見鬼の才


 神社の脇にある林から鬼が走り寄ってくる。なんでも静音と菖蒲しょうぶはあれに追われてここまで逃げてきたらしい。


「申し訳ありません。他はけたのですが一人動きの速いものがおり、振り払えませんでしたっ」


「いいよ、静音。菖蒲しょうぶを無事に連れてきてくれただけで十分だ。しかしどうするか」


 逃げてもいいが、これだけ素早く動ける鬼が出てきているということはどこに行っても堂々巡りになるだけだろう。結界が破壊されるまでの間、対処法を考えなくては。


「よっと」


 飛び掛かってきた鬼の懐に実篤さねあつが潜り込む。鬼の勢いを利用するようにその腹を思い切り殴りつけた。


「おっらよおおお!」


 拳がみぞおちに突き刺さった。巨体が宙に浮く。そこにすかさず回し蹴りが叩き込まれ、鬼が来た道をすっとんでいった。


 大木にぶつかって倒れるが、やはりダメージはそれほどないのだろう。鬼はすぐ立ち上がった。だがすぐこちらに向かって来る気配がない。こちらを警戒しているようだ。対応しようと腰を落とす真信に実篤さねあつが話しかけて来る。


「おい真信」


「なに次兄つぎにい


「あっちのやしろ? さっきから揺れてんだが」


 言われて目を向ける。同時にかんぬきを破壊して鬼が飛び出してきた。


「閉じ込めてたの忘れてたぁ!」


 一度に二匹の鬼に囲まれ、実篤さねあつ以外の全員が後退あとずさる。鬼たちはなぜか正面にいる実篤や真信ではなく、その奥に目をこらしていた。そこにいるのは伊佐いさ尚成たかなりの小さな背中に隠れた双子だ。


「やっぱり鬼って金髪フェチなの?」


 真信の呟きに静音が首を振る。


「いえ真信様、おそらく鬼の血に小里を狙う習性が残っているのかもしれません。その目印が金髪なのかと」


「どういうこと?」


「アカデミスタに潜入中の刈浜かりはまに会いました。小里は犠牲者の末裔まつえいです。詳細は後ほど」


 鬼を警戒しながら小声でやりとりをする。


 拳を鳴らす実篤が鬼に向かって行こうとしたとき、隠れていた双子があっと声を上げた。


「あれ、ギイチにいじゃ!」

「ほんとじゃ! あっちはヨシカばあ」

「そうじゃ、ヨシカばあじゃ!」


 双子が鬼を指差して言う。


「分かるの!?」


「なんか知らんが分かるぞ!」

「急に見えるようなった!」


「何言ってんだあこいつら?」


 実篤が疑問の声を上げる。真信は一瞬考え込んだが、すぐに深月の言葉を思い出す。


(──そうか浄眼じょうがん。双子が揃って、浄眼じょうがんが発動したのか)


 真信には鬼の見分けなどつかないが、双子には分かるのだろう。鬼に向かって必死に呼びかける。


「ギイチにい!」

「ヨシカばあ!」


 名を呼ばれるたびに鬼の身体が震えた。苦痛を堪えるように頭を抱えている。あれはもしや。


「鬼が苦しんでるのか……?」


 なぜという疑問は、静音が晴らしてくれた。


「深月さんが言っていました。この子たちは鬼の正体を看破かんぱできるから武器になると」


 深月が言っていたなら呪術の何かによる作用なのだろう。理解はできないが、利用しない手はない。


「原理は分からないけど……それなら。──君たち、もっと彼らのこと分かる!?」


 双子に駆け寄り鬼を指差す。すると姉弟は手を繋いで力強く頷いた。


「任せろ! ギイチ兄は緒呉甲に住んでる玉目たまめたもつの息子の玉目たまめ儀一ぎいちじゃ。興梠ばあの兄弟の嫁っ子んとこの。あとタンスの左下にエロ本隠しようぞ」


那須なす好加よしかばあは息子が三人おってみんな外に就職してるんじゃ。たまに孫が来てよう遊んで腰をやってるから、隣の楠間くすま家の整体師の総次郎そうじろうの世話になってるぞ。でも実はソウジロウむめんきょなんじゃ! 残念じゃったな!」


 よどみなく個人情報をあげつらっていく。いつもよりも流暢りゅうちょうなのは他人から聞いた情報をそのまま覚えていたのかもしれない。これにはさすがの真信も度肝を抜かれた。


「超詳しいっ。これが田舎の狭さというものか!? いやこの子たちが凄いだけ?」


「しかし効いているようです」


 見れば鬼はもううずくまっていた。心なしか体躯が縮んでいるようにも見える。伊佐いさ尚成たかなりがどこからか縄を持ってきたのでそれで鬼を縛った。目立った抵抗はなく、ほとんど腰砕けとなった酔っ払いの手足を縛り上げるようなものだ。


 鬼の様子はさっきとは違った。身体に力が入っておらずうねうねと体を揺らすだけ。それでも一心不乱に菖蒲しょうぶちがやを見つめうなっている。近づくと単語が聞き取れた。


「きんい、ろ。に……げん。にぅ」


「おっ……おざぉ。にくっ、にんげ、に、金……ぱつぅ」


 実篤さねあつがそれをしげしげと見下ろす。


「理性までは戻っちゃいねえか。弱体化……ってとこだなあ。本当に人間だったのかこりゃ」


 実篤さねあつ躊躇ためらいなくナイフで鬼の腕肉を斬り落とす。傷口はすぐ再生したが、その部分が人の肌に戻ることはなかった。盛り上がり肉を覆った肌は鬼の硬質な岩肌のまま。


