暴風


 平賀家の次男、平賀ひらが実篤さねあつは、多くの門下から恐れられている男だった。


 機嫌を損なえば息をするように人を躊躇ちゅうちょなく殴る。嫌なら抵抗しろと本人は言うが、それができる無謀な者は平賀門下にはいない。


 暴力に限らず、実篤さねあつは自己中心的な言動が目立つ。仕事の上で部下に与える指示はほとんど無理難題で、凡人では仕事が一緒になった時点で命を落とすとまで言われた。それゆえに未熟な門下からすれば一生お目にかかりたくない人物の筆頭だった。


 だが一部の門下からは熱狂的なまでに支持されている。

 それは実篤さねあつが誰よりも強いからだ。


 体力、筋力、素早さ、近接戦闘において求められるスキルが軒並み平賀の戦闘員を軽くしのぐ。単体での戦闘能力は平賀随一と目されてきた。平賀門下の古株をして、実篤さねあつ様ならどんな戦場に放り込んでも一番の戦績を上げて帰って来るだろうと言わしめた実力者である。


 彼が他人に無理な指示を出すのは、当人が「オレならできる。お前もやれ」というスタンスでいるせいだった。逆に言えば自分にんげんにすら出来ないことを他人に強要するほど理不尽ではない。


 だからこそ、彼を慕う門下たちは言う。


『彼に生きて付き従えることそのものが、自分の有能さの証明になる』と。


 実篤さねあつの生き方は、一種のカリスマとなっているのだ。


 だが真信のように生き残るのに精一杯な人間からすれば、実篤さねあつと顔を合わせるなど地獄に落とされるようなものだった。家にいるときもできるだけ接触を避けていたほどだ。


「よぉ真信。お前が家を出て以来だなあ。日も暮れたしちょうど百日ぶりじゃねぇか。何が起こってっか教えろ」


次兄つぎにい……どうしてここに」


 まとう空気も、荒々しい口調も、真信が家を出る前から何も変わらない。いや、髪の色が青から緑に変わっている。また染めたのだろう。彼の髪色はしょっちゅう変わる。そのことを真信は、身内だからこそよく知っていた。


 現れたのは実篤さねあつだけではない。その後ろには十数名の門下が控えていた。実篤さねあつが連れてきた部下だろう。実篤さねあつの付き人が混じっているのも見えた。


 目の前に光明が見えた気がした。


 まさか次兄の顔を見て、前向きな気持ちになれる日が来るとは。真信は自分でも形容しがたいほどの感銘に打たれた。


 だがその感動も一瞬で幻想に返る。真信は自分の体が吹き飛んでから、兄に殴られたのだと気づいた。


「がはっ。──っ」


 驚くちがや尚成たかなりを尻目に真信はすぐに立ちあがった。土を払って視線をまっすぐ実篤さねあつに向ける。彼は弟に拳を振るったことをなんとも思わないように、呆れた声音であくびをしていた。


「質問に質問で返してんじゃねえ。お前を殴ってる暇はねぇだろ? 時間とらせんじゃねえよ」


「……ごめん」


 じゃあ殴らなければいいのでは、という正論を言う者は誰もいない。実篤さねあつは手で自分を扇ぎながら舌打ちをもらす。


「ったく。なんっだあの化物どもは! いつから日本の山はバケモンのテーマパークになりやがった。お前なんか知ってんだろ真信」


「ああ、説明する」


 自分を見つめる実篤さねあつの瞳に、ひいらぎの中にあったあの熱はない。


 再会して確信した。やはり平賀の人間を自分は、大切な家族だとは思えない。


 冷えた心のまま、いま判明している情報を実篤さねあつと共有する。そして真信は彼に頭を下げた。


「頼む、次兄つぎにい。人員を貸してくれ」


「おいおい、頼みかたがなってねえんじゃねえか? あのバケモンとの遊びは楽しめそうだがよぉ。殺しちゃいけねえって制限つけられて、しかもやるこたあ石くれ壊せ? オレになんのメリットがあるってんだ、おい」


 実篤は耳のピアスをいじくりながら高圧的に真信を見下してくる。眼光は鋭いがその口元はにやにやと笑っていた。こちらの出方を見ているのだ。


 真信は慣れ親しんだ懐疑に笑ってみせる。


「メリット? 何を言ってるんだ。次兄つぎにいはまだ清算してない僕への貸しが三つあったはずだけど?」


 次兄を真似てにやりと笑うと、実篤は途端に上機嫌になって真信の背中を叩き始めた。


「くくっ、はは! んだよ! 平賀を出てぬるくなっちゃいないかと心配したが、ちゃあんとおねだりの方法覚えてんじゃねえか! 『お兄さま~』つって情にでも訴えてきたらいっそ引導渡してやろうかと思ったぜ」


