十四 八洲の歴史
翌日から、アカルは薬草園の手伝いを始めた。
隠居したとはいえ、
護衛の
昨夜も、櫛比古と夕餉を共にした。その席で、アカルは櫛比古に請われるまま、岩の里を出てからのことを順序だてて話した。
初めは、
二年前の春に岩の里を出てから、本当に色々な事があった。
都萬国には
魔物や依利比古のことを十世ひとりに任せてしまったことは、ずっと後悔していた。今はどうしているだろう。彼女のことが一番気にかかる。
櫛比古には、重要だと思われる事だけをかいつまんで話し、アカルが怪我で臥せっていた時のことは、兼谷が補ってくれた。
改めて思い返してみても、目まぐるしい一年だった。その後の一年はほとんど動けず、もう二度と岩の里を出ることなく一生を終えるのだと思ったこともある。
しかしアカルは、今こうして、遠く離れた與呂伎の地に居る。やはり自分には、やり残したことがあるのだ。
話しを終えると、櫛比古は痛まし気な目でアカルを見つめた。
「────なるほど。そなたは、とんでもない冒険をして来たのだな。その魔物の正体を知りたいのか?」
「はい。どうか、櫛比古さまの力を貸してください」
アカルは床に手をついて頭を下げた。
櫛比古は静かに頷いたが、その表情は曇ったままだった。
「私はその魔物のことを知らないのだ。協力はするが、答えは、そなたが探さねばならない。この與呂伎の書庫には、たくさんの書簡が保管されている。その中には古い文献もある。好きなだけ使ってくれ」
「ありがとうございます」
岩の里で暮らしながら、アカルはずっと考えていた。自分は何をすればいいのか、そもそも何が出来るのか。考えても、何一つ分からなかった。それを思えば、昨夜の櫛比古の申し出は、ひとつの光明だった。
櫛比古の時間が空き次第、八洲の歴史を教えてもらう予定だ。歴史を学べば、炫毘古の正体がつかめるかも知れない。
「────おい山猿! 何やってんだ! そんなに爪を立てたら、爪が折れるぞ。道具を使え、道具を!」
突然目の前に、竹を削った棒が差し出された。
「……兼谷?」
無意識に作業をしていたせいで、アカルは頭が回らなかった。ぼんやりと兼谷を見返すと、ハァー、と呆れたようなため息をつかれた。
「お前……場合によっちゃ、猿だって道具を使うんだぞ」
兼谷はアカルの前に膝をついて、アカルの泥だらけの手を取り、指先の土を払ってくれている。出会った頃と比べると、気味が悪いほど優しい。
「どうしたの? やたら親切だけど」
「はぁ? 別に親切でやってる訳じゃない。お前の不器用さが見ていられないだけだ!」
兼谷はポイッと捨てるように、アカルの手を放した。
アカルは兼谷がくれた竹の棒を手に取り、再び根の張った雑草に取り掛かる。
「ねぇ、兼谷は智至に帰らないの? ここからなら、智至の船に乗って帰れるでしょ?」
アカルも、初めは二、三日滞在したら帰ろうと思っていた。先視のことは知りたいが、ばば様に頼まれたお使いは終わったし、このまま與呂伎に滞在するのも気が引ける。もちろん兼谷にも、智至へ帰ってもらうつもりだった。
「私は、櫛比古さまに聞いて頂きたいことがたくさんあるから、薬草園の手伝いをしながらしばらくここにいるつもりだけど、あんたはさぁ────」
「俺はお前の護衛を命じられているんだ。相手は化け物なんだぞ。與呂伎に居るからって、安心は出来ない!」
アカルに最後まで言わせず、兼谷は即座に否定する。
「私が泡間へ入らなければ、大丈夫なんじゃない?」
「だとしてもだ! お前は信用ならないからな。お前が泡間とやらへ入らないように見張るのも、俺の仕事なんだ」
兼谷は、アカルの提案をバッサリと斬り捨てる。
言い負かされた気がして、アカルは唇を尖らせた。胸にメラメラと対抗心が湧いてくる。
「ふぅん……わかった。あんた智至に帰りたくないんだろ? 白珠姫の側に居るのが辛いんだ。そりゃそうだよね、御子さまが生まれたんだもんね」
「うるさい! お前こそ、『鷹弥に嫌われたぁ~』って泣いてたくせに」
「その話はするな! 卑怯だぞ、兼谷!」
真っ赤な顔で、アカルは土のついた手のまま、兼谷の衣につかみ掛かる。
「自分から言い出したくせに、卑怯なのはお前だろ! この山猿めが!」
兼谷はアカルの両頬をつまんで横に引っ張る。アカルの手を払ったせいで、兼谷の手も土で汚れている。当然のようにアカルの顔にも土がつく。
不毛な睨み合いを続けていると、どこからか、ゴホゴホと嘘くさい咳払いが聞こえて来た。振り向くと、薬草園の入口に櫛比古が立っていた。