 観察してみれば二匹とも頭蓋骨が歪な形にかしいでいる。もそうなのかもしれない。肌も牙も鬼のまま。当たり前だ。細胞が一度変質しているのだ。もし結界が解けても、人間に元通りにとはなりそうもなかった。


「…………」


 静音は彼らの頭に拳銃を向けた。このまま怪物でありつづけるならばという思いと、もう一度鬼となって暴れ出したら今度は止められないだろうという冷静な思考が引き金に指をかけさせる。任務の遂行を思えば、人質にも使えない敵性の消えぬ存在の処遇など昔から一つのみだ。


 だが横から伸びてきた手が向けた銃を下ろさせた。見ると真信が神妙な顔で立っている。


「殺したら駄目だ」


「真信様……」


「彼らは被害者だ。救う方法を探さないうちに、手にかけていい存在じゃない」


「…………」


 静音は主の言葉に従い銃を仕舞った。そして実篤と相談を始める少年の後姿に視線を注ぐ。


 以前の真信ならば合理的に、鬼化した住人を処理していただろう。弱体化した住人のありさまを見ればもう彼らに純粋な幸せは望めないと確信できる。また鬼として活性化しないとも限らない。


 今回は深月の立場があるとはいえ、少年は今まで守るべき身内以外を簡単に切り捨ててきた。特にこういった混乱の中リスクのほうが多い選択肢は選ばない人間だった。


 変わったのだ、この少年は。深月との出会いが彼を変えたのか、それとも他に要因があるのか。静音には分からないが真信が以前の彼と違うのは確かだ。


 もしくは、昔は選びたくても選べなかったものに手を伸ばせるようになったのか。


 その変化についていけない自分は、もしかするといつか彼の邪魔になるかもしれない。そう考えると背中に冷たいものが走る気がした。


 静音は不安を言葉にせず、薄暗い場所に一人取り残されたような気持ちで、真信を見つめていた。






 実篤さねあつが爪先で縛られた鬼を小突いて真信に訊く。


「で? さっきのはどういう原理だ? 鬼はオレですら一匹相手にするのがやっとだった。それが地べた這いずるほど弱まるなんてよお。門下はともかく住人への被害を減らすってんなら他の鬼もこうすべきだろうよ。あのガキ共にしかできねえようだが」


「原理を理解している暇はないよ。呪術っていうのはそういう理不尽なものだ。とにかく彼らの浄眼じょうがんが利用できることだけは確かだ」


「結界とやらが消えても鬼が人間に戻る保証はねぇ。なら、ちっとでも確証のある行動を起こすしかねえな。っし、行くぞガキ共」


「ひっ」

「ぎゃっ」


 実篤が双子を両脇に抱える。がっちり身体をホールドした拘束は暴れてもびくともしない。姉弟が涙目になって真信に助けを求めてくる。真信は実篤の考えを九割理解しながらも、ひとまず確認義務を遂行することにした。


「なにする気?」


「今しがた報告があった。壊した石塔はおよそ半分。あと十分もありゃあ終わる。その間に、避難した住人の多い方向の鬼を弱らせときゃ後が楽だろ。行くぞぉ真信」


「ちょっ、待って! えっと静音はここでその鬼たちの経過観察!」


「はっ。承知いたしました」


 言うが速いか飛び降りるように階段をくだり始める実篤さねあつを、真信も慌てて追いかける。


 そうして彼らが怒涛どとうの鬼看破作業をこなしもう一度神社に戻って来たのは、出発してからちょうど十分が経ったころだった。


 神社に残っていた尚成たかなりが白髪混じりの髪をかき上げ、軽く片手を上げてねぎらう。


「よっすーお疲れ。どうだった?」


 その笑顔に真信は乱れた息を整えて答えた。


「弱体化できた鬼は十八体。石塔は残り二つだってさっき報告があった。そっちは?」


 結界の現状を把握しているのは尚成たかなりだけだ。果たしてこれで結界は消えるのか。そう問うと、尚成たかなりは当たり前みたいにあっけなく言い放った。


「消えないぞ、結界」


「……どういうこと?」


 話が違うとつめ寄ると、尚成たかなりは低い背丈をさらにちぢこませて、焦ったようにぎこちない笑みを浮かべる。


「いや石塔がかなめになってるって言ったのは嘘じゃない。嘘は嫌いだからな。意地でも嘘になんかしてやるもんか。実際、弱まってはいるんだ。だが完全には消えそうにない。こりゃあ、石塔の他にもかなめがあるんだろ。それも大黒柱みたいな、結界を保つ一番重要な核が。けど緒呉にそんな核にできそうな施設、神社ここ以外にないはずなんだが。あ、ここは調べてもなんも出てこなかったぜ」


 尚成たかなりが示すほうへ目を向ける。社務所に本殿、その他建物の扉がすべて開け放たれている。隅々まであらためた、ということだろう。


 真信は頬を伝う汗をシャツの袖で拭って、緒呉の地を振り返った。


「結界の核……いったいどこにあるんだ……?」



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