十五 大王の影
「え……親族が、いない?」
二年前と同じように、アカルは
「それは、みんな、亡くなったということですか?」
「兼谷の父親は
「そうですか。兼谷は高志の……」
アカルは俯いて、兼谷の遺品の一つ、翡翠の勾玉に目を向けた。
生まれ育った智至で武官となった兼谷が、両親の母国から来た白珠姫に惹かれたのは、とても自然なことのように思えた。彼にとって白珠姫は、父祖の地、高志国の象徴だったのだろう。
「では、白珠姫さまに」
アカルが顔を上げ、床に置いた剣と玉を両手で押し出すと、水生比古は静かに首を振った。
「兼谷の遺品は、お前が持っていなさい」
「私が?」
「兼谷もきっと、お前に持っていて欲しいだろう」
アカルは手を伸ばし、床に置かれた剣と玉を引き寄せた。何の装飾もない、黒漆が塗られた木製の鞘に、革が巻かれた柄。飾り気のない、実用的な武人の剣だ。
一方、革紐に通された翡翠の勾玉は、明るい緑色でとても美しかった。白珠姫から下賜されたものだと勝手に思い込んでいたが、もしかしたら父母が故郷から持って来た物かも知れない。
「わかりました。私が大切に、預かっておきます」
そう言って、翡翠の勾玉を首から下げた。
この勾玉が胸にあれば、兼谷を忘れない。彼の命を無駄にしないと、常に自分に言い聞かせることが出来る。
勾玉を手に取り、緑色の石をじっと見つめていると、「朱瑠」と呼びかけられた。
顔を上げると、憂いを帯びた水生比古の視線にぶつかった。
「顔色はあまり良くないが、元気そうで安心した」
水生比古の目に見つめられて、アカルは思い出した。ヒオクに刺され、
「そうだ、水生比古さまにお礼を言ってなかった。命の危機を救ってくださって、ありがとうございました。西伯にいた時も、
アカルが深々と頭を下げると、水生比古は表情を緩め、笑みを浮かべた。
「しばらく会わぬ間に、ずいぶん大人になったな。とにかく、無事で何よりだった。長旅で疲れただろう。しばらく智至に滞在してゆけ。宮を用意させる」
「あっ……出来れば、斐川の宮の外に泊まりたいのです。奥方様たちに、余計な心配をおかけしたくないので」
この斐川の宮では、水生比古の妃二人から命を狙われた。あんな騒ぎは二度とごめんだ。そんな思いを込めて願い出ると、水生比古は苦笑した。
「あの頃とは違い、今はみな落ち着いている。妃たちは子育てで忙しいからな」
兼谷からも、白珠姫に御子が生まれた話は聞いていたが、ほかの妃にも子供が生まれていたらしい。いつの間にか、水生比古は子だくさんの父親になっていたようだ。久しぶりの斐川の宮には、時おり赤子の泣き声が響いている。
「それでも……やはり、外がいいです」
アカルは頑なに固辞する。
「では、夜玖の屋敷に逗留すればいい。夜玖の奥方は、娘を嫁に出したばかりで淋しがっているそうだ。きっと世話を焼いてくれるだろう」
水生比古が窺うように横目で見ると、夜玖は破顔した。
「ああ、それがいいですね。うちには離れ宮もあるし、妻も喜ぶでしょう」
そこまで言われてはさすがに断ることも出来ず、アカルは観念した。
「……では、お世話になります」
夜玖にぺこりと頭を下げてから、アカルはもう一度、水生比古を見上げた。
「斐川の宮にいる間に、巫女宮の
船旅の間に、アカルは考えていた。
魔物を斃すと誓ったものの、自分には力が足りない。今のまま尹古麻へ向かっても、
しかし、水生比古は眉をひそめた。
「
「ないです。それを探す為に、御祖神さまに会いたいのです」
正直に話すと、水生比古の顔がみるみるうちに険しくなった。
「お前は……何度も死にかけたくせに、また無謀なことをするつもりか? いつでも誰かが助けてくれると思ったら大間違いだぞ! 少しは大人になったかと思えば、まだまだ子供だな!」
「ちがっ、そうじゃない!」
水生比古に罵倒され、アカルは口をへの字に曲げた。
自分の無力さは十分わかっている。自分を助ける為に誰かが犠牲になるのも、二度とごめんだ。その上で、アカルは自分が出来ることを探そうとしているのだ。
傍からは無謀に見えたとしても、このまま何もせず、自分だけ安全な場所でぬくぬくしている事など出来ない。
「
アカルの剣幕に押され、水生比古は困ったようにため息をついた。
「止めても聞かないのだろうな。お前の事が心配で、つい意地悪なことを言ってしまったのだ」
水生比古は己の非を素直に認めたが、表情は依然厳しいままだ。
「お前には……確かに不思議な力がある。敵対していた者ですら、いつの間にかお前の味方になっている。兼谷もその一人だった。お前を殺そうとした智至の巫女たちも、この二年で随分変わった。その力は、確かにお前を助けるだろう。だが戦になれば、お前は非力な小娘に過ぎぬのだぞ」
「わかっています。せっかく夜玖の家にお世話になるのだから、ここに居る間に、せいぜい夜玖に剣術を習っておきますよ」
「は? 剣術?」
夜玖が素っ頓狂な声を上げたが、アカルと水生比古は睨み合ったままだ。
水生比古が心配してくれる気持ちは嬉しいが、どんな言葉で止められても聞き入れる訳にはいかない。
二人が睨み合いを続けていると、広間の入口の方から、若い武人の声が聞こえてきた。
「水生比古さま! 與呂伎から鳥文が参っております!」
緊迫した声に、夜玖がさっと立ち上る。彼は、扉の前に控える若い武人から細長い布を受け取ると、サッと視線を走らせた。
「水生比古さま!」
夜玖が固い表情で高座に駆け寄り、布きれを水生比古に差し出す。
「なんだと……」
水生比古の口から呻くような呟きが漏れる。
「何かあったの?」
一人だけ蚊帳の外に置かれたアカルは、夜玖と水生比古の顔を交互に見つめた。
何が起きたのか知りたくて問いかけると、水生比古はアカルに厳しい目を向けた。
「與呂伎の父上に、八洲の
「依利比古が……大王?」
アカルは瞠目した。
「尹古麻の南に新たな都、
「そんなの……行けるわけがない!」
アカルは兼谷を亡くした悲しみに囚われていたけれど、
「当然だ。向こうも、北海沿岸諸国がそう簡単に恭順するとは思っていないだろう。ただ、戦の発端には成り得る。依利比古とやらは、どこまでやるつもりなのか……」
水生比古の言葉を、アカルは頭の中で反芻した。
(依利比古は、本気で八洲を統一するつもりだ……)
この短期間で、依利比古の野望は形になっている。あまりにも早い。それに引き換え、自分はまだ何の準備も出来ていない。
(どうしよう……)
腹を焙られるような焦燥感が、アカルを駆り立てていた。
(第九章
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