五 光の力


 春が近づいたある日。

 智至ちたる水生比古みおひこは、眉間に皺を寄せていた。


夜玖やく朱瑠あかるはどうしている? ちっとも顔を出さないが、まさか臥せっているのではなかろうな?」


 巫女宮へ行ってから、アカルはすっかり引き籠りがちになっていた。夜玖の屋敷の離れ宮から、ほとんど出てこない。当然、水生比古のいる王宮に顔を出すことはない。


「御心配には及びません。何やら修練が必要なのだと言っておりましたから、しばらくここには来ないでしょう」


 このところ、毎日のように同じやり取りを繰り返している。

 夜玖は辛抱強く水生比古を宥めていたのだが、早く帰ってアカルの様子を見て来い、と宮を追い出されてしまった。


 仕方なく、夜玖は自分の屋敷に戻った────と言っても、夜玖の屋敷も斐川の宮の中にある。水生比古たち王族の住まいは内郭の最奥にあるが、塀を隔てたそのすぐ外側に重臣の屋敷がある。一般の兵士たちはさらに外側に家を持つか、兵舎に住んでいる。斐川の宮の中心は三重構造なのだ。


 塀に囲まれた夜玖の屋敷には、家族の住む高宮と使用人の住む平宮、そしてアカルが滞在している離れ宮がある。

 娘が嫁いでから静かだったこの家は、久しぶりの客を迎えて賑わいを取り戻すかに見えたが、それは最初のうちだけで、アカルが妙な木の枝を大事そうに持ち帰ってからは、元の静けさを取り戻しつつある。


「あなた! 朱瑠さんに春衣を作ろうと思って絹商人を呼んだのに、姿が見えないの。出て行く時は必ず一言言ってくれるのに、何処を探しても見つからないのよ!」


 夜玖が門をくぐると、待ち構えていたように妻が屋敷から出て来た。

 『新しいおもちゃアカル』が気に入った夜玖の妻は、この屋敷でただ一人、賑々しさを保ったままだ。着の身着のままでやって来たアカルを、とにかく構いたくて仕方がないのだ。


「大丈夫だ。あれでも朱瑠は巫女だ。姿が見えなくても、出て行ってないなら屋敷の中にいるさ」


 まぁ商人は帰した方が良いがな、と言い残し、夜玖はアカルが泊まっている離れ宮に足を向けた。

 生垣に囲まれた小さな離れ宮は、静かだった。


「朱瑠、いるのか? 邪魔するぞ!」


 声を掛けながら庭へ回ると、縁台に座っていたアカルがぼんやりと顔を上げた。


「……夜玖?」

「なんだなんだ、情けない顔しやがって。家の者たちがお前を探していたぞ」


 夜玖が笑いながら縁台の前まで歩み寄ると、アカルはハッとした後、きまり悪そうな顔をした。


「ごめん……今日は上手く飛べたから、長く留守にしちゃったかも知れない。いつも、離れ宮から巫女宮まで飛ぶ練習をしてるんだ」


「……飛ぶ? 何だかわからんが、上手くいったにしちゃあ、浮かない顔をしてるじゃないか」


 夜玖は首をひねった。巫女の使う技は、正直胡散臭くて好きではないし、言っていることもよく分からない。なので、そこは聞き流しておく。


御祖神みおやがみさまに言われたことが、上手く出来ないんだ……」


 アカルは再び途方に暮れたような顔になった。

 夜玖はそんなアカルの肩をポンポンと叩いた。


「気が急くのはわかるが、根を詰めすぎるのも良くないぞ。たまには水生比古さまにも顔を見せてやったらどうだ?」


 主の希望をさり気なく伝えると、アカルは途端に表情を曇らせた。


「水生比古さまに顔を見せたって良い事ないよ」


 アカルは水生比古の奥方を気遣って、なるべく王宮には顔を出さないようにしている。それなのに、当の水生比古は大した用事が無くてもアカルを度々呼びつける。

呆れたアカルは、すっかり王宮に顔を出さなくなった。

 どちらの気持ちもわかる夜玖としては、苦笑いを浮かべるしかない。


「まぁ……なんだ。妻が、お前の春衣を作りたいそうだ。付き合ってやってくれ」


「え、娘さんの衣を借りてるから、新しいのはいらないよ……それより、聞きたいことがあるんだ。夜玖は剣を抜いて戦う時、どんなことを考えてるの?」


 いきなり戦の話を振られて、夜玖は目を丸くした。


「そりゃあ、敵を倒すことだけ考えてるが」


「じゃあ、もしも、夜玖の奥方様が敵に捕らわれていたら?」


「は? そりゃもちろん、妻を無事に助けないとって思うさ。敵を倒すのは同じでも、妻に気を取られるだろうな」


「うん、そうだよね……そういうのとは違うんだな」


 アカルは考え込んでしまう。沈んだ様子を見て、夜玖はアカルの隣にどっかりと腰を下ろした。難しい事はわからないが、話を聞くくらいは出来る。話すことでアカルの悩みが少しでも軽くなればそれでいい。


