六 ソナの決意


 都見物の翌日から、アカルは以前よりも千代姫の身辺に目を配りはじめた。

 阿羅あらのヒオク王子が金海に潜入していたのは、千代姫を狙って何かを仕掛けて来るつもりではないかと疑ったからだ。

 しかし、数日経っても何の変化も起こらなかった。


(千代姫を狙ってた訳じゃないのかな?)


 アカルはぼんやりと外の景色をながめた。

 ここは城の大広間で、たくさんの侍女に囲まれた千代姫が、金海の衣をあつらえるために布を選んでいる。

 アカルは侍女たちの一番外側で、風通しよく開け放たれた中庭を見ていた。

 すると、柱の陰からひょっこり顔を出した夜玖やくと目が合う。

 女ばかりの部屋に入るのを遠慮したのだろう。出来るだけ姿が見えないようにしながら、手をヒラヒラさせてアカルに合図を送ってくる。

 アカルはそっと中庭を囲む廊下へ出た。


「どうかしたか?」

「実は水生比古みおひこさまから連絡が来たんだ。こちらに来てずいぶん経つし、千代姫さまの身辺にも支障はなさそうだ。雨の季節になる前に智至ちたるに戻るぞ」

「智至に……そうか」

 もう金海にはいられないのだと思うと、急に寂しさが胸に広がってくる。

「出港はいつ? 急に明日とか言わないよね?」

「まぁ、二、三日後ってところだ。準備しとけよ」

「わかった」


 帰ることははじめから決まっていた。心配していた千代姫も、だんだんとここの暮らしに慣れてきているし、サハ王子ともずいぶん打ち解けたように見える。

 金海に来る前から、アカルは早く岩の里に帰りたいと思っていたのに、この後ろ髪を引かれるような思いは何なのだろう。

 千代姫のいる広間に戻っても、アカルはうわの空だった。



 夜になると、アカルはいつものように城壁に上った。

 先に来ていたソナは、アカルの姿を見るなり今夜も陽気に冒険の話を始める。

 ソナの話を聞いていると、さっきまで鬱々としていた気分も少しだけ晴れてきた。

 西方への冒険はアカルにとっては夢でしかなかったけれど、ここにいる間は好きなだけ夢を膨らませることが出来る。


「なぁ、アカルも一緒に行かないか? きみがいると心強いんだけどなぁ」

 ソナが無邪気にそう言った時、アカルの夢は急速にしぼんでいった。

「嬉しいが、私は智至のために働いている身だ。一緒には行けない」

 アカルは心を平静に保ってそう答えた。


「千代姫の侍女ならたくさんいるじゃないか」

「いや……私は、千代姫の侍女ではない。身辺の安全を確認したら、智至へ帰ることになっている」

「えっ、アカル、帰るの?」

 ソナはよほど驚いたのだろう。目を見開いたまま固まっている。

「もう間もなくだと思う」

 アカルが答えると、ソナは急に黙り込んでしまった。


 〇     〇


 次の夜から、ソナは城壁に現れなくなった。

 出港の日がとうとう明朝に迫り準備に忙しくなると、アカルはもうソナに別れを告げることは出来ないだろうと覚悟した。


(楽しかったと、伝えたかったのに)


 自分の部屋を片づけ、荷物を葛籠に押し込んでいると、青葉がやって来た。

「朱瑠、千代姫さまがお呼びよ」

「はい」

 アカルは青葉の後について廊下を歩きはじめた。


「まったく、あんたみたいに仕事をしないでいつもどこかへ行ってしまうような侍女が、なぁんで千代姫さまは気に入ってらっしゃるんでしょう。ほんとに訳が分からないわぁ」

 青葉はちらちらとアカルの方へ振り返りながら不満をぶつけてくる。

「あたし達みんな、あんたが智至へ行くって聞いて、そりゃ驚いたけど喜んでんのよ。千代姫さまのお世話に、あんたは必要ないもの」


「そうですね」

 アカルが答えると、青葉はキッと顔を赤くした。

「本当に、最後までムカつく子ね!」

 フンと顔を背けた青葉は、それ以上何も言わなかった。



「千代姫さま、アカルです」

 声をかけて部屋に入ると、千代姫がにこやかに迎えてくれた。

「よかった。今日はお部屋にいたのね」

 千代姫の部屋には侍女が数人と客人がいた。アカルに背を向けて、立派な衣を着た男が千代姫と向かい合うように座っている。

 千代姫の夫のサハ王子だと思い、アカルは深々と頭を下げた。


「朱瑠、こちらはサハさまの末の弟君、ソナ王子です」

「えっ?」

 アカルは驚いて顔を上げた。

 千代姫に紹介されたソナはアカルの方に向き直ると、にっこりとよそ行きの笑顔を浮かべた。


「ソナさまは交易を学ぶために、朱瑠たちと一緒の船で智至ちたるへ行くことになりました。夜玖やく殿にも頼んでおきましたけど、渡海の間のお世話をお願いします」

「は……はい」

 呆然としていたアカルは、うわの空で返事をした。


「ありがとうございます、姉上。荷物の事などはアカルに聞くことにします」

 ソナはにっこり微笑んで立ち上がると、床に跪いていたアカルのそばへ近寄った。

「アカル、荷物はどこに持って行ったらいいんだ?」

「はぁ……では、船までご案内します」


 千代姫の部屋を出て廊下を歩き、ソナの部屋だという城の端まで来た時、アカルはようやく口から漏れそうになっていた疑問をぶちまけた。

「ねぇ、どういうこと? どうしてあなたが智至へ行くんだ?」

 アカルが睨むように見上げると、ソナはへらへらと笑ったまま言った。

「交易を学ぶためだよ」

「なぜ交易を学ぶんだ?」

「嫌だなぁ、どうしてアカルが怒るんだい?」

 ソナは傷ついたような顔をする。


「だって……あなたは西方へ行く準備をするんじゃなかったのか? 智至へ行ったら、かえって遠くなるじゃないか!」

 あんなに楽しそうに語っていた夢を諦めるつもりなのか? ソナにとっての西方は、簡単に忘れてしまえるほど軽いものだったのか──そう思うと、なぜだか怒りが湧いてきた。


「交易を学ぶって言うのは、父上に許しをもらう為の口実だよ。智至へ行くのも準備のひとつさ。これでもいろいろ考えたんだぞ」

 ソナは偉そうに腕を組んで言葉を続けた。

「ここでは、俺は金海の王子でしかない。俺がここで仲間を見つけようとしても、気まぐれな王族の命令だと思われたりして、結局は金で船や水主かこを雇うしかなくなる。けど、智至へ行けば誰も俺を知らないだろ? その方が、仲間を見つけやすいと思うんだ」


「……まぁ、それは、確かに」

 アカルはしぶしぶ頷いた。

「だろ? アカルに会うまでは、俺にとってただの夢でしかなかった西方行きが、今は形を作り始めてる。全部アカルのお陰だ。だから俺は、もうしばらくきみのそばにいたい。出来るなら、アカルにも一緒に来て欲しいと思ってる」


 気がつくと、アカルの右手がソナの手の中にすっぽりと収まっていた。

 明るい日差しの中で見るソナの瞳は、茶と緑が混ざったような複雑な光を放っていて、キラキラと目に眩かった。


 ざわっと、心が騒いだ。


「あ……明日は早いから、荷物は今日中に船に運ばないと。手伝うよ」

 アカルはさり気なくソナの手を振り払ったが、鼓動はずっと早鐘を打ったままだった。

  

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