三 鳥柴(とりしば)


 雨の日が何日か続き、久しぶりに晴れた。

 雲一つない青空は、同時に清々しいほどの冷気を阿知宮あちみやに運んで来た。

 早起きをしたアカルは、まだみんなが眠っているうちに小屋を出て炊屋かしきやへ向かった。

 毎日のように時間帯をずらして通っていたお陰で、水運びをする少女に会うことが出来た。


「おはよう」

 声をかけると、十歳くらいの少女が怯えたようにアカルを見上げた。


「手伝うよ」

 少女の水甕に水を入れてやりながら、アカルは笑顔を浮かべた。


「私の知り合いが下女として働いているはずなんだけど、最近入った子の名前を知らないかな?」


 少女は首を傾げた。


「最近? 新入りが来たのは、もう半年も前だよ」

「えっ、半年?」

「そうだよ。働く場所は違っても、夜は同じ場所で寝るから間違いないよ」

「そうか……ありがとう」


 アカルは少女に手桶を返すと、ふらふらとした足取りで小屋に戻った。

 イマリカたちは阿知宮あちみやにはいなかった。十数日もかけて得た情報がこれでは、ただ時間を無駄にしただけではないか。


 どうしたら良いかわからず、アカルはその足で奈義なぎじいさんの小屋に向かった。

 老人は眠りが浅いのか、声をかけるとすぐに戸が開き、奈義が皺だらけの顔を出した。


「ねぇ、もし阿知宮にいなかったらどこにいると思う?」

 言葉足らずなアカルの問いに、奈義は答えた。


「ここに居ないのなら、きっとほむらの城だな。山の上のあるとか地の底にあるとか言われてるが、一族の者以外にはなかなか場所を教えない。幻の城だよ」

「幻の城?」


 奈義の言葉はアカルを打ちのめした。



 〇     〇



菊花きくかさま、遅くなって申し訳ありません」


 アカルが北宮の衣部屋に着いたのは、もう夕闇が迫る頃だった。朝からどん底の気分を味わったせいで、今日の仕事はちっともはかどらなかったのだ。


「いいのよ。朱瑠あかるの仕事は奥方様からも好評よ」

 菊花はにっこりと微笑んで、アカルから籠を受け取ってくれた。


「ありがとうございます」


 お礼を言って退出すると、菊花はいつものように回廊の手前までついて来て、アカルの手に干し柿を乗せてくれた。


「一つしかないから、食べてしまいなさい」

「ありがとうございます」


 にっこり微笑んだ菊花の目が、ふと何かを見つけたようにアカルの顔を通り越した。


「あら、珍しい方がお越しだわ」


 そう言って嬉しそうな顔をする。


「珍しい方、とは?」


 菊花につられて回廊の方へ振り返ると、こちらに向かって歩いて来る二人連れが見えた。遠目に見ても位の高い男だとわかる紫の衣の男と、その少し後ろを歩く濃紺の衣を着た背の高い男だ。


「第一王子の宇良うらさまと、側近の鷹弥たかやさまよ。あの方たちは南宮にいることが多いの。朱瑠は控えていた方がいいわね」

「はい」


 アカルは言われるままに、菊花の足元に跪いた。

 回廊を歩く足音が近づいてくると、菊花が優雅に頭を下げる。

 跪いたアカルの視界には、革の靴を履いた二人分の足しか見えなかった。

 淀みなく通り過ぎて行った足音で、二人が周囲の女官などには一瞥もせずに去って行ったことがわかった。


(あれが姫比きびの王族か)


 そっと立ち上がって後ろ姿を見送っていたら、隣で菊花がフゥーっとため息をついた。


「どうかされましたか?」

 アカルが尋ねると、菊花はほんのり赤くなった頬を両手で隠した。


「嫌だぁ、見とれてただけよ。ほんとに素敵な方よねぇ、宇良さまって」

「私には足しか見えませんでした」

「もう、朱瑠ったら真面目なんだから。こっそり顔くらい見てもいいのよ」


 菊花はそう言って、アカルの背中をバシッと叩いた。




(菊花さまは、宇良さまがお好きなのか)


 林の中を通って下働きの小屋に戻りながら、アカルはさっき見た宇良の後ろ姿を思い出した。

 十年くらい前まで、姫比国は西伯さいはく国や智至ちたる国を手中に収めようとしていたらしい。

 筑紫島の内乱で大陸の鉄が手に入らなくなり、姫比は仕方なく独自に鉄を輸入することを画策していたというのだ。


『──要するに、私たちが行っている北海ほっかい胸形むなかた・金海航路を、姫比も計画していた訳だ』


 姫比へ行くふりをしていた時に、水生比古みおひこはそうアカルに説明してくれた。

 筑紫とは別の交易路を確保するためには、北海沿岸諸国を手に入れなければならない。そういう意図がわかったのは、たぶん阿知宮あちみやに密偵を送り込んでいたからだろう。


(昔から、水生比古さまは何でもお見通しか。いや、その頃はいくら水生比古さまでもまだ子供か……)


