遠くもない昔の……


 まどろみの果てにその景色へ辿り着く。気がつくと真信は、深い森の中にいた。街灯もない木々の迷路は真っ暗だ。


 隣には静音が立っている。その静音の身長がやけに高いなと思ったら、単純に自分の背が彼女よりも低いだけだった。真信の背は記憶より十センチほど縮んでいた。


 これは夢だ。それも、昔の記憶を再生する類の夢。


 なんとなく、そう理解する。


 夢の中なのだ。複雑な思考など保てない。真信はぼんやりと、これは消えかけた思い出を繰り返しているに過ぎないのだと受け入れた。これは再生。やり直しのできる奇跡ではない。


 静音が真信に話しかけて来る。なんと言っていたかまでは思い出せないようで、言葉は曖昧で意味を成さない。


 真信が静音に何ごとか指示を出し、彼女は闇の中に消えていった。この時自分はなんと言っただろう。たしか、作戦に不備が出たと報告があったから、確認しに行くよう言ったのだったか。


 しばらくして耳につけていた無線に報告が入った。やはり言葉は聞き取れない。しかし夢の中の真信は全て承知した様子で移動を始めた。


 そして真信は対象を発見する。


 彼らの自宅を取り囲むよう指示したのは真信だ。だが真信の把握していた情報にはなかった抜け道でも存在したのだろう。予定ではすでに処理されたはずの任務対象が、そこにいた。


 その程度は想定内だ。だからこそ真信はああして、可能性のある退路の一つで待機していたのだから。


 完璧な作戦などない。必ず穴は存在する。だから予備戦力が必要なのだ。予測された他の道には、真信の指示で門下たちが目を光らせていた。


 彼らはたまたま、真信のいた範囲に現れただけ。


 森の中の、ちょっとひらけた場所だった。近づいてくる少年に気がついたようで、父親と思しき男が誰何すいかの声を上げる。真信はそれに答えず、所持していた拳銃で男の脳天に弾丸を撃ち込んだ。


 間髪入れずに小さな甲高い悲鳴が響く。真信は表情も変えずに人差し指を軽く動かし、発砲を続けた。サイレンサーのために銃声はない。残りの二人も地面に倒れる。


 真信は転がった薬莢やっきょうを四つ拾ってきびすを返した。


(一人だけ、二発使っちゃったな。もう少し射撃の腕を上げないと。周囲に弾痕でも残せば事件性を嗅ぎ当てられる。処理が面倒だ)


 ともあれこれで任務は終わりだ。三つの死体は門下に片付けるよう指示して――――




「……そしたら、集合をかけ…………あぁそっか、夢だったな」


 呟きまぶたを押し上げると、そこには見慣れた天井が広がっていた。肺にため込んでいた空気を吐き出す。真信はのっそりと起き上がり、辺りを見渡した。


 四畳半の和室。壁とふすまに囲まれたこの部屋は、樺冴の屋敷でも奥の方に位置し、真信が自室として使用していた。


 枕元の時計を見ると、まだ早朝の三時前だった。今日は見張り当番もない。必要もないのにおかしな時間に目を覚ましてしまった。


(なんか、リアルな夢だったような……)


 それが目を覚ます原因だったはずだ。

 すでに忘却が始まっていたが、真信は順に記憶をさかのぼっていく。朧げなところもあるがだいたいは思い出せた。


 そもそもがほんの数年前の出来事だ。そちらを思い出したほうが早い。

 あれは確か中学生に上がったばかりの頃。丁度ゴールデンウィークで、少し遠方の任務に駆り出されたのだ。


 任務の内容はいたって単純。山奥に自宅を構える、とある人物の暗殺。加えて警察に気取られぬように死体を自然に処理すること。もちろん共に暮らす家族もまた、暗殺の対象だった。


 特になんの変哲もない、ありふれた仕事の一つだったはずだ。なぜいまさら夢に見たのだろう。他に印象に強く残るような現場は腐るほどあったのに。


 夢に表出するものは大かたが、忘れかけた記憶が何かのきっかけで浮上したものだ。しかし真信はあの仕事だけを思い出すような何かに触れた覚えがない。無意識のうちにを見ていたのだろうか。


(考えても意味はないか)


 所詮しょせんは夢だ。そうかぶりを振って真信は起き出した。

 眼が冴えてしまった。ならば、もう一度布団にもぐるより日課の走り込みをこなすほうが賢明だ。


 布団を畳んで着替えを用意していて、真信はふと、今しがた見た夢に違和感を覚えた。いや、正しくは己の記憶に、である。思い返して改めて不思議に思ったのだ。


(そういえば、あの時彼らはどうして――)


 どうして、誰もいない虚空に向けて笑いかけていたのだろう、と。






 寝苦しい。こんな夜はろくな夢を見ないと、そんな嫌な予感が当たってしまった。

 伸ばされる下卑た手。身を這いまわるヌメヌメとした感触。身体の芯を貫くような痛みと、砕かれる心の痛みとは、どちらがより辛かっただろう。


『これは崇高な儀式なのだよ。和合こそが悟りへの道。大丈夫。幼い君にはよくわからないかもしれないが、すぐ、なる』


 涙を流し助けを求めて手を伸ばす少女にそう、浄衣じょうえを着た男は言った。


(悟り? そんなものいらない。私が、私が返して欲しいのは、あの幸せだった時間。お願い、助けて。お父さん、お母さん――――!)


 助けなど来ない。これは夢だ。過去の映像だ。だから結末も知っている。

 彼女の家族はもういない。


 死んだ。

 殺された。


 平賀の人間に、命を奪われたのだ。


「――――っぁ………………っふふっはははっ」


 あまりの憎しみに目が覚めて、少女は思わず笑ってしまった。狂ったような甲高い声が一人暮らしの一室に木霊こだまする。

 部屋に明かりはついていない。時折表を走る車のライトが、室内の端から端へと駆けていくだけだ。


 飾り気の一切ない殺風景な部屋に一つだけ飾られた写真立てには、幸せそうに笑う三人の姿があった。彼女の幼い日、幸福だった時間を切り取った、たった一枚残った写真だった。


 その幸せが無慈悲にも目の前で失われた瞬間が、少女のまぶたを何度も通り過ぎていく。


(そうだ。私は何度でも思い出す。この怒りを、受けた屈辱を思い出す)


 そのたびに、自らの心にさかほむらへ復讐心という名の薪を投げ入れるのだ。


「許さない」


 じっとりと汗に湿った身体を抱きしめて、少女は呟く。


「私を凌辱りょうじょくした呪術者達も、家族に手を下した平賀の連中も、私は絶対に許さない」


 自分に言い聞かせるように唸り、今朝ボスから見せられた画像を思い出す。特徴のない黒髪に、苦労したことなさそうな平凡な顔。名前を確か真信といったか。


「必ずこの手で、キサマらを殺し尽くしてやる」


 ようやく見つけた平賀への手がかり。逃がしはしない。そう少女は虚空を睨んだ。


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