敢然交渉


「あ~あ、やってられませんね全く」


 軽口を叩きつつ、奈緒は自分の背中を冷や汗が伝っていくのを感じた。


 奈緒は片膝をつき、細身のナイフを握った腕を真信へと突き出した体勢で静止している。それ以上は指先一つ動かせない。


 なぜなら、いくつもの凶器が刃先を彼女の首筋へと突きつけているからだ。


 今までどこに隠し持っていたのか。自動拳銃やナイフに先の尖ったハサミ。さらには、細く頑丈な糸が首を一周して巻き付いているのがわかる。

 四方を今まで沈黙していた者達の殺気に囲まれて、奈緒は生唾を呑み込んだ。


 奈緒のナイフは、真信へ一歩届かない。


 一つの動きで命が散る状況で、狙われた側であるはずの真信は、座した姿勢を崩さないまま奈緒に微笑みかける。


「キミが狙ったのが僕で良かったよ。もし狙ったのが深月なら、キミは今頃この世にいない」


「あはっ。怖っわ」


 圧倒的な戦力差にもう笑ってしまうしかない。奈緒も腕には自信がある人間だ。だが、これはいけない。


「やっぱり、最初からバレてましたよね~。あたしが殺し屋だって」


 ちょっと喋るだけで首の肉が圧迫されるのを感じる。刺さりはしない。その辺りのさじ加減を、彼らは熟知しているようだった。


 部屋にいた全員が、ただの見張りではなかった。皆、いくつもの死体を積み上げて培った“人殺しの技術”を身に着けた怪物だ。


 だが一番の化け物は、奈緒に殺傷具を突きつけている連中でもなく、慌てもせず三毛猫を撫でている深月でもない。


 本当の化け物は、恐らくこの、穏やかに笑む一人の少年。


「標的は僕?」


 少年が、静止した奈緒へ世間話みたいに疑問をなげかけてくる。仕方がないので奈緒は精一杯に口角を吊り上げて不敵な笑顔を作った。


「そこまで有能な依頼主じゃありませんでしたよ。現場指揮官っぽい人を探して殺して内側混乱させろってやつです。外部の殺し屋あたしを使い捨ての駒扱いしくさった、割りに合わない面倒な依頼ですよ。なんで、もとから真信先輩が標的だったわけじゃないんでご心配なく」


「それはありがたいな。ところで奈緒、キミ今の手を抜いてたでしょ。あからさまに動きが鈍かったよ」


「あはは、ナチュラルに女の子を呼び捨てですか。まぁ、だって、縛られてたのに暗器を回収されてない時点でいろいろ諦めてますって。依頼主への義理立てでダメ元の一発ってところですかね」


「そりゃそっか。じゃあここからが本題だね」


 真信が右手を上げると、奈緒を囲んでいた武器が下ろされる。奈緒もナイフを引っ込めて脇に置いた。


 ついでに首筋を撫でる。今も首が繋がっているのが信じられないほどなのに傷一つついていなかった。


「奈緒は組織に所属していないフリーの殺し屋で、依頼で樺冴家に出入りする人間を狙っていた。それで間違いない?」


「そですね、だいたい合ってます」


「依頼主の情報を教えてもらえないかな」


「間に仲介業者が入ってるんで、あたしにはなんとも言えません。あの仲介者もアレで口堅いんで吐かないでしょうね。雇い主に背中刺されかねないこの業界じゃ、信頼が命綱みたいなもんですから」


「なるほどね。それ、お金で雇われてるの?」


「依頼者の顔も知りませんし、正直それ以外に義理はないですかね~」


「よかった。それなら話が早い」


 真信の脇には、さっきまで奈緒にハサミを突きつけていたおかっぱの女性が控えていた。女性は真信に紙袋を手渡す。真信は迷うことなく中身を取り出した。


「これは当面の前金」


 奈緒の前に置かれたのは広辞苑みたいな分厚さの札束だった。


「学内に任意で動かせる協力者が欲しいんだ。君を雇ってる人間の、倍は出そう」


「…………へぇ。後輩の女子をお金で買収とか、字面だけ見たらクズの鏡ですね先輩。あっ、最初からクズでしたね」


「最初からクズって……どこからクズ。その判定基準教えて……。女の子にキモいとかクズとか言われるの生まれて初めてだよ……」


 強気だった真信の瞳がよどむ。わりと本気で傷ついているようである。奈緒はそんな彼の意外な打たれ弱さに少しだけ驚きを覚えた。


「知りませんでした? あたし、悪人専門なんです。そんなあたしの所に依頼が来るんですから、むしろ善人気取られなくて安心しましたよ~。ところでこの札束おいくら分くらいあるんですか」


