幕を閉じよ


 真信が腰を落とし身体から余計な力を抜くと、綾華は逆に辺りを見渡し首をひねった。


「ところで奈緒が居ないけど。どこ行ったのよ。私はアイツにも用があるのよ」


 真信の後ろまで覗き込んで探す。そして少年の目元がつり上がったのを見て、綾華はニヤリと笑った。


「ああ、もしかしてアイツ死んだの? はっ、これだから弱者は。自分より他人を優先させるからそうなるのよ。復讐でも愛でも、自分が一番でしょうに」


 あざけるような耳障りな声だった。しかし真信は答えない。この少女の言葉に反論して心を動かされるほうが嫌だったから。


 代わりに、少女の顔を睨み付ける。


「そういうキミは、もっとその他人とやらに思いやりを持つべきじゃないのか」


「あぁ? なんでそんなのに遠慮しなくちゃいけないのよ。いい? 他人なんてものはね、私がどんなに痛くても、怖くても、気持ち悪くても、助けちゃくれないの。だったら私は私のためだけに生きる。それの何が悪いってのよ!」


 叫びに籠もった感情で、この少女には彼女なりの人生観があるのだと分かる。それは否定されるべきものではない。真信は微かに眼光をゆるめた。


「悪くない。キミがそうやって幸せを望むなら、僕は出来る限り手助けしただろう。けど命による復讐を唱えるなら、僕はキミの命によってその復讐を終わらせる」


「悪党ふぜいが、正義に向かってモノ語ってんじゃないわよ」


 そういえば奈緒は綾華が正義を語るのを嫌っていた。こうして改めて直接聴くと、なるほど憤懣ふんまんが湧いて来る。


「……キミは復讐を望むなら、悪だと後ろ指を差され、世界に糾弾される覚悟を持つべきだった」


 人を殺すこと。それを決して、すべきことをしたとか、英断だったなどと思ってはいけない。その手に残るのは恥ずべき行いだけだという意識を捨てるべきではない。


 一人殺せば殺人で百人殺せば英雄と言うが、その英雄も一人殺した時点ではただの罪人だ。罪人はどこまでいっても悪だろう。後の評価など周囲が勝手に貼っていくだけ。惑わされてはいけない。


 命を奪うことでしか幕を下ろせない時点で、手を下した者は敗者なのだから。


 しかし真信の忠告虚しく、綾華は小指で耳をほじくって吐き捨てる。


「うるっさいなぁ。何様のつもりよ。僕だの俺だのコロコロ変わって気持ち悪いのよ、アンタ」


 相手の表面しか見ていない、こちらの意見など欠片も耳に届いていない様を、真信は心の底から嘲笑した。


「なるほど。キミのそれはどうせ破綻はたんする敗者喜劇ヒーローごっこだ。こい。ここで終わらせてやる」


 差し伸べた指をくいっと持ち上げ挑発すると案の定、綾華が山人刀さんじんとうを抜いて突進してきた。


 一瞬で詰められる三間ほどの間合い。神速に達する足さばきが生んだ死の直線を、しかし少年は半身をずらしただけで避けた。


「なっ」


 綾華が驚く暇もなく、真信は彼女の手首を掴む。相手の勢いを利用して腕を捻じり綾華の軽い身体を投げ飛ばそうとした。


 だがここは両手を広げれば触れてしまえる程度の狭い通路の中だ。身体の浮いた綾華が通路と階下を隔てる欄干らんかんを蹴り、返す刀で少年の頭部へ回し蹴りを放つ。鉄製の靴底を仕込んだブーツが壁を砕いた。


 そこに人間の頭蓋骨を割る感触はない。その事実が綾華の中に焦りを生む。明らかに前回と動きが違う。床に両手をついてその場から跳び退った綾華が見たのは、猛獣じみた炯々けいけいと輝く鋭い瞳だった。


 少年の眼は他の何者も映さず、ただ綾華だけを捉えている。


 極限の集中は、他が見えなくなる代わりに人間の限界を引き出す。それこそ真信が平賀で叩き込まれた戦闘スタイル。真信は多人数戦闘が苦手な代わりに、一対一の勝負タイマンを得意としていた。


 綾華は拳銃を構えた。だが引き金を引く前に、壁に埋め込まれていたはずの燭台しょくだいが顔に向かって飛んでくる。撃ち落とすには近すぎる。すんでのところで屈み銃弾を放つが、腕の可動域を制限されたせいで射線を読まれ全て避けられた。


 やはり遠距離ではらちが明かない。腹に直接鉛玉なまりだまをぶち込もうと距離を縮める。


 壁を蹴って上段から切りかかるが、避けた山人刀さんじんとうを踏みつけられ前のめりに体が傾く。顔面を蹴りあげられそうになって綾華は山人刀から手を離して後ろに退いた。


 真信は足元の山人刀を蹴りつけ、遠くに滑らせてしまう。綾華は仕方なくさらに刃渡りの小さな予備のナイフを取り出した。


 そしてまた少年に突進して行く。


 しかし切りかかるたび、銃口を向けるたび、腕や射線を逸らされて当たらない。実力も俊敏性も綾華の方が上の筈なのに、不思議と手玉に取られている奇妙な不快感があった。


 それこそが真信本来の戦い方だった。相手の力を受け止めるのではなく利用する動き。相手が一人だから、他に思考を回す必要がないからこその極限の集中力が一時的に相手の力を上回る。


