも知れない。彼にとって一番大切なものは、きっと姫比にあるのだ。
それが何なのか知りたいと思う気持ちと、知りたくないと思う気持ちが、アカルの中でせめぎ合っていた。
「アカル……」
眉を寄せて、鷹弥はアカルを見ている。久しぶりに会ったせいか、彼の中にも自分と同じような躊躇いがあることに、アカルは気がついた。
沈黙が続いた。
「久しぶりなんでしょ? 何か喋れば?」
見兼ねたソナが、離れた場所から口を挟んでくる。
「彼は?」
「……ソナは、金海国の王子だ。西方へ旅に出て、二年半ぶりに戻って来たところだ」
「そうか」
鷹弥が軽く会釈をすると、ソナは「邪魔者は消えるよ」と手をヒラヒラさせながら去って行った。
二人きりになった途端、再び気まずい空気が流れた。
以前なら、会いたかったと抱きつき、取りとめもなく話をしただろう。でも今は、ぎこちなく言葉を探している。
「────そうだ。えっと……姫比に、何かあったの?」
両手を揉み絞り、ようやくそれだけ言うと、鷹弥は頷いた。
「姫比は、大王の軍と交戦中だ。
「えっ……
アカルの知る姫比国は、二年前のままだ。
「宇良はいない。奴の片割れが今の王だ」
「片割れ……」
アカルはハッと息を呑んだ。宇良の双子の兄弟で、
「彼は今、
「うん……でもまさか、あの人が王になるなんて……」
不思議な気持ちだった。恨みと嘆きしかなかった人生を、彼はどうやって変えたのだろう。
「鷹弥は、いつ姫比に帰るの?」
「智至王から返事をもらい次第、すぐに」
「……そうか」
それは、早ければ明日にでもここを立つということだ。鷹弥が姫比へ戻れば、今度こそ、もう二度と会うことはないかも知れない。今伝えなくては、永遠に伝えることが出来ない。わかっているのに、想いを伝える勇気が湧いてこない。
(せっかく……目の前に鷹弥がいるのに。情けない────)
アカルが口を引き結んだ時、不意に、
『────せっかく生きて会えたのに、お前はまた臆病風に吹かれて機会を逃すのか?』
そんな声が聞こえたような気がした。
アカルは大きく息を吸った。腹をくくって鷹弥を見上げる。
彼の静かな瞳には、僅かに陰りの色が見える。
「私……鷹弥に、話したいことがあるんだ」
「俺も、お前に話さなきゃならないことがある。だが、今は時間がない。王の晩餐に呼ばれている。身なりを整え次第、すぐに行かなければならない。その後で良いか?」
「うん。私、
「わかった」
去ってゆく鷹弥の背中を見送ってから、アカルはひとり夜玖の屋敷に戻った。
久しぶりの再会なのに、互いの手にすら触れることなく別れたことが、今の二人の関係を示しているようで、悲しかった。
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