迫り来る真実


 町はずれにある複合型ショッピングモールの化粧室に、その二人の姿はあった。奈緒と深月は並んで手を洗い互いに鏡の向こうの相手を盗み見ている。


 深月は珍しく洋服を着ていた。最初は着物の着崩れを直しただけでショッピングモールを歩いていたのだが、さすがに目立つので指摘し着替えさせたのだ。


 今着ているのは、適当な店で奈緒が選んだシンプルなシャツに淡い色合いのスカートである。小さくあしらわれたフリルが深月の整いすぎた顔の印象を柔らかくしていた。


 鏡越しでもその服は深月に似合っていて、奈緒は思わずしてやったりと笑う。


 護衛代わりに引っ張ってきた竜登は外で待たせているし、今この化粧室に、他に人はいない。誰に話を聴かれることもなかった。


 奈緒のハンカチを借りて手を拭いていた深月が、それを返しながら彼女を見上げる。


「奈緒ちゃんは、私に嘘をつかなかったよね」


「……あれ~。バレてました?」


 いきなり核心を突かれ奈緒は危うくハンカチを取り落としそうになった。くてっと笑ってそれを誤魔化すと、深月は真剣な面持ちで後輩を見つめ返す。


「だって、家族のこと喋ってる奈緒ちゃん、楽しそうで、苦しそうだったから。本当に大切な思い出じゃないと、あんな顔できないよ。経歴の詐称とか差し替えとか私よく分からないけどさー。奈緒ちゃんは、復讐するんでしょ?」


「そんなことするなって、止めますか?」


「私にそんなこと言える権利ないよー。何が正しいのか、それって人それぞれだと思うし。押しつけはしない。どんな結末だろうと、憎しみには終わりがなくちゃいけないからねー。それに私は奈緒ちゃんのことも好きだから。どっちか一方に肩入れするのはできない」


 意味深に言って深月は、鏡の向こうではなく、隣にいる奈緒へ視線を移した。


「家族のかたきをとった後、奈緒ちゃんはどうするの?」


「さあ、正直に言えばこんなに早く手がかりに近づけるとは思ってなかったんで。平賀って本当に抜け目ない組織なんですよ。あたしが何十年もかけて、やっとちょっぴり手が届くような。だから復讐の後のことなんか考えてませんでした。もう、その復讐相手が死んじゃうほうが早いかもなって」


「そっか。一生をかけて復讐しようとしてたんだ。でもその復讐相手? がもう死んでたらどうするの。その人の身内に矛先向けたりするものなのかな」


 深月も氷向ひむかいのことを伝え聞いていたので、復讐で思いつくイメージのまま問いかける。奈緒は誤解を恐れるように慌てて首を左右に振った。


「いえいえ、あたしは単にそいつが生きてるのが嫌なだけで。死んでたら復讐は終わりです。死体に鞭入れる趣味はありませんよ~。

 ……でも、思ったことがありますね。もしかしたら本当に、あたしの家族を撃ち殺した人はどっか関係ない所で野垂れ死んでたりするのかなって、そんな都合の良い奇跡を。どっちにせよ確かめに平賀へ近づかなくちゃいけないんですけど。でもまぁ、死んでたらそれはそれで……」


