六 十世とアカル
(なんて間が悪いのだろう……)
手持ちの
必死に使鬼狩りの許可を願い出て、なんとか聞き届けられたが、武輝が立ち去った今も、震えが止まらない。
どんな命令だろうと、武輝王の命令は絶対だ。逆らえば、十世の命など大剣の一薙ぎで散ってしまう。
(────死ぬかと思った)
重い息を吐き、震える手を床について身を起こしたものの、体の力が抜けてしまって、立ち上がることが出来ない。
本当は、座り込んでいる時間などなかった。すぐにでも使鬼狩りの準備を始め、出来るだけ強いモノを狩らねばならない。南那国の王を呪殺することが、武輝に命じられた十世の仕事なのだ。ぐずぐずしている暇はない。
三年前、十世たちは、長く続いた戦の果てに、
その敵国の王を、武輝は亡き者にしようとしている。戦ではなく、呪術を使って。
この呪詛が失敗に終われば、十世は責めを負うだろう。上手くいったとしても、呪詛をした代償に、得体のしれない醜い痣が体に浮き上がる。考えるだけで、体の震えが止まらない。
「くっ……」
涙をこらえながら、十世は自分の首筋に手を這わせた。誰にも見せていない、黒い
十世はふらふらと立ち上がり、祭壇の上にある鏡に向かった。
美しく磨かれた銅鏡の前に立ち、衣の襟元を押し広げる。黒々と蠢く
十世は、首の痣に爪を立てた。
日の巫女の座についた時は、こんな事になるとは思ってもみなかった。恐ろしい呪術を重ねては、その代償を自らの身に受ける。夢も希望もない生活だった。つかめるものなら、こんな痣はつかんで引き千切り、粉々にしてしまいたかった。
スッと、自分の姿から目を逸らした時、鏡の中に別の人影が見えた。咄嗟に衣の襟を正して振り返ると、見かけない女官が立っていた。
「な、何者だ! この神殿の女官以外、ここへは足を踏み入れてはならぬ。お前はそんな事も知らぬのか?」
ピシャリと言い放っても、女官は戸口付近に立ったまま微動だにしない。
(この娘……
肌の色は白いが、隼人の民に似た大きな目をしている。丸みを帯びたはっきりした顔立ちも隼人の特徴だ
「勝手に入って済まない。私は岩の里のアカルだ。あなたが巫女の十世か?」
男のような口調で、女官が名乗った。
十世は目を瞠ったまま動けなくなる。
(あ……かる? まさか、この娘が?)
(こんな娘を、
どう見ても、自分と同じくらいの小娘だ。お世辞にも美人とは言い難い。けれど、信じられない思いとは裏腹に、納得もしていた。アカルに放った使鬼は、一匹も戻って来ていない。そして標的だったアカルは、この通りピンピンしている。
(負けられない!)
この小娘を何とかしなければ、依利比古にとって自分はいらない人間になってしまう。そんな焦りが、十世の胸に広がってゆく。
「……そう、お前が朱瑠なの。何しに来たのか知らないけど、馬鹿なの? 私は、お前に使鬼を放って殺そうとしたのよ。そんな私の所へわざわざ来るなんて、どうかしてるわね」
思い切り馬鹿にしたのに、アカルは顔色ひとつ変えない。
「そうか、確かにそうだな。でも私は、ずっとあなたに会いたいと思っていた」
「私に、会いたい?」
「そう。あなたが、助けを呼んでいるような気がしたんだ。いつだったか、人の世と神の世の狭間で、あなたの声を聞いた気がした。その時に、あなたが私と同じ年頃の巫女だと感じたんだ」
十世はハッと息を呑んだ。誰かに見られていると感じたことがある。あれは確か、依利比古が姫比へ赴く前のことだった。
「わ、私が助けを呼んでる? 馬鹿馬鹿しい。お前などに、私の心が読めるはずがない。そもそも、千代姫に送った呪詛を返してよこしたのはお前であろう? 私とお前は敵同士ではないか!」
憎しみを込めて叫ぶと、アカルの顔に戸惑いの表情が浮かんだ。
「敵同士? 私は、千代姫の病を治してほしいと頼まれたから、彼女に憑りついた神を引き離した。確かにあなたの使鬼から呪符を外したけど、呪詛を返した覚えはない。私は誰とも敵対するつもりはない」
「敵対するつもりはない? はっ、甘いわね。お前はきっと、何の苦労もなく幸せに生きてこられたのでしょうね。そもそも私とお前では、立場が違うのよ!」
「立場か、そうだね。実は、さっき聞いちゃったんだ。呪詛を命じられてたよね? 千代姫の時みたいに誰かを呪えって。もしあなたが、都萬国の王に強いられて、仕方なく呪詛をしているのなら────」
「お前が代わりにやってくれるとでも言うの? もちろん私だって呪詛なんてしたくないわよ。でもね、今更やめたところで、もう元の私には戻れないの。見て!」
アカルの言葉を遮り、十世は衣の襟を開いた。
「呪詛をするたびに、首の禍縄が増えてくるの。それだけじゃないわ。どこか遠くから、禍々しいモノが近づいてくる気配がするのよ。アレに見つかったら、私はきっと憑り殺されてしまうんだわ」
「……なるほど」
いつの間にか、すぐ近くまでアカルが来ていた。
「呪詛をすると、呪いを返されるだけじゃなくて、闇のモノを呼び寄せる危険があるということか」
アカルは眉間に皺を寄せ、十世の首に浮き出た黒い痣をじっと見つめている。まるで十世の身を案じているように。
「ば、馬鹿にしないでっ!」
十世は鋭く叫び、アカルを突き飛ばした。アカルに同情されるなど、死ぬよりも嫌だ。
「馬鹿になんかしてないよ。心配しているんだ」
「それが嫌だって言ってるのよ!」
罵られてもなお、心配そうな顔をするアカルが、心の底から疎ましい。
(依利比古さまは、何故こんな小娘を……)
今すぐ依利比古に問いただしたかった。けれど、そんなことが訊けるほど、十世と依利比古は近い関係ではない。彼とは、神殿の仕事以外で言葉を交わした事はない。それでもいいと思っていた。武輝王や
十世にとって依利比古は、暗闇の中の一条の光だったのだ。
「出て行って……今すぐここから出て行きなさい!」
これ以上アカルと同じ場所に居て、息をするのも嫌だった。
「十世……」
アカルが悲しそうな目でじっと見つめる。
「馴れ馴れしく名前を呼ばないでちょうだい! さっさと出て行って。出て行かないと人を呼ぶわよ!」
「わかった」
落胆した様子で、アカルは神殿から出て行った。
けれど、十世の怒りは収まらなかった。いくら心を落ち着けようとしても、嫌悪感が増すだけで、心の中は暗く醜い思いで一杯になる。
(許せない……)
何としてでも、アカルを依利比古の傍から追い出さなくてはならない。そのためには、何を為すべきだろう。
しばらく考えてから、十世はゆっくりと目を細めた。
神殿付きの女官を呼んで用を言いつける。
「鹿骨を用意してちょうだい。
「はい、十世さま」
丁寧に頭を下げた女官が、小走りに部屋を出て行く。
(見てなさい朱瑠。お前が依利比古さまの傍に居られるのは、今だけよ)
十世はクスッと笑った。
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