十 冬至の儀式


 アカルは書庫の壁際に座り膝を抱えていた。

 ここで鷹弥を待つように言われて、ずいぶん時間が経つ。

 手焙り火鉢の上に手をかざしながら、アカルは書庫に並んだ木簡の棚をぼんやり見つめた。


 黒森くろもりからは、依利比古いりひことの関係を鷹弥に正直に話すよう言われたけれど、アカルはあまり話したくなかった。

 岩の里は八洲やしまの国々のどこにも属していない。とは言え、北海ほっかい沿岸諸国との行き来はあるし、頼まれ事に応えることだってある。それは鷹弥も知っているはずだし、西伯さいはくの姫の病を治して金海へ行ったことも正直に話した。


 問題は、金海で依利比古に会ったことだ。

 都萬つま国と姫比きび国の関係はよく知らないが、こうして使者を送るくらいの交流はあるのだ。阿羅あら国のヒオク王子や、その婿入り先の伊那いな国とも近い関係なのだろう。それならば、金海で依利比古に会ったと言っても問題はない────はずだ。

 それなのに、アカルはなぜか鷹弥にその話しをしたくなかった。


「うーん」

 アカルは頭を抱えた。自分の気持ちが自分でよくわからない。

 髪をかきむしりながら天井を仰いだ時、ふいに、茶色と緑色が混ざった宝石のような瞳を思い出した。


(あ……そうか。ソナのこと、話したくなかったのかな?)


 金海で依利比古に会った時、アカルはソナと一緒だった。そのことを鷹弥が知ったら、水生比古みおひこみたいにいろいろ訊いてくるかも知れない。

 心の中に踏み込まれるのは嫌だった。


(なぁんだ。そんなに悩む事じゃなかったな)


 水生比古の時は、目の前にソナが居たからチクチクいじられたけれど、鷹弥はソナの存在を知らない。同行者がいた事など話さなければいいのだ────そう決めたはずなのに、心の中はぐずぐずでなかなか気持ちが定まらない。

 結局、結論が出ないうちに、鷹弥が書庫に戻って来てしまった。。


「アカル、お前、依利比古とどこで会った?」

 入って来た勢いのまま、鷹弥はアカルのすぐ前に膝をついた。

「ゆ、昨夜。ももと一緒に珠美たまみの様子を見に言った時に、庭園で会った」

 黒森に答えた通りに話すと、鷹弥はアカルの顔をじっと見た。


「お前が目を逸らすのは、隠し事をしている時だよな」

「逸らしてないよ!」

「逸らした!」


 アカルが睨み返すと、鷹弥は怖い顔をしたままアカルに手を伸ばした。

 思わずアカルが座ったまま後退ると、鷹弥も膝立ちで間合いを詰めてくる。壁際まで追い詰められたアカルは鷹弥を睨んだ。


「あいつが、俺になんて言ったかわかるか? お前を自分の側仕えに貸してくれって言ったんだ。どんな酔狂な男でも、庭で一度会っただけの下働きを側仕えにしたいとは思わないだろ? 正直に話してくれ。それとも、俺には話せないようなことなのか?」

 鷹弥はアカルの両肩をつかんだ。

「違うよ。そういう事じゃないんだ」

「じゃあどういう事なんだ?」

 がくがくと肩を揺さぶられて、アカルはとうとう音を上げた。


「わ、わかったから放して!」

 両手で鷹弥を押し戻し、アカルは息を整えた。


「この前、西伯の姫について金海に行った話をしたよね? あの人とは、金海の飯屋で会ったんだ。一緒にいたのが阿羅国の王子だったから、阿羅の人だと思ったけど、都萬の王子だったんだね。昨日聞いたよ。

 あの人は、私が西伯の姫の病を治したことを知ってたんだ。姫の病は、都萬の巫女がかけた呪いだったんだってさ。聞いた時は、さすがに殺されるんじゃないかと思ったけど、都萬に来ないかって誘われた。もちろん、断ったよ! さっき林の中で話していたのはその話だよ」


 洗いざらい話すと、鷹弥はアカルを引き寄せてぎゅっと抱きしめた。


「やっぱり、お前を置いて行くんじゃなかった。俺が居たら……お前にそんな危ない事はさせなかったのに」

 鷹弥の体が震えているような気がして、アカルは胸が痛んだ。いつまでたっても鷹弥には心配をかけてばかりだ。


「私は大丈夫だよ」

「大丈夫なものか! あいつはお前を諦めてない。お前の力を利用する為ならきっと何だってする。国を背負っている者たちがどんなに冷酷か、お前は知らないからそんなことが言えるんだ!」

