八 小宴
「待たせたな」
広間の中央に向かって歩いて行く水生比古の後ろ姿を見送ってから、アカルはソナたちの後ろに座った。
「水生比古さま、こちらが金海国のソナ王子さまです」
夜玖が紹介すると、ソナは丁寧に頭を下げた。
「ソナと申します」
「水生比古だ。お父上からの書状を受け取っている。交易を学びたいそうだな? 好きなだけ滞在されるといい」
水生比古が機嫌よくうなずいたところで、女官が四人入って来た。
女官たちが掲げるようにして運んできた足つきの高御膳を、四人の前にそれぞれ置いてゆく。四角い食膳の上には、料理の乗った器がいくつか乗っていた。
「そのくらいならまだ入るだろう。ゆっくり食べながら、金海の話を聞かせてくれ」
四人が向かい合うような形に食膳を置かれてしまったので、ソナの後ろに隠れるように座っていたアカルは、しぶしぶ水生比古の向かいに座り直した。
水生比古の霊威は何処に座っていても同じだが、何もかも見透かすような水生比古の視線を正面から受けるのは落ち着かなかった。
さきほど食べた簡素な夕餉とは違い、食膳の上には海の幸や山の幸が上品に盛られていた。そこには酒も用意されていたが、アカルはそれを左手に座る夜玖の横へ置いた。
「
目ざとく見つけた水生比古が馬鹿にしたように笑う。
「はい」
アカルがムッとしたように答えると、ソナがくすっと笑った。
「千代姫さまの婚儀は滞りなく、金海の方々ともすぐに馴染んだご様子でした」
夜玖が空気を変えるように金海国の様子を話しはじめると、ソナも兄のサハ王子の話や金海の交易を盛り込んだ話を水生比古に話して聞かせた。
「なるほど、大陸には私も行ってみたい」
水生比古は珍しい大陸の話を機嫌よく聞いていたが、ふと、海の幸をつまんでいたアカルに目を向けた。
「朱瑠、お前はどうだ? 八洲から出てみて、お前の世界は広がったか?」
いきなり話を振られて驚いたが、アカルは素直にうなずいた。
「世界は……広がったかな」
あのまま岩の里に居たら知らなかったであろう世の中のことを、アカルはこの金海への旅で教わった。
「千代姫さまは世の中の事をとてもよく知っていた。八洲と大陸のことを色々教わった」
「そうか。さすがは我が姫だな」
水生比古はアカルの答えに満足したようだった。
「それで、千代姫の身辺に異変はなかったのか?」
「大丈夫。大したことはなかった」
虫に襲われそうになったが、それは夜玖が報告しているだろう。
「大陸で何か得るものはあったか?」
「それは……」
アカルは夜玖の方へ目を向けた。夜玖が促すような顔をしたので、アカルは水生比古に視線を戻した。
「役に立つかわからない。これはソナ王子が教えてくれたことだけど、
「それは、どこからの情報かな?」
水生比古はソナに目を向ける。
「ヒオク本人から聞きました」
「いつ?」
水生比古はさらに尋ねる。
嫌な流れになってきた。ソナの答え方によっては、夜玖に内緒で出かけた事がばれてしまう。アカルはソナに視線で訴えたが、ソナは気づかずにこやかに答える。
「アカルと一緒に、夜店を見に行ったときです」
(ああ……)
アカルは静かに目を閉じた。
「ほう、朱瑠と?」
「はい。なぜあいつが金海に潜入していたのかはわかりませんが、俺とヒオクは昔から仲が悪くて、つい喧嘩みたいな言い合いになったんです。その時に言われました。今に見てろって感じで」
つらつらとソナが喋っているうちに、夜玖が怖い目をしてアカルの方に顔を向けてくる。
「朱瑠お前っ、俺に内緒で出かけたのか?」
「……ごめん」
夜玖から目をそらした途端、正面に座る水生比古と目が合った。水生比古は背筋が凍るような冷たい目をしていた。
「伊那と阿羅はもともと同族だ、有り得る話だろうな。そのヒオクとやらはどんな人間なのだ?」
水生比古は穏やかに言葉を続ける。
「ソナ殿は、ヒオクをよく知っているようだが?」
「はい、ヒオクは俺と同じ十八歳ですが、交流があったのは十歳までです。あいつは嫌な奴ですが馬鹿ではありません。何か考えがあって伊那に行くのだと思います。それを俺に言ったのも、宣戦布告のようなものかも知れませんね」
「なるほど。それを聞いて、ソナ殿はどう思った?」
「俺は……何も。俺には関係のない話ですから」
あっけらかんと答えるソナに、水生比古と夜玖が怪訝な顔をする。
(ソナには国同士のいざこざなんか関係ない。西方へ行くんだから)
アカルはそう言って庇いたかったが、水生比古たちのような国の事しか頭にない人間たちは、ソナの夢を理解しようとしないだろう。
「ソナ殿は……何のために交易を学びに来たのだ?」
水生比古の声色が変わるのがわかった。
キョトンとしてから、ソナはくすっと笑う。
「俺は、自分の夢を叶えるためにここへ来ました。金海にいては出来ない事が、ここでは出来ると信じています」
ソナは自信に満ちていた。
水生比古を前にしても、臆せずに胸を張れるソナが羨ましかった。
「夢か。若いな」
水生比古が苦笑しても、ソナは少しも表情を変えない。
アカルがホッと肩の力を抜いた時、水生比古がこちらを向いた。
「朱瑠、今日はもう遅い。お前は下がってよいぞ。明日の朝また迎えをやる」
「はい……では」
何となく釈然としない気分だったが、アカルは水生比古に頭を下げて立ち上がった。
「酒を持て」
水生比古が部屋の外に向かって声をかける。
アカルと入れ違うように、女官たちが片口の酒器を手にして部屋に入って行った。
(酒宴に子供は邪魔ってことか)
子ども扱いされたようで嫌だったが、あの場から解放されたことにはホッとした。
たくさんの高殿を繋ぐ回廊に迷いそうになりながら、アカルは自分の離れ宮に戻った。
相変わらすしとしとと降り続いている雨の庭を見ると、さっき見た白い人影がまた現れていた。
(誰なんだろう……)
近づくでもなくただ佇んでいる白い女の影を、アカルは困惑した面持ちで見つめ返した。
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