八 真砂島


 夜のとばりが下りた頃、武人を乗せた小舟が、安波岐あわきの川港に到着した。

 その小舟から下りた数名の武人の中には、変装したヒオクが混じっている。彼の来訪は、西都さいとにいる武輝たけてる王のを警戒して、依利比古いりひこのごく僅かな部下たちによって秘密裏に行われた。

 事前に依利比古の使鬼・葉月はづきを遣わして、ヒオクとは綿密な打ち合わせを行った。その甲斐あって、彼は注目される事なく、安波岐の宮の門をくぐることが出来た。


「依利比古さま、約束は守ってくれるんだよね?」


 僅かな供回りだけで、こそこそと安波岐の宮へ来ることになったヒオクは、垂れ気味の大きな目に不満の色を滲ませている。


「もちろん。明日は十世とよの居る所へ連れて行くよ。ヒオク王子こそ、約束の物は持ってきてくれたのだろうね?」


 笑みを浮かべて依利比古が訊き返すと、ヒオクは腰に帯びていた大剣を鞘ごと外し、両手に捧げるようにして差し出した。


韴之剣ふつのつるぎはこれだよ。僕が騙されてない限り本物だよ。伊那いなの義父上に訊いたら、神殿にあるから好きにしていいって言われたんだ。確かに神殿にはあったけど、巫女たちも忘れてるくらい大昔の剣みたいだよ。装飾も地味だし、とても由緒ある霊剣には見えないね」


「確かに」


 依利比古は探るような目で大剣を見つめ、両手で受け取った。

 スンっと、何かが手のひらに伝わってきた。体の中に清涼な風が吹いて、凝っていた闇の気が祓われ、霧消してゆく。

 韴之剣を見つめたまま、依利比古は満足げな笑みを浮かべた。


「きみが要らないなら、私がこの韴之剣を貰ってもいいかい? もちろん、代わりにきみの好きな剣をあげるけど」


「べつに代わりの剣はいらないよ。十世に会わせてくれるなら、韴之剣をあげてもいいよ」


「ふふ、欲がないね。本当に十世に会うだけが望みかい?」


 依利比古は微笑みながら、片口の酒器を手に取りヒオクの杯に酒を注ぐ。


「もちろん、それだけじゃないよ」


 ヒオクは肩をすくめた。


「義父上はさぁ、十世を、日輪殿にちりんでんのような中立地帯に隔離しておきたいらしいけど、僕は別に、十世が何処に居ようと構わないんだ────ただ、僕がこれから治めることになる伊那国が、辺境の小国に成り下がるのは嫌なんだよね」


 ヒオクは普段から明け透けな物言いをするが、慣れているはずの依利比古もこれには少し驚いた。


「なるほど。今の伊那国は、確かに筑紫の中心とは言えないが、大陸との交易に関しては、伊那がこの八洲の玄関口だ。大陸の大官とのやり取りも、全て伊那国が取り仕切っている。けれど、きみはそれだけじゃ満足できない。今の伊那国のあり方では不満だということだね?」


 面白い事を探して悪戯を繰り返していたあのヒオクが、初めて統治者としての欲を滲ませている。

 依利比古は、己の胸が高鳴るのを感じた。ヒオクの変化に触発されるように、依利比古の内に秘めていた策謀が、動き出そうとしている。


「────ならばヒオク王子、私と協力しないか?」


 普段は清楚な女を思わせる依利比古の美しい顔に、ぞくりとするような蠱惑的な笑みが浮かんでいた。



 〇     〇



 青空と海との間に、小さな島が浮かんでいる。山がなく平坦なその島は、真っ直ぐに続く都萬つま国の海岸線のすぐ近くにある。

 一面を緑の木々に覆われ、その周りを白い浜が囲んでいる。浜の周りには、ギザギザした縞模様の奇岩が平らに広がり、波に洗われている。

 早朝に安波岐の宮を出た船は、島を囲むギザギザの岩を避けて筑紫側の入り江に入り、そこから三艘の小舟で島へ渡った。

 島は巫女の住まう神域ということもあり、島の中へ入ったのは依利比古と狭嶋さしま、ヒオクとその部下、アカルと山吹やまぶき、そして数名の武人だけだった。その他の武人たちは浜で待機している。


「────良かったではないか」


 山吹が、アカルを励ますように声をかける。


「まぁね」


 答えるアカルは、山吹ほど楽観的ではない。真砂島に連れて来てもらえたのは幸運だったが、依利比古の真意はわからない。彼は霊剣を手に入れても、アカルを解放するつもりはないと断言した。それなのに、どうしてアカルを真砂島へ連れて来たのだろう。


