四 姫比の新王


 姫比きび国の王宮、阿知宮あちみやでは、太丹ふとに王を失った混乱が続いていた。

 武人たちは、太丹王を殺した宇良うら王子の偽物を追い続け、文官たちは太丹王のもがりや、宇良の新王即位の準備に明け暮れていた。

 そんな中、鷹弥だけがアカルを探していた。

 下働きの娘たちに聞いても、あの日から、誰もアカルを見ていない。


(アカルは……約束を破ったことは無いんだ)


 鷹弥は、自分がアカルを追い詰めたのだと思った。待っていると約束したものの、時間が経つうちに心に迷いが生まれ、逃げ出したのだろうと思った。けれど、アカルが誰にも姿を見せずに消えるのは、とても不自然だった。

 あの白鴉の力を借りれば、姿を消すことは容易いだろう。しかし、世話になった娘たちに別れも言わず、荷物も持たずにこっそり出て行くとは到底思えない。

 可能性があるのは、あの日、帰国の途についた都萬つま国の使節団だ。

 一番考えたくはなかったが、今となっては、あの時すぐに依利比古いりひこの船を追わなかった事が悔やまれる。


「鷹弥さま!」


 港の兵舎から黒森くろもりが出て来た。

 異国船が消えて、静かになった穴海あなうみ湾を眺めていた鷹弥は、駆け寄ってくる黒森に向き直った。


「都萬国の船団が帰国した日に、港の警備にあたっていた者たちを集めました。特に不審な点はなかったと言っておりますが、直にお聞きになりますか?」


「ああ。済まないな、黒森」

「いえ」

 肩を並べて歩きながら、黒森が窺うような視線を向けてくる。


「朱瑠さまを探しに、都萬国まで行かれるつもりですか?」


「ああ、そのつもりだ。お前の言いたいことはわかってる。こんな時に済まないと思うが、俺の気持ちは変わらない」


「……そうですか」

 黒森は困惑した表情を浮かべていたが、それ以上何も言わなかった。



 兵舎の戸をくぐると、中にいた兵士たちが一斉に跪く。

 鷹弥は兵士たちを見回してから口を開いた。


「黒森から聞いていると思うが、阿知宮から消えた娘を探している。都萬国の船に乗せられた可能性がある。不自然に大きな荷があったとか、些細なことでいいんだ。何か見ていないか?」


