二 宇奈利(うなり)の神話
────
聞いたことのない神の名を、
「なにそれ?」
「暗御神は蛇神だよ。あたしは良く知らないけど、
あの男とは、きっと
「月弓が……なるほど」
初めて会った時から、月弓は不気味な気配を纏っていたが、
「その蛇神を祓う方法は無いのか? とにかく、これを取りたいんだけど」
宵芽の前にずいっと左腕を突き出すと、彼女はうーんと唸って腕を組んだ。
「取ってあげたいけど、あたしじゃ無理だよ。楓さまでも難しいって言ってたもん。でもね、宇奈利の神話に出てくる剣なら、斬れるんじゃないかな」
「それって、どんな剣?」
「えーとねぇ、
宵芽は嬉々として教えてくれたが、そんな霊剣がそこらにある訳がない。アカルはあははっと笑ってしまった。
「もしかして、信じてないの?」
アカルの乾いた笑いに気づき、宵芽はふくれた。喜んでくれると思ったのにぃ、とぶちぶち文句を言っている。
「だって、剣があればだろ? 何処にあるのかわからないなら意味ないよ」
「でも……尹渡国の後継なんだから、
宵芽は不満そうにブツブツと呟いている。顔が見えないことを差し引きても、なんとも可愛らしい仕草だ。アカルはだんだんと、宵芽の明るさに惹かれ始めた。せっかく知り合ったのに、顔が見られないのは淋しいと思うほどに。
「宵芽は、顔を見せちゃいけないのか?」
アカルがそう訊くと、宵芽の全身からパッと歓喜の波動が放たれた。辺りを照らし、闇を払うような光の波動だ。
「あのね、温泉なら大丈夫だよ! 湯屋では布を取ってもいいんだ。一緒に入ろうよ!」
勢いよく立ち上がりながら、宵芽がアカルの手を引いた。瞬間、ビリリッ────と火花が散る。宵芽の指先が
「これに触るな。宵芽の力まで吸い取られるぞ!」
「う、うん。気をつける……」
呆然と頷く宵芽。想定外の衝撃だったらしく、さっきまでの明るい波動がしぼんでいる。
「大丈夫か?」
心配になって声をかけると、宵芽はすぐさま陽の波動を取り戻した。
「うん、大丈夫。さ、湯屋へ行こう!」
高台の河原に、藁葺き屋根と
アカルが湯に浸かっていると、衣を脱いだ宵芽がパシャッと湯に飛び込んで来た。白布を取った顔は、まさに快活な宵芽に相応しい、目のぱっちりした愛らしい顔だった。縮れた髪を頭のてっぺんに丸く結い上げている。
「うひゃあ、朱瑠って痩せすぎじゃない? 里の
宵芽には遠慮というものがないらしく、アカルの体をじーっと見つめてくる。
「いや……いろいろあって、満足に食べられなかったんだ。普段はこんなに痩せてないよ」
恥ずかしくなって、アカルは胸の前で腕を組んだ。
アカルの事を痩せていると言うだけあって、宵芽は小柄だが、丸みを帯びた娘らしい体つきをしている。渡海人の血よりも、隼人の血が濃いような風貌だ。
「ねぇ、
「うん、いいよ」
宵芽はそう言って、アカルの隣に並んだ。視線は遠い山々へ向けている。
「宇奈利はね、昔は隼人の巫女だったんだ。その中でも、火の神を祀る特別な巫女のことを宇奈利って言って、阿蘇のお山を守っていたんだって」
「阿蘇の山……ああ、依利比古の地図にあった、あの大きな山か!」
「うん。筑紫の中心にある山だよ。朱瑠は知ってるのかな? 筑紫の日の巫女は、宇奈利だったんだよ」
首を傾げながら、宵芽はアカルを見上げた。
「まだ
難しい顔をしながら、宵芽は国の興亡を語ってくれた。
「伊那国が出来た後にね、王の軍隊が火乃宮にやって来たんだって。よほど飢饉を畏れたんだろうね。王は天候を読む巫女が欲しくなって、宇奈利の娘を無理やり連れて行って、日の巫女の位につけたんだ。その時に、火乃宮は王の軍にめちゃくちゃにされて、小さかった楓さまたちは、この阿良々木に逃げて来たんだって」