(まさか……私と十世の対立を面白がっている訳じゃないよな)


 アカルを憎んでいるらしい今の依利比古なら、やりかねない。

 もちろんアカルも、鈴釧すずくしろを壊すことの出来るこの好機を逃すつもりはない。ついでに言えば、十世に文句を言える機会も、逃すつもりはないのだ。


 白砂の上を歩き、クバの森に入る。冬でも緑の葉を茂らせる不思議な木々には枝がなく、樹上から手指のように分かれた大きく細長い葉を垂らしている。

 森の中の小道を行くと、朱塗りの門があった。その奥には広場があり、正面に建つ朱塗りの柱の高殿を中心に、いくつかの建物が広場を囲んで建っていた。

 高殿の前には、十世と数人の巫女たちが並んで待っていた。依利比古が近づくと、深々とこうべを垂れる。


「よくおいで下さいました。依利比古さま、ヒオクさま。お疲れでございましょう。夕餉には早いですが、あちらでお寛ぎ下さい」


 頬を染めながら顔を上げた十世が、右手を上げて客人を案内する。

 その時、十世は客人たちの最後尾に、浅葱色の衣を纏った二人の女官がいることに気がついた。不審に思う間もなく、そのうちの一人がアカルだと気がついた。一瞬だけ表情を強張らせたものの、十世はすぐに穏やかな表情に戻り、他の巫女に案内を託した。

 アカルは、真っ直ぐこちらに歩いて来る。十世は依利比古たちを見送ると、すぐにアカルに向き直った。


「なぜお前がここにいるの?」


 眉をひそめて厳しく問うと、アカルは不敵に笑った。


「さぁ、わからない。でも、ここで会えてよかったよ。西都さいとでは、よくも私を罠に嵌めてくれたな!」


 アカルはそう言い放つなり、バチンと十世の頬を打った。


「なっ、何をするの、この無礼者!」


 叫んだ十世が、アカルの頬を打ち返す。

 二人が互いの手首をつかみ合い、取っ組み合いのけんかにもつれ込むと、オロオロするばかりの巫女たちを見かねて、依利比古が戻ってきた。


「何をしている!」


 十世とアカルの腕をつかんで引き離すと、冷たい視線を二人に向ける。


「依利比古さま、この者を追い出してください! このような穢れた者を、聖域に入れる訳にはいきません!」


 泣きそうな声で縋ってくる十世と、悪びれる様子もなく平然と佇んでいるアカルを、依利比古は見比べた。


「朱瑠、お前は浜辺に居る護衛たちの所へ戻れ」


 アカルにそう命じ、すぐに十世に向き直る。


「早速で悪いが、十世には誓約うけいをして欲しい。神殿に入るのは、十世と、私と、ヒオクさまだけだ」


「はい……」


 十世は頬を染めると、踵を返すまでの僅かな間に、アカルに嘲るような視線を送った。クスッと嗤った顔は、依利比古に選ばれた誇りに満ち満ちていた。




 人払いされた神殿の中は、ガランとしていた。

 古くから神域とされていたが、十世が来るまで、ここには僅かな巫女しか住んでいなかった。手入れはされているが神殿も古く、正面にある祭壇には、美しく磨かれた銅鏡が一つあるだけだ。

 十世は戸棚から鹿骨を取り出すと、依利比古とヒオクの前に座る。


「何を占いましょう?」


 十世の問いに、依利比古は深く息を吸い込んだ。


「私とヒオク王子は、密かに盟約を交わした。この事は誰にも知られてはならないが、十世は秘密を守れるか?」


「も、もちろんでございます! 私は今までも、これからも、ずっと依利比古さまの味方でございます。お力になれることがあれば、何でも致します!」


 必死に訴える十世の姿を見て、それまで姿勢を正して座っていたヒオクが、だらりと姿勢を崩した。


「なぁんだ、案外普通なんだね。先の日の巫女さまみたいに、仰々しく御簾みすに隠れてないのは評価するけど、正直ちょっとがっかりしたなぁ」


 ダラダラしながら不満を言うヒオクを、十世がキッと睨む。


「それでも伊那の巫女たちは、この十世が一番だと言っているのだろう?」


 依利比古が十世を擁護する。


「まぁね」


「ならば、我らの行く末を占ってもらおうではないか」


 依利比古はそう言って、十世に目を向けた。

  

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