八 一陣の風


「────それで、何が知りたいんだい?」


 高宮に戻ると、依利比古いりひこはアカルの方を見ずに、そう問いかけてきた。彼はゆったりと脇息にもたれたまま、火かき棒で手焙り火鉢の炭をかき回している。


 高宮の入口までは確かについて来ていた目の細い女官は、遠慮したのか部屋の中に入っては来なかった。

 アカルは無言のまま依利比古の前に座った。何と言えば良いのか正直困っていた。突き出し窓から見える冬枯れの木々を眺め、木の枝の残った小さな枯葉を見つけて、ふぅっと息を吐く。


「……何て言うか、意外だったんだ。あんたはここでは、父や兄の命令で動く家臣のような扱いなのか? 母親が違うだけなのに?」


 姫比きび国にいた時、アカルの周りにいた使用人たちは、冬至明けの祝いにやって来た依利比古のことを、雅やかな異国の王子、麗しい貴人と褒めたたえた。

 そんな彼が、自国で家臣のような扱いを受けていると、誰が想像できただろうか。


 アカルは懸命に言葉を選んだつもりだったが、結局は、遠慮のない率直過ぎる問いかけになってしまった。


「あはは、きみは本当に容赦がないね。私は武輝たけてる王の息子には違いないが、父にとって私は、簡単に動かせる駒のようなものだ。世継ぎの王子である兄と違い、どこで命を落としても構わない、安い駒だ」


 依利比古の顔には穏やかな笑みが浮かんでいたが、それはあまり見たことのない、冷たい感じのする笑みだった。


「そうか」


 続く言葉が見つからず、アカルはそのまま押し黙った。

 他者に虐げられる依利比古は、とても不自然な気がした。彼の事を野心家だと思ったことはないが、彼がこのまま都萬つま王の駒という立場に甘んじて従い続けることの方が、アカルには違和感があった。


「姫比に居た時、戦をなくすには八洲やしまを統一するしかない、と言ってたよね。父や兄とは折り合いが悪い、とも言っていた。八洲統一は、都萬国ではなくあんた一人の考えなの?」


「そうだと言ったら、きみは落胆する?」

 依利比古は、また手焙り火鉢の炭をかき回し始めた。


「別に落胆はしないよ。いくら敵だとしても、他国の王を呪詛するような人に、この八洲を統一して欲しくないからね」


 アカルが肩をすくめると、依利比古はクスッと笑った。


「私なら、どうだ?」

「あんたが、八洲の王?」


 アカルは腕組みをしたまま、じっと依利比古を見つめた。

 正直に言えば、依利比古のことは嫌いだ。信用もできない。人を脅して無理やり攫ってくる人間は、八洲の王に相応しくないだろう。

 例え、あの雷のような痺れの所以を知りたかったとしても────アカルと依利比古に何か深いえにしがあるのだとしても、アカルは依利比古のことが許せなかった。


「都萬王よりはマシ、とは言えないな。あんたには、ここに連れて来られた恨みがある」


「ふふ、そうだったな」

 依利比古は、アカルの断罪を軽く受け流す。


「……都萬王に反対されても、八洲統一は諦めないの?」


 戦のない国。そんな夢のような話を聞いてから、ずっと訊いてみたかった。

 アカルの問いかけに依利比古は顔を上げると、ゆっくりと脇息から身を起こした。今まで浮かべていた薄笑いは消えている。


「そうだね。このまま父に反対され続ければ、私はいずれ、この国を出るだろう。

 足がかりとなる国は必要だが、その先に八洲統一がある。多くの国を一つの国にするまでは、戦に勝ち続ける必要があるけれどね」


「なんだ……結局、戦か」

 アカルは吐き捨てるように呟いた。


「きみにはわからないだろうが、必要な戦だ。八洲を統一しなければ、戦の世はまだまだ続く」


「戦なら、今までだって散々してきたじゃないか。なのに、誰も八洲統一を果たせていない。そもそも戦じゃなきゃ、八洲は統一出来ないの? いにしえの民みたいに、王さまが集まって、話し合いで解決すればいいじゃないか」