 ただしそれは諸刃の剣だ。なにせ周りを気にする余裕がまるでない。周囲に味方が居れば逆に巻き込みかねないのだ。その上――


 綾華の刃が真信の腹部に突き刺さる。


 ――これは捨て身の戦法。己の肉体への損傷さえも、意識の外へ追い出し最善手で相手を殺す。


 呼吸すら忘れた真信は、自分の胴体に喰らいついた敵の肩を掴み、その身体を欄干らんかんに押し付ける。


「なっ、ちょっと、離しなさいよ!」


 その瞳に慈悲は無く、ただ相手の命を奪う意思だけが肉体を動かしていた。


「くっそっ。ぐうぅぅぅうううっ」


 綾華が呻きを上げるが四肢を押さえつけられ成す術がない。真信は暴れる綾華の腰に下がる刀剣の柄を掴み、そのまま一気に引き上げた。


 鋭い刃は少女の腕の関節に食い込み、そのまま肉を滑って断面を刀身がなぞる。


 真信が腕を頂点にまで振り上げると、バランスを崩した綾華の身体が宙に投げ出された。


 少女が切断された左腕と共に落ちて行く。


「──っ。絶対、お前は絶対に私が殺してやるからな!!」


 そう叫ぶ顔は、この世のありとあらゆる憎しみに歪んでいるように見えた。


 直後、爆音が鳴り響き、屋敷は崩壊を迎える。瓦礫の下へと消え行く綾華に冷たい視線を残して、真信は崩れゆく足場をつたい、走り出した。







 こんな時なのに、静音はその緋色の瞳を美しいと思った。


「ウぃッしょ。手は尽くしのびのビおひたしデすガヤっぱリ機材足リぬんデす……」


 マッドは口調こそふざけているが、その顔から焦りが消えていない。彼女を手伝う静音にもそれは伝わっていた。


 止血は完璧に行われ、傷ついた内臓への処置も施した。恐らくいま手持ちの道具でできる最善の応急処置であることがわかる。


 しかし、それでも足りない。奈緒の身体は冷えきり死体のようになっている。浅い呼吸があるのが不思議なくらいだ。放って置けば間違いなく死に至る。それが分かってしまう。


 とりあえず車に運ぼうと話がついた頃、通路の奥からその人物は現れた。聴覚の敏感なマッドがいち早くそれに気がつき、顔を上げる。


「あっ深月ち!」


 身体全部を引きずるように、重たい足取りで少女がやって来る。


 どこかから反響して聴こえてくる音で戦闘があったのは知っていた。しかしいつもとは様子が違い、深月の服には返り血がたくさん付いている。


 長い前髪に隠れ、ここからでは表情が見えない。


 マッドが跳ね起き深月に駆け寄った。


「深月ちっ、わんちャん! ワんちゃんでマッドと奈緒ちーを倉に運んデっ。応急処置以上こコで無理難題の六波羅探題デすゆえ――――」


 早口にまくし立てるマッドの動きがピタリと止まる。瞳が見えるからいつもより表情の移ろいが顕著だ。


 深月の目を見たマッドは、顔を青ざめさせた。


「深月ち? ……駄目。今の無しデす。ソんな状態デわんちャん使ウの、駄目、絶対ダメっ」


「平気だよマっちゃん」


 深月は子供のように頭を左右に振るマッドの横をすり抜けて、意識の無い奈緒の元へと緩慢な動きで近づいてくる。


「だって、命がかかってる。なら持ちこたえるよ。ぜんぜんいける」


 それで、静音にも見えてしまった。


 深月の口元は微笑んでいるのに、その瞳は濁ったガラスのように生気を感じさせない。肌は透明すぎて血管の色まで浮かんで来そう。


 まるで精巧なマネキンが動いているような、そんな不気味さと危うさがあった。


 口調はいつもと同じなのに、そこに人間の感情が籠っているようには感じない。本当に目前の少女に心が残っているのか、静音には確信が持てなかった。


 いったいどれだけ狗神を使い、どれだけ精神を怪物に捧げて来たのだろう。


 深月は血まみれの奈緒を見ても同じ顔で微笑んでいる。いつの間にか隣には、あの黒い影の塊があった。


「でもこれじゃ三人は無理かー。うん、わんこ、お願い」


 深月の言葉に狗神は身をぶるりと震わせ、身体を膨張させる。


 倍ほどの大きさになった狗神が天井に食い付き破壊した。外には真っ黒な夜空が広がって、心地よい夜風が吹いてくる。深月はそれに一瞬目を細め、空にいただく銀の月を見た。


 地上からは決して手の届かない、鋭く冷たい光。身の内から零れ行く心をそこへ預けるように、深月はふうわりと狗神を撫でる。


 広がった狗神の頭部にマッドと奈緒を乗せ、深月は狗神の鼻先に足を掛けた。


「先に行ってる。静姉しずねえ、真信のほうをお願い」


 どこまでも透明な笑みに、静音は涙を堪えて頷く。


「──必ずや」


 またどこかで建物の崩れる爆発音が聴こえた。


 その後、静音が真信と合流し車に飛び乗る頃には、邸宅は跡形もなく崩れ去っていた。



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