「時間が空いたから呼びに来たのだが……お邪魔だったかな?」
アカルと兼谷はハッと我に返り、即座に離れた。
「す、すぐに着替えて、お伺いします!」
「うむ。手を洗う時に、顔も洗っておいで。可愛い顔が泥だらけだよ」
クスクス笑う櫛比古に慌てて頷き、アカルは水場へ走って行った。
〇 〇
「さて、では約束通り、今日は八洲の歴史について話そう」
アカルと兼谷が身なりを整えて平宮を訪ねると、櫛比古がお茶を淹れてくれた。
「朱瑠は、渡海人がつくった八洲の歴史を、どのくらい知っている?」
櫛比古が差し出した茶の器を受け取りながら、アカルは首を傾げた。
「たぶん、ほんの少しです。私が知っているのは、阿良々木の里の宇奈利の歴史や、十世から聞いた日の巫女に伝わる神話の一部だけです」
「そうか。では、まずは智至に伝わる歴史から話すとしよう。同じ歴史でも、国によって伝わるものは違う。それを念頭に置いて聞くように」
櫛比古はゆっくりと話し始めた。
「この八洲に渡海人がやって来たのは、三百年前とも五百年前とも言われているが、たぶん、遥か昔から往来はあったのだろう。大陸では昔から戦が絶えない。その戦火から逃れて海を渡った沿海州の民が、いわゆる渡海人だ。彼らは八洲に住む
渡海人の多くは筑紫島に定住したが、徐々に増えてゆく人口を賄えるほどの田畑はなく、火山による災害などもあって、人々は次第に北海沿岸や、瀬戸内へと移住していった。
同郷の者同士が固まって移住し、そこでまた国を作ったのだ。智至へ来た渡海人やその子孫たちも、そのようだったらしい。
少し違ったのは、智至へ渡った渡海人たちは、古の巫女の力を畏れ、王族の柱としたことだ。父の代までは、代々巫女から妻を娶ったとされている────ここまでは、大丈夫か?」
櫛比古は、僅かに首を傾けてアカルを見る。
「はい。筑紫や瀬戸内、北海沿岸に移り住んだ渡海人は、元を正せば同じ大陸の民ということですね?」
「そうだ。だが、大陸は広い。戦火から逃れて来た民とはいえ、敵国人同士の場合もある。それぞれが意識して、離れて暮らす場合もあっただろうし、移住した先で自然に混ざりあう事もあっただろう」
「そうですか……」
アカルは頷いたが、櫛比古の言葉には納得のいかない部分もあった。
(戦火を逃れて来たのなら、もう戦は懲り懲りだったはずだ。なのに、どうして戦のない国を作ろうとしなかったんだろう?)
疑問に思いながら、じっと囲炉裏の炎を見つめていると、櫛比古が笑った。
「人は弱い生き物だ。戦を知っているからこそ、戦に怯える。渡海人が作った国は、集落を環濠や高い塀で守るだろう? それは、他者に対する怯えがあるからだ」
櫛比古の言葉は、まるで、アカルの心の声に対する答えのようだった。
「私が……何を考えていたか、わかるのですか?」
「古の民なら、そう考えるのではないかと思っただけだ。さぁ、続きを話そう」
誤魔化された気がしたが、アカルは疑問を引っ込めた。
「渡海人が八洲に広がった原因を、私はさっき、火山と食糧難だと言ったが、実はもう一つ原因があった。筑紫島の北に、
二つの国が一つになる。似たような話をどこかで聞いた気がした。それが宵芽の話だったことを思い出し、アカルは息を呑んだ。
「それ、聞いたことがあります。先の日の巫女が、阿蘇の火乃宮から連れ去られた時の話です。火の山が噴火したり、天候が悪くて飢饉になったと聞きました」
「ああ、そうだったね」
櫛比古は頷いてから、少しだけ改まった表情を浮かべた。
「さっきアカルが話してくれた、火の神の二つの神話。宇奈利の神話と、
「櫛比古さまの、おじいさん、ですか?」
アカルが首を傾げると、兼谷が横から口を出してきた。
「櫛比古さまの祖父────今から三代前の王は、南那国からの入り婿なんだ」
「ええっ、そうなの?」
アカルは驚いた。今までの話を聞く限りでは、筑紫島と北海沿岸諸国の間には、あまり深い関係はなさそうだったからだ。しかし、婚姻を結ぶほどの交流があったことになる。
「伊那国に対抗するために、南那国は智至国と同盟を結んだのだ。その証として送り込まれたのが、当時五歳だった我が祖父、
「タケハヤ……」
その名を呟いた途端、懐かしいような、悲しいような、不思議な感情が込み上げて来た。波立つ気持ちに涙が込み上げそうになる。
(何だろう、この気持ちは)
アカルは戸惑いながら、衣の衿をぎゅっと握りしめた。
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