エピローグ

命の行く末


 ゆらめくレースカーテンに合わせて太陽の光が模様を作る。部屋は恐ろしく殺風景だ。その隅のベッドには、美しい一人の少女が身を起こしていた。


 日に透けて溶けだしてしまうそうなブラウンの髪。その中に浮かぶ白い肌は職人が作った陶磁器のように滑らかだ。


 少女はぼんやりと宙を眺めている。腕には真新しい犬のヌイグルミが抱えられていた。


 少女はベッドの横に椅子を置いてなにやら報告する少年の声に、穏やかな様子で耳を傾けている。


「うん。それで表のカメラを確認したら、奈緒が倒れたのと同時刻に砕けたんだ」


 深月の損耗は激しかったが、三日程で普段のように生活できるようになった。それでもまだ一日の半分ほどはベッドの中だが。


 真信は少女に付き合って、結構な時間をこの部屋で過ごしている。


「マッドも生きているのが奇跡だって言ってたし、やっぱりお地蔵様が身代わりになってくれたってことなのかな」


 真信はそんな希望を口にした。


 奈緒は樺冴の屋敷に来るときはいつも、小まめに物を地蔵に供えて落ち葉を払ったりしていた。お地蔵様がそんな彼女を助けてくれたのではないかと。


 この世にはまだ優しい奇跡があるのだと、信じていたかったから。


 しかしその辺りだいぶ冷めている深月は、どうだろうと息をつく。


「もしかしたら、奈緒ちゃんがお地蔵様に何も願わなかったからこそ、救いは生まれたのかもしれない。結局救われるのは無欲な人間ばっかりだからねー」


 ならばなぜ人は神社に行って布施ふせを投げてまで神頼みをするのか。

 やはり神や菩薩ぼさつの考えはよく分からないと、真信は頭を掻く。


 マッドがノックもせずに部屋に入ってきた。


「真信サマ、検査終わリますた。奈緒ちーが呼んデるます」






 屋敷内で唯一電子機器を使用できる狭い部屋。マッドはそこを病室代わりに改造していた。


 真信は部屋の前に立ち、一呼吸置いてふすまを開ける。


 和室に不似合いな白いベッドの上に赤毛の少女はぺたりと座り込んでいた。白い清潔なパジャマを着て、腕にはまだ点滴が繋がっている。


 奈緒はあの崩壊した邸宅での出来事以来、一週間眠り続けた。それがつい二時間ほど前に目を覚まし、それからマッドの精密検査を受けていたのだ。


 だから直接顔を合わせるのは以来となる。


「えっと……。もう、起きていいの?」


 真信は何と声を掛ければいいのか分からず、当たり障りのないことを訊いた。しかし返事はない。


 代わりに奈緒が俯いたまま、真信を手招きする。


 シーツに隠れた逆の手には、彼女が使う投擲用のナイフが握られているのがここからでも分かった。


 真信は息を呑んで覚悟を決め、手招きに従った。もとが狭い部屋の中、数歩で手の取り合える位置に来る。奈緒はまだ動かない。真信はもう一歩を踏み出した。


「うわっ」


 急に胸ぐらを掴まれ引き寄せられた。あぁ、刺される。真信は迫る痛みを想像して目をつむる。


「……?」


 しかし予想した刺突の衝撃はなかった。代わりに感じたのは、自分の唇を塞ぐ、柔らかくて暖かな感触だけ。


 唇の圧迫感が離れ、甘い吐息がまつげを揺らす。


 と思ったら急に身体を突き飛ばされる。たたらを踏んで驚きに目を開くと、そこにはニヤニヤと意地悪な笑みを浮かべた後輩の顔があった。


「あはっ。どうしたんですかぁ先輩。顔が真っ赤ですよ~?」


「いっ、今のは……」


「あ~……。まあ、意趣返しといいますか。なんか悔しかったんで。そういうわけなんで、あんまり気にしないでください」


 そう線引きされると真信からは迂闊うかつに踏み込めない。


「……そっちはいいの」


 真信は少女の隠し持ったナイフを指差す。奈緒は思い出したようにそれを取り出し指先で弄んでから、入り口に向かって投げた。


 ナイフは見事真信の真横を通りすぎ、背後の棚に置かれていたリンゴに刺さる。瑞々しい果汁が棚の表面を濡らした。


「死んだんです。あたしはあの時、死にました」


 か細く震える声に、リンゴから奈緒へ視線を戻す。そこには生きているのに安堵するような、けれど無理に笑っているような、そんな複雑な笑みがあった。


「起きてから、もうずっと聴こえないんです。今までは絶え間なく聴こえてたのに、もう家族の声が聴こえないし、見当たらない。……だから、これでいいんです」


 深月が言っていた。奈緒は自分を責める家族の幻覚を見ていると、千々石ちぢわが逃げる直前に言っていたのだと。


 それが見えなくなった理由は判然としない。しかし彼女は復讐から解放された。それだけは分かった。


「じゃあ……」


「けど、あたしは真信先輩を、きっと一生許せない。割り切れないままなんです」


 真信の言葉を遮って、奈緒は言う。