「へぇ、そんな事が……それからは、ずっとここにいるのか?」
「うん。ここは阿蘇にも近いし、神域だからね。でも……あたしは同じ年頃の子がいなくてつまらないんだ。年々、宇奈利の力を受け継ぐ子供が生まれなくなっているんだって」
宵芽の言葉にアカルはハッとした。
「岩の里も同じだよ。と言っても、岩の里は代々一人の巫女が継いでいくんだけど、次の岩の巫女は決まっていないんだ」
「へぇー」
同じ思いを共有したせいか、宵芽はちょっと嬉しそうに目をぱちぱちさせている。
「それじゃあ朱瑠は、岩の巫女の後継じゃないの?」
「うん。正式な巫女でもないんだ。岩の巫女の手伝いみたいなもんかな」
アカルはギョロ目の老巫女を思い浮かべた。あれから体の具合は良くなったのだろうかと、ぼんやりと山の景色に目を向けて故郷を思い描く。
そんなアカルを、宵芽はキラキラした目で見上げた。
「やっぱりそうだ! あたしね、楓さまから言われてたことがあるんだ。おまえはいつか、この里を出て行く人間だって」
「それ……私もばば様から、似たようなこと言われた!」
呆然とアカルが呟くと、宵芽は満面の笑みを浮かべた。
「でしょでしょ! 思った通りだよ。あたしはきっと、朱瑠と一緒に行くんだ! 朱瑠が来るって聞いてから、何かこう、運命が近づいて来るようなドキドキがしてたんだ!」
宵芽があまりにも嬉しそうなので、アカルは慌てて手を振った。
「そう言ってくれるのは嬉しいけど、それは違うよ。私は今のところ依利比古の虜囚だし、こんなものを付けられてるし────」
「大丈夫だよ、それはきっと取れるって!」
宵芽はどこまでも前向きだ。彼女の顔を見ていると、思い悩んでいた自分が馬鹿馬鹿しく思えてくる。アカルはうーんと唸ってから、無理やり気持ちを切り替えた。
「そうだね。悪いことばっかり考えてたらいけないよね。さっきの宇奈利の神話ってやつ、もう一度教えてくれる?」
「いいよ。宇奈利になるとね、みんな最初に火の神話を習うんだ」
宵芽はそう前置きすると、湯舟の中で姿勢を正した。
『宇奈利の仕事はただ一つ、阿蘇のお山を守ること。
高き霊山阿蘇の山、魂集まり冥府へ向かう。
冥府におわす山神さまは、命の満ち干を司る。
しかし人の子争いはじめ、多くの命が消え去ると
人の満ち干が狂いだし、命の均衡破られる。
山と大地が大きく揺れて、山は炎を噴き上げた。
火から生まれた荒ぶる神は、森と里とを焼き払う。
神を畏れた人の子は、争いやめて祈りを捧ぐ。
祈りに応えた大地の神と、人が作った破魔の剣
荒ぶる神を討ち払う。
血から生まれし蛇神は、暗き谷間へ消え去りぬ────』
宇奈利の神話は、子供に聞かせる昔歌のようなものだった。
歌うように語った宵芽は、ふぅっと息を吐くと、両手を伸ばして伸びをした。
「ホントはもっと続くんだけど、朱瑠が知りたいのはこの辺りだと思うよ」
そうだね、とアカルが頷くと、宵芽が補足をしてくれた。
「最後の蛇神が暗御神だよ。斃された火の神の血から生まれたんだって」
「ありがとう。なんか、希望が湧いてきたよ」
まだ何も解決していないのに、宵芽から陽の気を貰ったせいか心が温かかった。
久しぶりに穏やかな気持ちになって、アカルは外の景色を眺めた。冬枯れの山々を、大きな鳥が円を描くように飛んでいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます