十七 アカルの告白


 過去の罪を吐き出し、しかも許された。

 心が軽くなった途端、鷹弥たかやの頭に蘇ったのは、先ほどの晩餐で交わした水生比古みおひことの会話だった。


「────水生比古さまから聞いた。お前が、大王おおきみの魔物を斃そうとしてるって。本当なのか?」


 鷹弥が魔物の話を切り出すと、穏やかだったアカルの顔からスッと笑みが消えた。


「……その話か。本当だよ」


依利比古いりひこは魔物を使って、自分に従わない国の王族に呪いをかけた。身内を盾に取られた諸国の王は、今も仕方なく依利比古に従っている。諸国の王が手を出せないほどあいつは危険なんだ。頼むから無謀なことはしないでくれ!」


 こんな事を言っても、アカルは思い留まらないだろう。それでも懇願せずにはいられなかった。


「……悪いけど、それは無理だ。水生比古さまにも散々言われたけど、私はあいつを斃さなきゃならない。今も魔物と戦っている巫女たちがいるんだ。彼女たちを放って、自分だけ安全な場所にいるなんて出来ない」


「しかし、お前は何度も死にかけたそうじゃないか!」


「でも生きてる。大王の都は、魔物のせいで大変なことになっているらしいんだ」


 アカルは大王の都で起きていることを鷹弥に話した。人と人との戦の影には、百年も昔の因縁があることも。


「これは私たちにとっての戦なの。鷹弥たちとは違う方法で戦ってるの。必ず依利比古を止めて見せるから!」


 拳を握りしめ、肩で息をしながら話すアカルを、鷹弥は静かに見つめた。

 アカルは昔から、言い出したら聞かない子供だった。それに今の彼女は、もう鷹弥が守らなければいけない子供ではない。成長し、自分の為すべき事に正面から対峙している立派な大人だった。


(危険から遠ざけたいと思うのは、俺の我儘だ……)


 心配な気持ちをぐっと飲み込んでみたが、背中を血に染めたアカルの姿が目に焼き付いて離れない。あんな風に倒れるアカルをもう二度と見たくはない。


「……わかった。ただし、死なないと誓ってくれ」

「鷹弥も、死なないと誓えるなら」


 アカルの答えは淡々としたものだった。

 戦に、命に、必ずはない。無理な願いだと、わかってはいた。

 沈黙が下りた。何を話せばいいのかわからない。

 ややあって、鷹弥は口を開いた。


「アカル……お前の話しは?」

「ひゃっ────」


 鷹弥が促すなり、アカルが変な声を上げた。体もビクッと飛び上がった。今までの引き締まった戦士のような顔つきは消え去り、困った顔で口を結んでいる。

 さっきは今にも話し出そうとしていたくせに、何故か今はなかなか話そうとしない。


「話し辛いことなのか?」


 心配になって顔を覗き込むと、アカルは鷹弥から逃げるようにサッと視線を外した。


「ごめん。ちょっと待って。心の準備が必要なの」


 アカルは俯いたまま、祈るように両手を組み合わせている。


「えっとね……」


 何度も前置きはするくせに、なかなか話を始めない。

 じっと見つめているのが良くないのかと、鷹弥は夜空に目を向けた。

 久しぶりに空を見上げた気がする。良く晴れた夜空は星がきれいだ。煌々と光を放つ美しい満月が、鷹弥を優しく照らす。

 ほぅっとため息をついた時、アカルがようやく口を開いた。


「あのね……二年前に都萬つま国に行って、鷹弥と離れて、やっと自分の気持ちに気がついたんだ。私は……鷹弥が好きだって……」


 俯いたまま告白するアカルを、鷹弥は呆然と見つめた。

 自分の耳がおかしくなったのだと思った。願望がとうとう幻聴を引き起こしたのかと疑った。そもそも、アカルはあの男を愛していたはずだ。

 鷹弥が何の反応も返せずにいると、アカルが恐る恐る顔を上げた。


「迷惑だった? やっぱりそうだよね。うん、わかってたんだ。ただ言いたかっただけで、鷹弥を困らせるつもりは全然ないんだ」


 言い訳のような言葉を呟きながら、アカルの顔が泣き笑いのように歪んでゆく。

 そんな顔をさせてしまったことに、鷹弥は慌てた。迷惑だなんてあり得ないと、大声で言いたかった。しかし、鷹弥としては、この幻聴を素直に信じる訳にはいかなかった。


「ち、違うんだ。よく聞こえなかった。もう一度、言ってくれないか?」

「ええっ! 嫌だよ! 決死の覚悟で言ったんだもん!」


 アカルは抗議の声を上げたが、鷹弥は引かなかった。


「頼む。もう一度言ってくれ。今度は必ず、聞き逃さないから」


 そう言って、アカルの口元に耳を寄せる。


「何で……そんな」


 アカルは泣きそうな声でブツブツ言っている。

 もしかしたら、さっきの言葉は幻聴ではなかったのかも知れない。雪の日に死んだあの男のことを、アカルは忘れようとしているのかも知れない。

 鷹弥がじっと動かずにいると、アカルは観念したのか、鷹弥の耳に微かな吐息がかかった。


「聞こえなくても、もう二度と言わないからね! 私は……鷹弥が好きだ!」


 乱暴な、自棄気味な言葉だった。

 一生得られないと思っていたその言葉が耳に届いた瞬間、心の奥底で凍っていた想いが熱を持って溶けだした。

 例えそれが、あの男を忘れたいだけの言葉だったとしても、それでもいいと思った。今アカルの前にいるのは自分なのだから────。

 アカルに向き直り、見下ろすと、不安そうな瞳とぶつかった。すぐにでも安心させたくて、鷹弥はそっと手を伸ばした。手が震えている。


「俺は……ずっと前から」


 言葉がうまく出てこなくて、鷹弥は手を伸ばした。アカルの両肩をつかんで、そっと抱き寄せた。


「アカル……」


 やはり一番言いたい言葉は出て来なくて、鷹弥はただ、アカルの体を力一杯抱きしめた。



  

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