四 黎明


 阿知宮あちみやの高台にある北宮きたみやには、平屋の細長い建物が二棟と大きな高殿が三棟、中庭を囲むように建っている。そのうち宇良うら王子が使っているのが西側の高殿だった。


「宇良さま。そろそろ冬至明けの祝いの準備をしなければなりません。各国の使者が泊まる宮の用意もせねばなりません」


 木簡を棚に片付けながら、鷹弥たかやは宇良の顔色を窺った。


「宿舎など、お前が差配すればいいだろ。いちいち私に聞くな」

 宇良は藁の円座に胡坐をかいたまま、檜扇でパシパシと自分の膝を叩いている。


「しかし、使者の身分やこちらの扱い方によっては、今後の関係に溝が生まれる可能性もありますし……」

「だから、それをお前にやれと言っている!」


 今日の宇良は苛立っている。

 壁の方を見たきりこちらを見ようともしない宇良に、鷹弥は眉をひそめた。


太丹ふとに王は、あなたにやれと言っていましたが?」


 鷹弥がそう言うと、宇良はようやく鷹弥に目を向けた。


「私がやるのもお前がやるのも同じだろ? お前は私の手足なのだからな。私の代わりにしっかりと働けよ。あぁ、お前を呼び戻しておいて本当によかったよ」


 宇良は嘲るように目を細める。他人の気持ちを不快にする顔だ。

 鷹弥は眉間の皺をさらに深く刻んだが、何も言い返さなかった。


「そうだ、お前の妹だけど、私の配下が妻にしたいと言ってきたんだ」


 宇良がニヤリと笑った途端、鷹弥の目に殺気が閃いた。自分の事なら我慢できても、家族の事となるとそうもいかない。


「お断りします。妹には想う相手がいるようですので」

「ほう、お前は家族と文のやりとりでもしているのか? こっちへ戻ってから会っていないのだろう?」

「ええ。あの時から十数年一度も会っていません。もう、会っても俺だとわからないでしょう。だから母には使いをやりました。それで妹のことも聞きました。母と妹には手を出さない約束だったはずです。その話は絶対に取り消してください!」


 強い口調で鷹弥が言うと、宇良は肩をすくめた。


「わかったよ、配下にはそう伝えておく──が、あいつが大人しく私に従うかなぁ」

「自分の配下なら、ちゃんと従わせてください」

「わかったから、お前は仕事しろ」


 この話は終わりだと言うように手をひらひらさせる宇良を一瞥してから、鷹弥は仕事に戻った。



 新年の宴にやって来る各国の使者に、順列をつけて宿舎を割り当てる。こういう気を使う仕事が、鷹弥は好きではなかった。

 額に青筋を立ててようやく仕事を片付けた時には、もう西の空は紅く色づいていた。

 夕餉まではまだ時間がある。それまでのわずかな時間くらい一人になりたいと、鷹弥はふらふらと東の林へ向かった。


 東の山の入口にあたる雑木林は、もうほとんどの木が葉を落としていた。

地面を覆う枯れ葉や枯れ枝を踏みしだく度に、サクサク、パキっと優しい音がする。

 冷たい空気を胸いっぱいに吸いながら枯れ草を踏んでいるうちに、ほんの少しだけ心が軽くなってきた。


(宇良の言葉にいちいち反応しているようでは、俺もまだまだだな)


 苦い思いとともに笑いが込み上げてくる。

 声に出して笑おうとした時、ガサガサガサ──と木の枝を揺らすような音が聞こえてきた。

 鷹弥は獣を警戒して神経を研ぎ澄ませたが、辺りに大きな獣の気配はない。


(誰かいるのか?)


 空には微かに朱色が残っているものの、すでに太陽は西の山陰に隠れていて、林の中は薄い藍色に包まれている。

 目を凝らして音のした方を見ると、茂みの向こうに青い人影が見えた。

 鷹弥は立ち止まったまま人影を見つめた。薄闇に目が慣れて、少しだけ人の輪郭がはっきりしてくる。人影は小刀のようなもので低木の枝を切っていた。


「朱瑠、採れた?」


 下の方から声が聞こえてくると、人影は声の方へ振り返った。


「採れたよ!」


 大きく手を振り上げた人影は、すぐさま声のした方へと雑木林を下ってゆく。

野山を駆け慣れた若鹿のような身のこなしに、鷹弥は目を奪われた。


 人影が見えなくなってから、鷹弥はようやく我に返った。


「アカ……ル?」


 呆然とその名をつぶやいてから、慌てて人影が下りて行った場所を見下ろすと、雑木林の下に使用人の集落が見えた。



 〇     〇



「へぇー、そのお茶を薄めて髪をすすぐのね?」


 珠美がまじまじと土鍋の中の鳥柴とりしば茶を見ている。

 このところ桃の髪がやたらときれいになったので褒めたら、鳥柴茶をうすめて髪をすすぐのだと教えてくれた。

 それを桃に教えたのがアカルだと知った珠美は、すぐに鳥柴茶を作らせた。


「珠美もやってみなよ。あたしもやるからさ。今度の休みまでにもっとつやつやの髪にしたいんだ」


 恥ずかしそうに桃が言う。

 珠美はじっと考え込んでいたが、ふと、アカルに目を向けた。


「ねぇ、朱瑠にも知り合いの武官を紹介してあげようか? あんた無愛想だけど素材は悪くないと思うのよね」

「えっ、私はいいよ」


 アカルは力なく手を振る。


「あら、遠慮しなくていいのよ。今度の休みの日に桃に武官を紹介するから、同僚を連れて来てもらえばいいし」

「そうよ、朱瑠も一緒に行きましょう! 正直言うと心細かったの!」


 桃がアカルの腕をつかむ。


「でも私は、今は仕事だけで精一杯だし」

「大丈夫よ! あたしたちの今度のお休みの日に、西門前の池でお祭りがあるの。その前夜祭を一緒に見に行きましょうよ。色々と食べ物が振舞われるのよ」


 年齢に関係なく、ここでは珠美が一番の古参だから、もちろん珠美は自分の提案が断られるとは思っていない。


「わかったよ……」


 アカルが渋々うなずくと、桃が背中に飛びついて来た。


「よかったぁ! 朱瑠、一緒にがんばりましょうね!」

「う、うん……」


 アカルは混乱していたが、それでも一生懸命微笑みを浮かべた。



 〇     〇



「明日はお休みだったわね。大丈夫よ。朱瑠は下女ではないのだから、ちゃんと休んでおきなさい」

「はい」


 仕事終わりに生真面目な顔で頭を下げるアカルに、菊花きくかは微笑みかけた。

 口数の少ないアカルとはいつも同じやり取りしかしないが、任された仕事に自分なりの工夫を加えてくる彼女の仕事は気に入っている。


 草木に詳しいのは山奥の里で育ったゆえの知識だろうが、それを腐らせることなく使いこなしている。

 頭の良い子だ。愛嬌は無いが、光るものを感じる。機会に恵まれさえすれば、女官に取り立てられることもあるだろう。


「つまらない男に捕まらなきゃいいけど‥…」


 アカルの後ろ姿を見送っていると、同僚の桔梗ききょうにポンと肩を叩かれた。

 くせのある髪と少し垂れ目がかわいい菊花と違い、桔梗はキリリとした美人でどことなく珠美に似ている。


「聞いたわよ。珠美ったら、朱瑠にも武官を紹介するんですってね」

「らしいわね……」


 菊花は困ったように肩をすくめる。


「何も言ってあげなかったの? 珠美は自分の敵になりそうな子には、必ず殿方を紹介するってこと」

「だって、私が教えたところで朱瑠が断れる訳じゃないもの。朱瑠はまだ下働きになって日が浅いのだから……」


 菊花も桔梗も話に夢中だった。



 ちょうど西の高殿から出てきた鷹弥は、ふと、回廊を下ってゆく少女の背中に目をとめた。背中で揺れる黒髪とぴんと背筋の伸びた歩き方が、どことなく雑木林にいた娘に似ているような気がした。

 ぼんやりと見送っているうちに、少女の姿は回廊の左側に消えて行く。阿知宮の使用人の宿舎がある場所だ。


(そうか、もうそんな時間か)


 鷹弥は止めていた足を動かして平宮の入り口に向かおうとしたが、女官たちの話し声が聞こえてくると再び足を止めた。


「──でも菊花、朱瑠のこと気に入っているんでしょ? あの子、不愛想だけど顔立ちは悪くないから、相手の武官と上手くまとまっちゃって、下働きを止めてしまうかも知れないわよ」

「それは困るわねぇ……」


 菊花はため息をつく。


(……やはり、そうなのか?)


 確かめずにはいられなくなって、鷹弥は女官たちの会話に割って入った。


「済まない、今ここにいた娘は何という名だ?」

「これは鷹弥さま」


 突然現れた鷹弥に驚きつつも、菊花と桔梗は上品にお辞儀をする。


「あの者は、私が使っている下働きの娘で朱瑠と申しますが……何か粗相でもございましたか?」


「いや、そうではない。見かけない顔だから……いつから働いている?」

「あの子がここへ来たのは、二十日ほど前だったと思います」

「朱瑠はここへ来てまだ日が浅いので、鷹弥さまがご存じなくても無理はありません」


 菊花と桔梗が微笑みながら答える。


「そうか……」


 呆然としている鷹弥を、菊花は小首をかしげて見上げた。


「どうかいたしましたか?」

「いや、何でもない。手間を取らせて済まなかった」


 平静を装って何とか自分の平宮に戻ったが、誰もいない奥の間に入るなり、鷹弥は手にしていた木簡を取り落とした。

 同じ名前の娘などたくさん居るだろう。背格好や歩き方が似ている娘もたくさん居るはずだ。女官たちの話を聞いて、鷹弥は何度もそう自分に言い聞かせた。

 あの娘がここに居るはずが無いとわかっているのに、どうしても自分の都合の良い様に考えてしまう。


(アカル……俺を探しに来たなら、どうして訪ねて来ない?)


 鷹弥はよろけるように文机の前に座り込んだ。

  

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