五 千代姫の呪い
先触れが来ていたのか、アカルと
高殿の
鮮やかな朱色の織り布を背にして、
(この男が、
白髪交じりの壮年の男だが、大国の王というよりは一族の長といった方がしっくりくるような、筋骨逞しい戦士のような男だ。
「遠路はるばるよく来てくださった、巫女殿。
アカルと
「まずは一息ついて欲しいところだが、そうも言っていられなくてな。案内するからすぐに、今すぐに千代姫を見てやってくれ!」
唾を飛ばしながらそう言うと、
予想外だったのは、
「済まぬな。この宮の者はその……怖がって千代姫の宮には近づかぬのだ」
アカルの前を歩いていた青影が、少しだけ振り向いて申し訳なさそうな顔をした。
「怖がって? 千代姫の呪いは病だけではないのか?」
アカルは首を傾げた。
「ああ。ほとんどは眠っているか苦しんでいるのだが、時おり何やら恐ろしいものになる」
そう言う青影の顔もわずかに青ざめていて、恐ろしい左目の傷も情けなく歪んでいる。
「それは初耳だな」
「ふーん。どうやら呪いっていうのは間違いなさそうだね」
アカルたちが歩いている渡り廊下の先に、庭に面した美しい離れ宮が見え始めた。ただ、ほかの宮とは様子が違い、そこだけ黒い霧がかかっているように見える。
そこから漂うおぞましい気配に、アカルは顔をしかめた。
「わかるか、巫女殿?」
青影が振り向いて、アカルの表情をじっと窺う。
「ああ、わかる」
アカルが短く答えた途端、離れ宮からキャーという女の悲鳴が聞こえて来た。間髪を入れずに戸が開け放たれ、年かさの女官が二人ほど駆け出してくる。
「青影さまっ! 千代姫さまが……」
女官たちは渡り廊下に身を投げ出して、助けを請うように青影を見上げた。
「お前たちは下がっていろ」
青影は女官たちの間をすり抜けて、どんどん離れ宮に近づいて行く。
アカルも青影の後に続いた。
開け放たれた戸の向こうで、敷布の上からゆらりと少女が立ち上がった。
長い髪も、身に纏った白い衣もわずかに乱れている程度だが、黒髪に縁どられたその顔は、およそ人の子のものとは思えなかった。
「なっ……なんだこれは! これが、千代姫さまなのか?」
後ろから
千代姫の顔は青黒く染まり、悪鬼のような形相で牙をむいていた。
グルルルルルー グルルルルルー
獣の唸り声のような声が、千代姫の喉から漏れる。
「千代姫……」
さすがの青影も戸口に立ったままで、部屋の中には入ろうとしない。
「失礼、入るぞ」
アカルは青影を追い越して部屋の中に入ると、薄緑の
シュッ シュッ シュッ
木を削る規則正しい音が聞こえ始めると、恐る恐る近寄って来た
アカルが手を動かすたびに、木の皮をはいで剥き出しになった白い木肌が、クルクルとねじれて可憐な花びらの様になってゆく。
「お前は……何をしているんだ?」
呆気にとられたような声だった。
「削り花を作っている。姫に憑いているのは、神だ」
答える間も、アカルは作業の手を止めない。
「神だと? だからって、なんでお前はお供え物なんか作ってるんだ! そんな事より、千代姫さまをどうにかしろ!」
その刹那、指をさされたことに怒った千代姫が、
「ギャー!」
「ひぃっ!」
「神も苦しんでいるんだ。今はとにかく、神を鎮めなくてはならない」
アカルは動じることなく削り花を作り続ける。
「
「グルル……ガァー!」
「ごめん!」
立ち上がったアカルが、飛びかかって来た千代姫の前に左手を振り上げる。
手にしていた削り花と千代姫の額がぶつかった途端、勢いを失くした千代姫の体がどさりと床に落ちる。
「おお! 千代姫の顔が……元に戻っているぞ!」
青影は床に倒れた青白い千代姫の顔を見てから、その横に平然と立つ若い巫女に視線を移した。
「呪いは……消えたのか?」
呆然としたまま青影が尋ねると、アカルは首を振った。
「鎮まってもらっただけだ。この呪いは神にも苦しみを与えているらしい。まずは千代姫から神を出さねばならない。全てはそれからだ」
アカルはそう言うと、何事もなかったように同じ場所に座り込んだ。
「千代姫を寝かせてあげてくれ。それと悪いが、私は今夜ここに泊まらせてもらう」
「ああ、わかった。巫女殿の良いようにしてくれ。食事もここへ運ばせる」
「いや、食事はいらない」
青影の言葉を、アカルは遮った。
「おおいっ! 休みもせず、食事もなしで大丈夫なのか?」
夜玖が口を挟んだ。
「千代姫さまも落ち着いたみたいだし、今夜はゆっくりしたらどうなのだ?」
情けない顔をしている夜玖に、アカルはちらりと視線を向けた。
「昨日の温泉地でゆっくり休ませてもらったから、私は大丈夫だ。それに、千代姫をこのままにしておけば衰弱するばかりだ。急いだほうがいい」
「そうか……では俺も、一晩ここで警護につこう」
「では、わしもつき合おう。今宵は警護の者にこの宮を囲ませる」
青影はそう言って、遠巻きにしていた女官たちを呼び戻した。
「お好きなように」
アカルは再び懐から木の枝を取り出すと、静かに削りはじめた。
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