 当時はまだ小国の集まりだった西伯へ、姫比はたびたび攻撃を仕掛けて来たらしい。

 その攻撃を小競り合い程度で済ませることが出来たのは、確かに智至王の力が強かったからだろう。


(同じ鉄が欲しい者同士なら、どうして協力しようと思わないんだろう? 

 古くからの関係があるとしても、国や王はもっと意地を張らずに仲良くする道を探せばいいのに)


 水生比古に話せば馬鹿にされてしまうとわかっていても、アカルはそう思わずにはいられなかった。


「ああ……こんな事を考えている場合じゃなかったな」


 バチンと両手で頬を叩き、アカルは自分に活を入れた。


(さっさと焔の城の場所を探らないと……)


 わざわざ盗賊から下女を買うのだから、焔の一族と阿知宮には何か繋がりがあるはずだ。せめて焔の城の手がかりくらいは探したい。

 そうでなければ、ここに来た意味がなくなってしまう。



 〇     〇



「朱瑠、食器洗いと水汲みもお願いね」


 珠美たまみはいつものようにアカルに雑用を押しつけると、いそいそと出かける準備をしはじめた。


「今夜はあたし、北宮の湯殿にお呼ばれしているの。桔梗ききょうさまのお世話だけどね」


 にっこりと珠美が微笑んでいる。こういう時は何か言わなければいけないのだと学習していたアカルは、必死に笑顔を浮かべた。


「それは羨ましいな」

 そう言った途端、珠美の顔からスッと笑顔が消えた。


「あんたのその言い方、馬鹿にされてる気分になるわ」

「ごめん、そんなつもりじゃ……」

「もういい、行くわ。あとよろしく!」


 珠美は着替えを抱えて小屋を出て行った。


(難しいものだな)


 頑張っているつもりなのに、なかなか下働きの娘たちのような話し方が出来ない。


(桃みたいに、いいなぁー、とかにしておけば良かったのかな?)


 ぐるぐると思い返しながら、湧水を引いた洗い場で食器や土鍋を洗っていると、桃と柚の姉妹がやってきた。


「珠美のこと……悪く思わないであげてね」


 アカルの隣に座り込み、さり気なく洗い物を手伝ってくれながら、桃がしんみりとそう言った。


「あたしたちもそうだけど、珠美の里も貧しかったらしいの。だからあの子はすごく頑張ってるし、本気で女官までのし上がるつもりなのよ」

「そうなんだ。大丈夫だよ。べつに珠美のことは嫌いじゃないし」

「そうなの? 良かったぁ」


 桃は人の良さそうな笑みを浮かべて、洗った器を重ねている。


「お姉ちゃん、朱瑠に聞きたいこと他にもあったでしょ?」


 後ろから柚に言われて、桃はあっと口を大きく開けた。


「そうだった。あのね、朱瑠の髪っていつもサラサラでしょ。何をしたらそうなるのか知りたくてさ」


 桃はちょっぴり恥ずかしそうにアカルの顔を見上げた。


「お姉ちゃんね、こんど男の人と会うんだって。珠美さんが紹介してくれるんだって」


 柚が自慢げに補足してくれる。


「そうなんだ。私は鳥柴とりしばの木を煮た湯で髪をすすいでるんだ。お茶が残った時だけね」

「それって、この前、朱瑠が教えてくれたお茶のこと?」

「そう。今からやってみる?」


 アカルは洗ったばかりの土鍋に水を汲むと、そのまま小屋に戻って囲炉裏にかけた。

 小さな壷に入れておいた鳥柴の枝を沸騰した湯の中に放り込むと、だんだんと赤茶に色づいた湯から清涼感のある香りが漂ってきた。


「鳥柴茶のまま飲んでも体に良いけど、これを水で薄めて、ちょうどいい温度にしたら髪をすすぐんだ」


 洗濯場のたらいを借りて水で薄めたものを桃の髪にかけてやる。


「あたしもやって!」


 柚にもせがまれてかけてやると、最後に二人がアカルの髪にもかけてくれた。

 三人はホカホカの髪が冷めないうちに小屋に戻り、囲炉裏の前で髪を拭いた。

  

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る