「拍子抜け」


「そうですね。かもです」


「復讐するの、辛くない?」


「そんな難しいこと考えてませんよ。あたしはただ、家族を殺した相手が死んでくれればそれでいいんです。あたしの手じゃなくても、事故でもいい。

 ただ死んでくれれば。

 命の帳尻が合えば。

 だからあたしか、相手か、どっちかが死ねば、本当に終わる話なんですよ、これ」


 奈緒は終始笑顔なのに、その言いかたにどこか引っかかりを覚えて、深月は彼女の裾を掴んだ。まるで奈緒が自分の命に興味がないような言い方だったから。


「もしも相手を殺せなかったら、奈緒ちゃんは死ぬつもりなの?」


「どうなんでしょうね。少なくとも、見ず知らずの人間を殺したくないとか思う感性は、もうあたしの中には残ってませんよ」


 だから必ずどちらかの命を終わらせてみせると、その笑顔は語っているように見えた。


 その表情を見て深月はなぜか不安を感じた。何か取り返しのつかない決定的な間違いが意識の裏で進んでいるような、そんな言葉にできない憂患ゆうかんが膨らむ。


 けれど確証の無いそれをどうやって伝えればいいのか、深月には分からなかった。


「それより深月先輩。最近元気ないですよ? どうしました?」


 並んで化粧室を出ると奈緒がそんな風に気遣ってくる。

 思い当たる節は一つしかない。


「イナーシャの人たち取り逃がしてから、真信がなんだか落ち込んでるみたいに見えてねー」


「あ~、それは」


 取り逃がしたからではなく、氷向ひむかい綾華りょうかから向けられた強烈な憎しみのせいで調子が狂っているだけだ。


 奈緒としてはあの場にいなかった深月にどう説明したものかと考え、ある着想を得た。深月にニッコリ笑いかけ奈緒は唇に指を当てて提案する。


「落ち込んでる男なんて、深月先輩がキスの一つでもすればすぐ元気になりますよ」


「そーいうものなの?」


「はい。おまじないみたいなもんです」


 奈緒が断言するので、深月はなるほどと納得した。


 通路の外で待っていた竜登と合流しまたショッピングモールを回る。その途中で奈緒は、思い出したように懐から一枚のカードを取り出した。


「あ、そうだこれ。もう根回し終わって隠す段階でもなくなったらしいんで。深月先輩から真信先輩に渡しちゃってください。でもでも、中はまだ見ないでくださいね」


 真信が見れば叫びを上げたであろう、見覚えのあるシンプルな折り畳まれたカード。しかしそれを知らない深月は疑問も挟まず受け取った。






「なあ、カミツキの姫さんとトイレでなに話してたの?」


 クレーンゲームに貼りつく深月の後姿を見守りがら、竜登が頭の後ろで腕を組んで訊いてくる。


 彼と並ぶ奈緒も深月の様子を眺めながら答えた。


「竜登さんには関係ない話ですよ~」


 深月はクレーンゲームが珍しいようだ。周囲の客を観察し、見よう見まねでお金を入れる。恐る恐るボタンを押す少女を二人は保護者のように見守っていた。


「それより竜登さん。この間の質問の続き、していいですか?」


「なんだっけ?」


「平賀の次のご当主の話です」


 クレーンが真横に動く。深月の身体もその場に立ったまま同じ方向に傾いた。見ている二人もなぜか身体を傾け拳を握るが、クレーンの爪がゆるいようで犬のヌイグルミはちょっと浮いただけですぐ落ちてしまう。


「順当に行けば長男さんが跡を継ぐんですよね。でも、あの時なにか別のこと言いかけませんでしたか?」


「んん? どうだったかな?」


 深月がめげずに百円を投入する。

 竜登は顎を撫でながら記憶を掘り起こそうとしたが、失敗したらしい。途端に渋い顔になる。


「悪い、覚えてない。でもそうだな、ご長男は頭キレるからな。前線には出ないけど、指示は的確なんだよ。損害は割り切って一番効率の良い方法を見てる。ご当主も相当評価してたはずだ」


 奈緒は竜登の語る情報を頭に叩き込んでいく。その文字列を整理して並べると、見過ごせない情報が一つあった。


「前線に出ない?」


「ああ、戦闘センスは無くてな。前線に進んで出て行くのはご次男様の方。あの方は暴れるの大好きだから。俺たち戦闘専門の門下より強い。殴り合いじゃ勝てねぇ。射撃は下手だし指示なんか適当だけど」


「…………それぞれに欠点があるってことですか?」


「ああ。だから、後継者の資質に長男とか次男とか三男とか、そんなの関係ないんだよなぁ」


「は? どういうことですか。普通は長子相続でしょ?」


「いやまぁ、ご当主様は年齢を基準に判断しないと断言なさっていたからな。今は縁を切っちまってるけど、真信様が次期当主に選ばれる可能性も、まだあるかもしれない」


「……あり得るんですか、そんなこと」


「ああ、十分あり得ると俺たちは思ってる。上のお二人みたいに突出したところはない平凡って感じだが。そもそも俺たちは、真信様に当主になって欲しくてこの町まで追いかけてきたんだ。今はもう平賀っていう場所にだけ執着はしてないけど」


「…………」


 竜登の言葉を奈緒はもう聴いていなかった。

 それどころか、彼女の視界には、今なにも映っていない。


 奈緒が結界の中にいる時、聴こえてきた男達の会話を思い出す。


 家族を殺した者の情報。

 的確な指揮。前線に出て支障の無い力量。


 そして、男達は言っていた。


『やはりあの方は、平賀の次期当主に相応しきお方だ』


 それはつまり、相応しいというだけで、次期当主になることが確定しているわけではないとしたら……?


 竜登の言い分が正しければ、この条件に当てはまる人間は長男や次男よりもむしろ――。


「どうした奈緒ちゃん。生理痛?」

「ぶっ飛ばしますよ。ただの立ちくらみです」


 身体を縮め俯く奈緒に、竜登はデリカシーの欠片も無い心配をする。奈緒がその足を蹴りつけると陽気な電子音が鳴った。音の出所はあのクレーンゲームだ。諦めなかった甲斐かいがあって、ヌイグルミが落ちたらしい。深月が屈んでヌイグルミを引っ張り出す。


「ねー奈緒ちゃん。この取れたヌイグルミって、貰ってっていいのー?」


 言いながら駆けてきた深月の肩を、奈緒はがっしりと掴んだ。


「なっ、奈緒ちゃ――」

「……びますよ」

「え?」

「遊びますよ、全力で」

「えっ」


 鬼気迫る奈緒の尋常でない様子に、さすがの深月も首を横に振ることはできなかった。





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