「きみは甘いね」

 アカルを馬鹿にしたように、依利比古は笑う。


「笑いたければ笑えよ。古の民は、人に刃は向けない。それが誇りなんだ。本気で戦のない世を作ろうと思うなら、戦をしない道を考えればいいじゃない。

 万が一、あなたが戦に勝って八洲を統一したとする。でも、それが長く続くかな? 戦で恨みを買えば、いつかは返されるよ!」


 力説したせいで、息が上がった。

 肩で息をするアカルを、依利比古は眉を寄せたままじっと見ている。


「そうだな。戦で受けた遺恨は根深い。例え年月を経たとしても、完全に消え去ることはない。だが、相手が神となれば自ずと違ってくる。筑紫統一には日の巫女がその役目を負ったが、私にも神になる資質はある」


「神って……何を言ってるの?」


 依利比古の意図が読み取れなかった。

 アカルが眉をひそめた時、突き出し窓から一陣の風が吹き込んだ。アカルと依利比古の間に、小さな枯葉がヒラヒラと舞い落ちる。


「少し、喋り過ぎたようだな。きみと話すのは面白くて飽きはしないが、もう質問は終わりだ」

 依利比古はにっこりと微笑みながら、アカルに退出を命じた。


 〇     〇


(あいつは、本気で神になるつもりなのか?)


 自分には神になる資質がある。そう言った時の依利比古は、冗談を言っているようには見えなかった。自信に満ちた顔が、脳裏にこびりついて離れない。


 アカルは平宮に戻り、女官と一緒に夕餉を食べた。その間も、ずっと依利比古の言葉が気になって、あまり食べた気がしなかった。


(なんか、居心地が悪いな)


 見張りのためにつけられた女官は、一時もアカルから目を離さない。その細い目でじっと見つめられると落ち着かない。必要なこと以外は全く口を開かないし、愛想のない女官だ。年の頃は三十前後といったところだろう。


 アカルは仕方なく、再び意識を依利比古に向けようとした────その時、外に人の気配がした。大勢の人間に取り囲まれている気配だ。

 バッと入口の葦簾よしずが跳ね、ほこを手にした武人が数人踏み込んで来た。


「何事ですか!」


 目の細い女官はパッと立ち上がり、武人の前に立ちはだかる。

 黒っぽい衣を着た武人たちの間から、ゆっくりと一人が前に出た。その隊をまとめる長だろう。彼はアカルの方に視線を向けてから、女官に向き直った。


「王命により、朱瑠という娘を捕らえに来た。その娘で間違いないか?」

「……はい」


 王命と聞いて、女官は武人の前からサッと身を引く。

 武人の長が、ゆっくりとアカルの前に歩み寄る。


「私を捕らえに来たとは、どういうことですか? 理由を教えてください」

 アカルは礼儀正しく問いかけたが、武人の答えは素っ気なかった。


「我らは王命を遂行するのみ。理由は聞いていない」

「聞いてないって……」


 アカルは絶句した。

 このまま訳も分からず、ただ王命と言うだけで拘束されるなんて、冗談ではない。確かに、十世と王の話を盗み聞きした事実はあるが、果たしてそれが捕らえられる理由だろうか。

 頭の中は急回転していたけれど、武人たちの醸し出す無言の圧力に、それ以上言葉が出てこない。


「逆らえば縄で縛るが、大人しくついて来るなら縛めはしない。どうする?」


 武人の長の問いかけに、アカルは深呼吸をした。

 今ここで都萬国の王に捕らえられたとしても、今までだって依利比古の虜囚だったのだ。そう思うと、焦っていた心が少しずつ落ち着いてきた。


「行きます」

 アカルは顔を上げ、真っすぐ武人を見つめた。

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