「情? 僕らの間にそんなものないだろ」


「あったり前だろう。いいぜ。そうだな……依頼と手間賃、これで借り二つ相殺だ。お前の無茶ぶり叶えてやろうじゃねえか。おうお前ら! 聞いての通りだ。仮称“鬼”は殺さねえ。石塔はぶっ壊す。最っ高にシンプルな依頼じゃねえか。無線がやられてっから経過報告はいらねえ。結果だけ伝えろ。各自場所の確認はいいか? いいだろさっさと仕事しろ! オレは真信についてっからよ」


「「「はっ!」」」


 返事が響いた時にはもう、部下たちは伊佐いさ尚成たかなりが示した地点へ向かって姿を消していた。さすがの練度だ。いつも実篤と共に仕事をこなしているメンバーだろう。彼らならば即時に任務をこなしてくれる。


 だが真信の中に一つ、違和感が生まれた。


(わざわざ自分の部隊を連れてくるなんて。次兄はいったいどんな仕事で来てるんだ?)


 鬼の件は知らなかったから、緒呉に関するものではないのないだろう。真信の監視ならば本人が出て来る必要もない。現れた時の実篤さねあつはもっと、別の仕事中に異常事態に巻き込まれたから事情を知っていそうな真信のもとへしぶしぶ顔を出した、といった雰囲気だった。おそらく真信との接触は本意ではなかったのだ。


 真信の平賀での扱いは『経過観察』のはず。直接の誘導等はないと見込んでいた。だから平賀から実篤さねあつが長期間離れていると聞いても、こうして顔を合わせることになるとは考えていなかったのだが。


(いや。平賀を出た僕が詮索すべきことじゃないか)


 今回の件をたまたまや偶然で片付ける気はない。だが平賀の性質上、深く考えすぎるのも視野を狭くさせる誘導の可能性があるため禁物だった。なにより今は余計なことに頭を回していられる事態ではない。


 結界を壊す目途はついた。次に優先すべきは深月だ。狗神鼠イヌガミネズミが消えたことが気にかかる。彼女が今どういう状況にあるか、どこにいるかを突き止める。行方ゆくえ知れずの菖蒲しょうぶのことも探さなくてはいけない。


次兄つぎにい、ここに来るまでに美人な女の子を見なかった?」


「あぁ? そりゃ何基準の美人だ。グラマーか? 尻はデカいか? ヒップのサイズは」


次兄つぎにいお尻から離れて。教えるわけないじゃないか」


「いや知ってんのかよっ。女の尻のサイズ把握してる弟は身内の恥だっつうの。真信の女か?」


次兄つぎにいに言われたくないし深月はそんなのじゃ──」


 否定しようとして、耳が異音を拾う。木の幹がへし折られるような音が近づいてくる。実篤さねあつも遅れて気づいたようで互いに口を閉じた。


 音は社務所のほうからだ。暗闇に目をこらす。そこから飛び出してきたのは、金髪の少女を背負った静音だった。


「静音? 菖蒲しょうぶを連れてきてくれたのか」


「! 真信様! ──っと実篤さねあつ様!? なぜ御身おんみがここに?」


「よぉ静音。九十六日ぶりだなあ。あいかわらず上等な目つきしてやがらあ」


 息を切らせた静音が、平賀の子息たちを前に玉砂利たまじゃりを滑りながら静止した。背負っていた菖蒲の肩を叩く。それで両手両足を使って必死にしがみついていた少女が怯えたまま顔を上げた。


 人々の中に弟の姿を見つけたのだろう。菖蒲は背中から飛び降りてちがやへと駆けていく。


「兄さま!」


「姉さま!」


「あぁ? どっちがどっちだ?」


 双子はよほど不安だったのか、互いを確かめ合うように抱き締め合った。実篤さねあつは二人の発言に怪訝けげんな顔をするが、どうでもいいと思ったのだろう、すぐ視線を移す。


「こいつらが例の双子か」


 次兄の問いに、かしこまった静音が頷いた。


「はい、深月さんから預かって……いえ、それより申し訳ありません皆さま。ようです」


「はぁ?」


「どうして謝って……?」


 平賀兄弟は同じように首をひねって、すぐに気づく。あの木材が折れる音の出所は静音ではない。それは今も続けて響いている。さっきより接近しているようで足音が地響きとなって伝わってきていた。


 木々の間を掻き分けて走って来るのは、異形の怪物。


「鬼!」


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