「戦う時の気持ちが、お前の修練と何か関係があるのか?」


「それが、よくわからないんだ……敵を倒したいけど、倒したいという気持ちじゃ駄目なんだ。もっと温かい、光のような気持ちでないといけないんだ」


「ううむ……難しいな。光の気持ちとは違うが、俺が敵に温情をかけたのは一度しかない。智至に逆らう敵軍と交戦中に、古い友人とまみえた時だ」


「敵国に、友人がいたの?」


「ああ……昔の事だ。あの時は、倒さねばならんと分かっていても、刃を向けることが出来なかった────王が変わるまでは、とても友好的な国だったんだ。俺は一時期その国に駐在していてな。奴の家族にも良くしてもらった。赤子が生まれたことも知っていた。とても殺せなかった。だから、鉾の柄で打ち倒した。何とか逃げてくれと頼んで、逃げ道を作った。親しい者同士が戦わねばならないのは、本当に嫌なものだ」


「その人に、生きていて欲しかったんだね?」


「ああ。生きて欲しかった。奥方も、生まれた赤子にも、悲しい思いはさせたくなかった」


「そうか……知ってるからこそ、相手の事を思いやれるんだね。私は、炫毘古かがびこ暗御神くらおかみのことを何も知らない。魔物でも……人じゃなくても、まずは相手の事を知らないとダメなんだ……」


「朱瑠……」


 再び沈んでしまった空気を変えようと、夜玖は縁台に立てかけてあった木剣に手を伸ばした。剣が使えるようになりたいというアカルの為に、夜玖が用意した新兵用の木剣だ。アカルが夜玖の屋敷に住み始めてから、暇を見て剣の稽古をしている。


「やるか?」

「ああ、うん。お願いします」


 アカルと夜玖は木剣を持って庭に出た。アカルが振りかぶり、木剣を打ち下ろす。夜玖は横に傾けた木剣でそれを受け止める。

 一合二合とアカルの力に合わせて軽く打ち合いをし、適当なところで薙ぎ払う。今度はこちらから仕掛けると、アカルもすばやく夜玖の木剣を受け止める。


「なかなか様になって来たじゃないか」


 もともと反射神経は良いのだろう。今は力が無いが、訓練次第ではもう少し使えるようになる。


(まずは何よりも、もっと食べて体を作るのが先だ)


 まるで新兵訓練係のようなことを考えてから、夜玖はふと、アカルが死にかけた時のことを思い出した。


(あれからもう一年半、いや、そろそろ二年になるか……)


 危篤の報せを受けて、急ぎ西伯へ向かった。命の消えかかったアカルは、まるで骨と皮だけのようにやせ細っていた。その後はずいぶん回復したと聞いていたが、冬至前の智至に現れたアカルは、兼谷の死の衝撃でかなりやつれていた。


(よくここまで、元気になったものだ)


 目の前にいるアカルは顔色も良く、肉もついてきた。初めて会った十五歳のアカルには遠く及ばないが、智至へ来てからの三か月、夜玖の妻が必死になって滋養のあるものを食べさせ続けた成果が出てきている。

 夜玖にとってアカルは、娘のような存在になりつつある。いくらアカルの希望でも、再び危地に送り出すことには躊躇いがあった。


「────夜玖? どうしたの?」


 動きを止めた夜玖を心配して、アカルが近寄って来る。


「いや……その、魔物ってやつを、どうしてお前が斃さなきゃならんのだ?」

「え?」


 アカルが眉をひそめたのを見て、夜玖は慌てて口を塞いだ。

 うっかりしていた。本当に、ついうっかり本音が口から漏れてしまったのだが、今さら引っ込める訳にもいかない。何か良い言い訳はないかとあわあわしていると、アカルがフッと笑みを浮かべた。


「前にも言ったじゃないか。あの魔物に一番関わりがあるのは依利比古いりひこだけど、その次に関わりがあるのは、たぶん私なんだ。人間同士の戦だったら私の出る幕はないけど、依利比古から魔物の干渉を取り除くのは、魔物と関わりのある私の仕事なんだ」


 三か月前のアカルは、落ち着きを失くし、死に急いでいるように見えた。しかし、今は驚くほど落ち着いている。

 夜玖はため息をひとつ吐いてから、優しい目でアカルを見下ろした。


「俺に、何か出来ることはあるか?」


 そう尋ねると、アカルは黙ったままかぶりを振った。


「夜玖には、もう色々してもらってる。冬の間、ここで修練出来たのは、夜玖や水生比古さまのお陰だ。とても感謝してる」


「しかし……」


「本当だよ────ただ、この先、もしも戦になるような事態が起きたら、交渉でも何でもして、少しでも長く時間を稼いで欲しい。出来る限り戦を始めないで欲しいんだ。私が頼みたいのは、それだけ」


 アカルはそう言って笑った。

  

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