十 空と大地の密使


 海からの風が、熱気を帯びている。

 戦う兵士たちの熱が風に乗って来るせいだ。


 阿知宮あちみやの南門に近いやぐらの上で、鷹弥は風に乱れた髪を後ろへ搔き上げた。身に着けているのはいつもの革の短甲ではなく、重い鉄の短甲だ。

 穴海湾の戦いで、姫比きび軍は破れた。水門を塞ぐ船の防柵が破られてしまうと、大王おおきみ軍船いくさぶねは姫比の港に殺到した。


 鷹弥率いる第二隊は、すぐさま阿知宮にとって返し、両軍は港の浜で激突した。しかし姫比軍の戦力は少なく、すぐに逆茂木さかもぎと環濠の内側に押し込まれてしまった。


「大王の軍を内側に入れるな!」


 門の上部や壁に沿って作られた櫓や物見から、兵たちが大王軍に向けて矢を放つ。その最前線を、鷹弥は少しずつ場所を変えながら檄を飛ばし、兵たちに交じって矢を射ていた。


「鷹弥さま! お下がり下さい!」


 黒森がやって来て、鷹弥を櫓の下へ引きずり下ろした。彼はそのまま城壁近くの木立まで鷹弥を連れて行くと、ガシッとその肩をつかんだ。


「少しは御身を大切にして下さい! あなたが死んだら、誰が姫比津彦さまを支えるのです?」


「黒森……」


「いいですか鷹弥さま、良く聞いてください。このままでは、阿知宮が落ちるのは時間の問題です。宮の周りを囲まれてしまえば、逃げ道も失ってしまいます。北門からほむらの城までの道を確保しましょう。阿知宮を失っても姫比は消えませんが、あなたや姫比津彦きびつひこさまが倒れれば、ここは文字通り大王の直轄地になってしまいます。少しでも決断が遅れれば全滅しますよ!」


「わかっている。耳元でそう怒鳴るな」


 鷹弥は、肩をつかむ黒森の腕を振り払った。

 人目を避けて話しをする彼らに、注目する者はいない。兵たちの目は、港に陣を張る大王軍に注がれている。掛け声や結弦の音で騒然としているので、話し声が聞こえる心配もない。

 黒森に指摘されたことは鷹弥もわかっていた。それでも、まだ何とか出来るのではと、劣勢を打開する機会を探していた。


「今更だが……兵を分けたのは失敗だったな」


 大きく息を吐き、鷹弥は周りを見回した。兵たちは昼夜交代で休ませているが、日々疲労は積み重なっている。これ以上戦っても、皆を死なせるだけだろう。


「仕方ありませんよ。あの時は情報が少な過ぎました」


 東の峠道に向かった第一隊の様子はわからない。徒歩の別動隊と遭遇したのか、空振りに終わったのか、東からの連絡は一切ない。穴海湾に上がった狼煙のろしを見ていれば、今頃はこちらへ戻っているだろう。だが、戻って来たところで兵力の差は大きいままだ。この阿知宮には、もともと五千もの兵力はない。


「仕方ないな。今夜、夜陰に乗じて北門から脱出する。歩兵から逃がせ。赤川を辿れば焔の城まで行ける。俺は騎馬隊の最後尾につく」


「そう言うと思ってましたよ。一緒に最後尾を守りましょう」


 黒森はホッとした表情を浮かべた後、その精悍な顔を歪めてニヤリと笑った。




 その夜────。

 鷹弥率いる第二隊は、阿知宮に詰めていた歩兵を北門から脱出させた。

 残った騎馬隊は、盛大に篝火を焚いて大王軍を牽制し、夜半を過ぎて動きが少なくなった頃を見計らって阿知宮を脱出した。


 赤川に沿って暗い山道を登ってきたせいか、焔の城の城壁の中は、篝火の炎に照らされてとても明るかった。いくら結界が張られているとしても、こんなに明るくて大丈夫なのだろうか。それほど、焔の城は光に溢れていた。


 堅固な二階建ての楼門。城壁に沿って建つ細長い兵舎。門前広場の先には林が広がっているが、その向こうにある館からも、うっすらと明かりが見えている。

 鷹弥は黒森を伴い、林の先にある姫比津彦の仮宮へ向かった。



「────鷹弥! 無事だったか!」


 二階の部屋に入るなり、姫比津彦が立ち上がった。

 もうすぐ東の空が白んでくる時刻だというのに、眠った様子はない。鷹弥に向かって駆け寄る姿は、いつも冷静な姫比津彦らしくはなかった。


「済まない。阿知宮を守れなかった」

「建物などいくらでも建て直せる。そなたたちが無事で良かった!」


 謝る鷹弥に、姫比津彦はそう言って安堵した表情を見せる。


「第一隊は?」

「まだ戻らないが、榊のによれば無事なようだ」

「そうか」


 ホッとした途端、鷹弥は急に体が重くなった。ここ数日、ろくに眠っていない。敵の様子が気になって、夜も見張りを続けていたせいだろう。


「鷹弥。疲れているだろうが、話がある。黒森も残ってくれ」


 そう言った姫比津彦の表情は、先ほどとはうって変わって硬いものだった。

 鷹弥は黒森と視線を合わせてから、姫比津彦に促されるまま、彼の使っていた文机の前に腰を下ろした。文机には、姫比を中心にして描かれた地図がある。


「見てくれ。我らは、この焔の城にしばらく籠城することになる────ここまで恐ろしい速さで進軍してきた勇芹いさせりだが、我らを探す兵は出すとしても、今後は阿知宮を動くことはないだろう。そうなると、一番恐ろしいのは、北海諸国と連動されることだ。智至ちたる西伯さいはくの兵に背後から来られれば、我らは両軍に挟まれ壊滅してしまうだろう。だが逆に、我らが先んじて北海諸国と手を組めば、大王軍に衝撃を与えることが出来る」


「それは……北海の宗主国、智至へ使者を出すってことか?」


「そうだ。北海諸国は未だ大王に降ってはいない。今まで、北海諸国と我が国との関係はあまり良くはなかったが、出来れば協力関係を取り付けたい。最悪でも、大王の軍がいる間、背後から侵攻しないという約束を取り付けて欲しい」


 そう言って真っ直ぐ鷹弥を見つめる。


「俺に……使者に立てと言うのか?」


 鷹弥は目を瞠ったまま姫比津彦を見返した。


「そうだ。北海に手を出した太丹ふとに王の系列ではなく、紫帥しすい王の息子であるそなたなら、智至王も耳を貸すかもしれない。行ってくれるか?」


「……わかった」


 戦場から離れることに躊躇いはあったが、今は頷くしかなかった。



 〇     〇



 ピーヒョー ピーヒョロロー

 内海と低い山々に囲まれた智至ちたる国の都に、トビの鳴き声が響く。


 斐川ひかわの宮の王宮に程近い、夜玖の屋敷。その庭で剣を振っていたアカルは、鳶の鳴き声に思わず手を止め、空を仰いだ。

 緑の眩しい山々を背景に、ゆったりと翼を伸ばした鳥が空高く飛んでいるのが見えた。


「なんだか、阿良々木あららぎの里を思い出すな」


 思わずつぶやいて、アカルは笑みを浮かべた。

 いつも剣の相手をしてくれる夜玖やくは、水生比古みおひこの警護で今は不在だ。


 アカルは兼谷かなやの剣で、素振りを繰り返していた。正直に言えば、重い鉄の剣は手に余る。構えた剣を振り下ろすたびに、体が持って行かれそうになる。

 訓練したところで、自分の剣が使い物になるとは思わない。剣の練習は、気分転換と体力づくりにちょうど良いから続けているのだ。


 御祖神みおやがみさまから助言を頂いた霊剣作りは、あまり上手くいっていない。魔物を斃したいという気持ちだけでは霊剣は作れない。光の気持ちが大切なのだ────理解は出来るが、実際に負の感情を殺すことはとても難しい。


「はぁぁ。光の気持ちかぁ……」


 情けなくてため息ばかり出る。

 修練の成果が全くない訳ではない。泡間へ飛ぶ要領で、夜玖の屋敷から巫女宮までは飛べるようになった。けれど、削り花と同じように霊力を込めて刀子のようなものを削っても、霊剣にはなりそうもないのだ。


 ピィーウィー!


 突然、近くから鳥の声がした。ぼんやりしているうちに、さっきの鳶が急降下してきた。

 餌でも見つけたのかと上を向いた瞬間、茶色い羽毛がアカルの顔に激突した。


「うわぁ!」


 大きな鳥に飛び掛かられて、アカルは尻餅をついた。後ろ手で体を支えて目を開けると、羽をたたんだ鳶がアカルの腹の上に乗っていた。真ん丸の黒い目が光をたたえている。


『アカル! 会いたかったよぉ!』


 鋭い嘴を大きく開けた鳶の口から、何故か聞き覚えのある声が聞こえて来た。


「へ? なんで……宵芽?」

『そうだよ、宵芽だよ。本当に本当に会いたかったよー』


 鳶は興奮したように翼を広げてバタバタと羽ばたきながら、アカルの顔に突進してくる。傍から見れば、アカルが鳶に襲われているように見えたことだろう。


「うわっ、ちょっと、宵芽、落ち着いて!」


 髪も衣もボロボロになりながら、ようやく宵芽の鳶を抑え込んだアカルは、ひとまず離れ宮で話を聞くことにした。


「何で宵芽が鳶になってるのかわからないけど、ただ遊びに来たんじゃないって事はわかるよ。何があったか話してくれるか?」


 長旅をして来たであろう鳶に水の入った器を出してやると、鳶は器に嘴を突っ込んで水を飲んだ後、宵芽の可愛らしい声で懇願した。


『朱瑠、お願い……一緒に志貴しきの宮に来て!』


  

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