 鷹弥の言葉に兵士たちは首をひねる。


「黒森さまにもお伝えしましたが、私たちは不審な物や人を見た覚えがございません」

 年配の男が代表して答える。


「そうか」


 目撃者など、いないだろうと思っていた。港の兵士に不審がられるようなヘマを、あの依利比古がするとは思えない。それでも鷹弥は、藁をもつかむ気持ちでここへ来たのだ。

 兵士たちの中に、鷹弥をじっと睨むように見ている男がいた。何となく見覚えのある顔だと思って見返した瞬間、過日の記憶が蘇った。

 鷹弥はおもむろにその男の方へ歩み寄った。


「お前、祭りの晩に、アカルと一緒にいた奴だな? アカルを見てないか?」

「えっ……いなくなった娘って、朱瑠ちゃん、なのですか?」

 海渡かいとは大きく目を見開いて、鷹弥を見返した。

「そうだ」

「ええっ、なんで? なんで朱瑠ちゃんが?」


 素っ頓狂な声を上げる海渡から、鷹弥は離れた。


「何でもいい、思い出したことがあったら、知らせてくれ」


 兵舎から出ると、鷹弥はすぐに阿知宮に向かった。これ以上手がかりを探しても、無駄に時間が過ぎるだけだと分かっていた。


「黒森、都萬に向かう船はあったか?」

「いいえ。都萬国との交易は疎遠になったままですから……」


 困ったように首を振った黒森の目が、ハッと上を向く。


「鷹弥さま、あれ!」


 黒森が指さす方を見ると、南門の前にある松の木に、白い鴉が止まっていた。


「あの鴉っ!」


 息が止まるほど驚いて、鷹弥は松の木に駆け寄った。この白鴉に会えて、これほど嬉しかったことは今まで一度もない。


「おまえ、アカルの居場所を知っているのか? 知っているんだよな? 頼むから、俺が戻ってくるまで、ここで待っててくれ。絶対に動くなよ!」


 鴉に向かって命令口調の頼みごとをすると、鷹弥は大急ぎで南門をくぐった。


 〇     〇


 旅支度をすませた鷹弥は、その足で宇良の高殿へ向かった。


「宇良さま、鷹弥です」

「入れ」


 護衛の兵士が戸を開けると、奥に座る宇良の姿が見えた。彼はいつになく静かな面持ちで、鷹弥が傍に来るのを待っている。


「その恰好、旅に出るのか?」

 静かな問いかけだった。

 いつものように鷹弥を馬鹿にしたり、旅立つことを止めようとする素振りはない。


「そうだ。こんな時に済まないが、どうしても行かねばならない所がある」

 鷹弥がそう言うと、宇良は頷いた。

「あの娘を探しに行くのだな」


 鷹弥は眉をひそめた。宇良の言葉が疑問ではなく、確認だったからだ。

「……あの娘だと? アカルを知っているのか?」


 ますます違和感が増してゆく。

 不審げに眉をひそめる鷹弥に、宇良は静かな笑みを返してくる。


「一度だけ会ったことがある。胸倉をつかまれて、思い切り頬を打たれた。その後、自分の生き方を考えろと、叱責された。小気味いいほど真っ直ぐな娘だな」


「お前……宇良じゃないな? 何者だ?」


 パッと一歩飛び退いて、鷹弥は腰の剣に手をかけた。


「もう、わかっているのだろう? 私は宇良の影。今は宇良が私の影だ」


 冬至の夜、太丹が殺されるところを、鷹弥は見ていない。けれど、宇良と同じ顔を持つ男が、太丹ふとに王を殺害したのだと、何人もの人間から証言を聞いている。

 目の前で微笑むこの男が、その犯人に間違いない。そう思う反面、疑問が膨らんでゆく。何故アカルは、この男のことを知りながら、誰にも話さず、庇うような真似をしたのだろう。 


「お前が宇良の偽物か? 太丹王を殺したのはお前なのか? アカルとはいつ知り合った?」


 殺気立つ鷹弥に対して、男は静かな佇まいを崩さない。


「朱瑠はそなたにも、私の事を話さなかったのだな。本当に義理堅い娘だ。朱瑠と会ったのは、父を殺した夜、一度きりだ。私を育てた巫女が、朱瑠を仲間に引き入れようとしたが、姫比に関わる気はないと断られた」


 男がスッと視線を移した先に、いつの間にか白装束の老女が立っていた。


「朱瑠が依利比古に連れ去られては、そなたも心穏やかには居られないだろう。早く追いかけるが良い。安心しろ、天地神明に誓って、私はこの姫比を乱すつもりはない。宇良に代わってこの国を守り、治めるだけだ」


「お前が、姫比の王に?」


「不満か? 私は宇良と時を同じくして生まれた兄弟だ。その資格はあるはずだ。それなのに、太丹は双子が相争うものと決めつけ、赤子の私を殺そうとした。私は積年の恨みを晴らすために太丹を殺し、宇良を影に落とした。だが、あの二人に恨みがあるのは、そなたも同じであろう? 紫帥しすい王の息子、鷹弥よ」


 男の言葉は静かなのに、まるで正面から矢を射られたような気分だった。


「お前が……宇良の、双子の兄弟だと? 確かに俺は、太丹や宇良に対して恨みを持っていた。だが、殺そうと思ったことはない!」


「そうか。そなたは幸せだったのだな、鷹弥。もしもそなたが王位を継ぎたいと言うのなら、私は別の話しをしなければならない。だが、そなたが大切に思っているのは、あの娘だけではないのか?」


 彼は、鷹弥のことを何もかも見通しているようだ。


「……俺は、王位になど興味はない。だが、この国には母も妹もいる。例え俺がこの国を去ったとしても、姫比の平和と安寧はいつも気にかけている。むろん、お前がこの姫比を守り、宇良よりもマシな王になるというのなら、俺は邪魔するつもりはない。だが、俺はまだ、お前の名前すら聞いていない。まずは名乗ったらどうだ!」


 鷹弥は厳しい目で男を見下ろした。


「名か……お前も朱瑠も、ずいぶん名にこだわるのだな」

 男はため息とともに微笑んだ。淋しそうな、暗い思いを抱えたような笑みだった。


「朱瑠に叱責された後、私は自分の生き方を考えた。今までの生き方と、これからどう生きて生きたいのかを考えた。そして、その後、自分に名を与えた。私の名は、姫比津彦きびつひこだ!」


 彼が名乗った瞬間、鷹弥は気圧けおされた。

 姫比国の名を背負うと宣言した男は、まるで神のごとく内側から輝いて見えた。


  

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