 少年を気遣う義理など奈緒にはない。高額過ぎて指を触れられない札束を遠目に熟視していると、待機状態になっていた人間の中の一人――髪を尖らせたピアスの青年――が奈緒の言葉に反応を示した。


 記憶を辿るようにピアスを指でもてあそぶ。


「九州で活動してる……悪人専門……女子高生殺し屋……まさかお前、あの拷問姫ごうもんきか!?」


「ゲッ」


 聞きたくない単語に思わず奈緒の口から汚い声が洩れた。

 拾わなくていいのに、真信が律儀に青年へ聞き返す。


竜登りゅうと、キミ奈緒のこと知ってるの?」


「そりゃ知ってますよ! フリーの殺し屋、仇討ちばっか引き受けて、悪人を拷問して殺すからついたあだ名が拷問姫! 九州じゃ有名なほうっすよ!」


「ああ、竜登はそういうの好きだったね」


「はいっ! フリーの殺し屋って殺し方に特徴あるし、二つ名とかついてるんでカッコいいんすよ。サイン集めるのが夢だったんです。あ、拷問姫には他にも通り名があって、それがなんと――」


「あああああああああああ!」


 どんどん話が嫌なほうにズレて行って奈緒はついに叫びを上げた。あまりの恥ずかしさに顔が真っ赤に染まっているのが自分でも分かる。


 高校生にもなって、コードネームなんて恥辱ちじょく以外の何ものでもない。


「なんですかこれなんですかこれ! 公開処刑ですか!?」


 身に迫る辛さに耐えきれず、奈緒は小刻みに震え始めた。勝気な瞳には涙まで浮かんでいる。そんな後輩の姿に、真信は純粋な瞳で首を傾げた。


「恥ずかしいの? なんで?」


「はぁー!? 分からないんですか!」


 いや、組織に守られてきた真信にはわからないのだろう。奈緒が知る限り、平賀に二つ名のある人間などいない。それは顔が割れているのと同じだからだ。平賀はあくまで集団としての名声だけがある。


 しかしフリーの殺し屋ではそうはいかない。奈緒は顔を真っ赤にして頭を抱えた。


「あったりまえでしょ!? 自分で名乗ったわけでもない中二病臭い名前が一人歩きしてるんですよ? 地獄でしょうよ!?」


 組織としての名前がないのだから、識別のため呼び名が必要なのは分かる。本名を使うべきでないことも想像に容易たやすい。しかし他人から一方的につけられた不本意な名前が広まっていく屈辱といったらない。


「拷問姫さんサインください!」


「キサマはもう黙れ!!」


 どこからか色紙を差し出してくるピアス男に一喝して、奈緒はついに力尽きた。恥が一周して虚無に代わったのである。疲れて項垂れた奈緒に一人の少女が近寄って来る。


 奈緒の肩をつつくのは、やはり深月だった。


「深月先輩。あたし、人前で錯乱さくらんしちゃいました。だって通り名いじられるの飽き飽きしてたんです。あと大金にテンション上がった直後の不意打ちだったんです」


 奈緒はぼそぼそと言い訳を並べる。そんな彼女に深月は一つだけ訊く。


「なーんかわからないけど、奈緒ちゃんは味方、ってことだよね?」


 言葉としては簡単だった。だが、込められた意味は奈緒の認識を上回っていた。


 この少女はすでに、奈緒を信じて問いかけている。


 信じ切って、否定されるなど露も疑わない。そんな言い方だった。


 今しがた隣人にナイフを突きつけた人間に対して、どうしてこれほど真っすぐな視線を向けることができるのだろう。


 少女の眠たげな瞳の奥に強い何かを見た気がして、奈緒は気がつくと深月の言葉を無意識に首肯していた。


 頷いてしまったのなら後はやることは一つだ。札束を受け取って、乱れていた衣服を正す。


「はい、深月先輩がめちゃめちゃ美人で可愛いくて目の保養なので、仕方なく買われてあげます。その代わり、もう二度と通り名の話とか止めてください。いいですね!」


 最後にそう念を押してから、奈緒はその場に立ち上がってカートの裾を掴み、一同に向かって優雅に一礼してみせた。


「それでは、今ほどは失礼しました! 後輩で殺し屋の木蓮もくれん奈緒なおです。これからよろしくお願いしますね、先輩方!」


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