 それは仕方のないことだと、真信は思った。奈緒が自分は死んだと言い、復讐を終えたとしても。真信が奈緒の家族を殺した事実は変わらない。


 真信は刺される覚悟をもう一度固める。

 けれど奈緒は、真信には予想し得ない道を示した。


「だからあたしは、貴方の命の価値を見届けます」


 意外な言葉に真信は呆気に取られた。意味を捉えかねて奈緒を見つめると、彼女は真剣な顔で続けた。


「あなたがこれからの人生で背負う余計な重荷、あたしが一緒に背負います。その代わり、先輩はあなたの思い描く自分の人生を生きるんです」


「……そうやって、僕の生きる価値を裁定するっていうの?」


「はい。あたしの家族の命を奪った先輩の命が、どの道を行き、何を成し、どんな終わりを迎えるか。一番そばで見届けます。だって、命に値するのは命だけですから」


 それは所謂いわゆる、妥協案だったのだろう。


 奪われた命の穴を、命を奪って埋めるのではなく。己の人生の全てを懸けて、奪った命の対価を払ってゆけと。


 それはまるで英雄の道だ。ともすれば殺されるよりもさらに辛い道かもしれない。


 真信にとって一番きついことは、他人の命に責任を持ち、背負うことだから。それは吐いてしまうほど、真信を追い詰める。


 けれど真信は、この少女と一緒なら、なんとかやっていける気がした。


 少年が奈緒に頭を下げる。


「なら、こっちからもお願いする。どうか僕の行く末を見届けてくれ」 


 逆に頼まれると思っていなかったらしい奈緒は、むずがゆそうにしながらも頷いた。


「はいはい、分かりましたよ~。……ていうか、そんな簡単にあたしを受け入れちゃって。これから先、あたしみたいに復讐心向けてくる奴いっぱい居るんじゃないですか。その時にそんな甘かったら今度こそ死にますよ? どうするんですか、先輩」


「そしたら、その時に考えるよ」


「へぇ。向き合うことから逃げるんですか」


「違う、逆だ」


 力強く否定する。


「相手が誰であれ殺すとか、受け入れるとか、そんな画一的に決めていいことじゃないと思う。恨みってきっと、そんな単純に選別していいものじゃないはずなんだ。だから考える。出会うたび悩んで、何度だって命を天秤てんびんにかけるよ」


 それが真信の出した答えだった。きっと他にやりようはいくらでもあるのだろう。自分の首を絞めるだけかもしれない。


 けれど少年には、これしかできない。奈緒を撃てなかった時にそう思い知った。


 拳を握りしめ言う真信に、奈緒は呆れたように口の中だけで呟く。


「なるほど。神経質なくせに大雑把ってこういうことですか」


「えっ?」


「なんでもないです。けど先輩の天秤がいつも正しいとは限りませんよ?」


「その時は奈緒が僕を叱ってどうにかして。無理そうなら、殺してくれてかまわないから」


 最後に物騒な条件を付け加える真信に、奈緒は苦笑いを返した。


「ホント弱っちいですね、真信先輩は。いつか、その天秤が相手の方に傾く日が来るかもですけど」


「どうかな。僕の皿は後輩の女の子一人分、重いからね」


「女子に重いとか喧嘩売ってるんですか」


「人のファーストキス奪っといて意趣返しとか言うほうが喧嘩売ってると思うけど?」


「……………………はい? ファーストって……はあっ!? 深月先輩は!?」


「なっ、なんで深月の話になるのさっ」


「だってあたし────はっ、深月先輩さては日和ひよったな? 思ったより純情でしたか、っもう!」


 互いに顔を赤くして言い合う。すると襖が勢いよく開いてマッドが怒鳴り込んできた。


「真信サマ! 病み上がリの奈緒ちーに無理さセちャ駄目ですガね! マッドもぷんぷん鳩ポッポー! 奈緒ちーモ、超絶安静っテ条件反射板で真信サマ呼んデったげたのニ!」


「「ごめんなさい……」」


 自分達が思っているより騒ぎ過ぎだったらしい。さらにマッドの声も加わって、他にもなんだなんだと人が集まってくる。

 真信は弁解に必死な様子だ。


 奈緒はそんな彼らのにぎやかな様子にため息をついて、楽しそうに笑った。


「まぁ、いいです。ちょうどいっぱい集まって来ましたし、改めましてですかね。では。

 ────初めまして、みなさん! 本日より正式に皆さんの味方になりました、木蓮奈緒です。これからよろしくお願いしますね!」








 ちょっと前まで寂しいくらい静かだった屋敷に、五月蝿うるさいくらいの声が響いている。


 それらを手の届くお囃子はやしにして、深月はベッドの上で微笑んだ。


 ──いつまでも、この日々が続きますようにと、胸のうちにだけ願いながら。




        カミツキ姫の因果律いんがりつ 了


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る