 鷹弥は叫ぶようにそう言ってアカルを見つめた。


「私だって、少しは成長してるんだ。岩の里しか知らなかった頃の私じゃない。少しは信用してくれ!」

「信用? お前のことは信じてるさ。だが、やつらに権力や力で来られたら、お前一人じゃ絶対に太刀打ちできないだろ? 岩の里に戻るのも危険だ。シサムは黒森に送らせるから、お前はここにいろ。もう俺の目の届かない所へ行くな」

「そんな……勝手に決めないでよ!」

 アカルは鷹弥の体を押しのけた。


 〇     〇


 日暮れとともに始まった冬至の儀式は、再び太陽が登るまで火を燃やし続ける炎の儀式だ。もちろん、すべての使者が一晩中付き合う訳ではなく、本当に夜明けまでこの場にいるのは、祭事を司る者と巫女たちだけだ。

 海に面した南宮みなみみやの前庭には、木枠を何層にも重ねた大きな火が焚かれ、その火の周りを姫比きびの巫女たちが舞い踊っている。

 王族と使者のために設けられた高床の宴席には、女官たちが酒と料理を運んでいた。


 宴席に高坏たかつきを置いた珠美たまみは、すぐ近くに座る依利比古を見た瞬間、目を奪われた。

 都萬の王子は麗しいという噂は聞いていたけれど、そんな言葉ではとても言い表せない。同じ宴席にいる身分の高い男たちともまるで違う。彼は、とても人の子とは思えないほど美しい姿形をしているのだ。

 彼の纏う萌葱もえぎ色の厚地の衣や、首元を覆う白い毛皮も輝いて見え、珠美は仕事を忘れてぼーっと見とれてしまう。


「酒を注いでくれないか?」

 依利比古に声をかけられて、珠美は飛び上がりそうになった。

「は、はい」

 珠美はドキドキしながら片口の酒器を手に取った。

「どうぞ」


 大きな篝火や手焙り火鉢があるとはいえ、広々した高床の宴席はかなり寒い。

 露天なので風があれば酒が器からこぼれる事もある。珠美は酒器の注ぎ口から白濁した酒が杯に注がれるのを、注意深く見つめていた。


「きみは、朱瑠の同僚なんだって?」

「えっ?」

 麗しい王子の口から意外な名前が出て、珠美は酒をこぼしそうになるほど驚いた。

「朱瑠を、ご存じなのですか?」

「ああ。以前、異国で会ったことがあるんだ。この阿知宮あちみやに居るとは思わなくて、とても驚いたよ」

 依利比古はにっこりと珠美に笑いかけた。


「異国……朱瑠が?」

 酒器を持った珠美の手が震えた。

「朱瑠は、貧しい小さな里の出だと聞いています。とても異国になど……」

「ああ、確かにそうだね。でも、異国の姫の病を治したみたいだったよ。これは私の勝手な想像だけど、朱瑠は、歴史ある小さな里の巫女なのではないかな?」

「朱瑠が、巫女?」

 珠美は呆然と依利比古の言葉を繰り返した。


「依利比古さま! 少しよろしいですか?」

 宇良うらが酒器を手にやって来た。

「ええ、もちろんです」

 依利比古が愛想よく答える。

 珠美はそっと頭を下げるとその場から離れた。



 珠美が席を外したのを目の端で追ってから、宇良は依利比古の杯に酒を注いだ。


「あの女官見習いはお役に立てていますか?」

「ええ、もちろんです」

「それは良かった。依利比古さまが希望された娘はただの下働きで、とても宴席に出せるような者ではないとの事でしたから、代わりにあの娘を」

 依利比古はクスクスと笑いながら片口の酒器を手に取り、宇良の杯に酒を注いだ。


「気を遣わせて申し訳ありません。鷹弥というあなたの側近は、私と朱瑠を会わせたくはないようですね」

「ああ……彼はきっと、初めて冬至の儀の差配を任されて緊張しているのでしょう。粗相があってはいけませんからね」

 宇良は的外れな答えを口にして笑ったが、依利比古は指摘しなかった。


「けれど、こうして依利比古さまとお話が出来るのは嬉しいことです」

「私もですよ、宇良さま。戦の間は、瀬戸内諸国にはご迷惑をおかけしました」

「筑紫の方は落ち着いたと聞きましたが?」

「ええ。南那なな国との戦から三年、筑紫の都はわが都萬国へ移りましたが、交易航路の機能も元通りになりました。減っていた鉄の流通も必要なだけ増やせます。

 実を言うと、太丹ふとにさまにはあまり良いお返事を頂けていないのですが、宇良さまはどう思われますか?」


「鉄を、必要なだけ?」

 宇良は目を細めて用心深く依利比古の顔を窺った。

「はい。今まで滞っていた分も、お届けすることが出来ると思います」

 依利比古は微笑んだ。

 瀬戸内の覇権に固執する太丹王よりは、まだ宇良王子の方が御しやすい。

 依利比古は宇良を引き入れることに決めていた。


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