倉庫苦整理


 スーツを着込んだパンツルックの女性が、事務局で名と訪問理由を告げる。生徒たちが昼休憩を満喫している中、男性事務員は手際よく手続きを済ませてくれた。なぜか顔を余計に見られた気がするがなぜだろう。


 身分証替わりの許可証を首に下げて廊下を進む。上着の下でズレたサスペンダーをクイッと整え、静音しずねは愛想笑いを消した。


 不自然に見えない程度の歩調で目的地へと急ぐ。


 京葉けいよう高校に足を踏み入れるのは初めてだったが、事前に図面を確認してきたので迷うことはない。目指すは理事長室。そこで彼女の主人が待っているはずだった。


 静音は公の教育機関に通ったことがない。だからだろうか、学び舎の空気にはどうも慣れない。なんだか日常というものに追われるようにして、脇目も振らずに道を急いた。


「あっ、静音こっち。さすがに早かったね」


「お待たせしました、真信様」


 曲がり角を過ぎると、すぐにその扉は見えて来る。理事長室と札のされた扉の前には静音を手招きする少年がいた。


 中肉中背。女性にしては身長の高い静音と、ほぼ目線は同じ。黒髪を目立たない程度に整えたこの少年こそ、静音の信望する主、平賀真信である。彼の顔を見て静音はようやく、ほっと息をついた。


 一方の真信は慌てたように、廊下の真ん中で頭を下げる静音の肩を叩く。


「ここでその呼び名はやめよう。知人に聞かれたらと思うと怖いよ」


「しっ失礼しました。――ま、まさっ、真信…………さん」


「あー……まぁちょうど人もいないし、いいけど。……じゃあ入ろうか」


 少年がノックもなしに扉を開く。静音も熱を持ってしまった顔を引き締め、続いて中に入った。

 中にいるのが誰かなど分かりきっている。すぐに後ろ手で扉を閉め、手探りで鍵をかけた。


 眩しさに一瞬だけ目を細める。大窓を背にやわらかそうなチェアーで踏ん反り返っていた男が、入室者に気づき菩薩ぼさつのような笑みを浮かべた。


「やぁ、時間ぴったりだね。私も教育者の端くれとして認知されているんだ。ここは褒めるべきなのかな」


 白髪の混じった髪に、薄い顎鬚あごひげを生やした五十代くらいの男だった。染み一つない真っ白なスーツを着込み、胸元には黄色い三角のポケットチーフが覗いている。


 いつもかぶっているシルクハットは机の上に乗せられていた。整い過ぎた時代錯誤な服装は、どことなく男の胡散臭さを助長させている。


 樺冴の後見人であり、京葉高校の理事長にして、他にも複数の肩書を持つという未だ謎の多い男。菅野すがの源蔵げんぞうである。


 何故この男がここにいるのか、というのは単純な話だった。彼は創設者の子孫という体裁で理事長をしている。実際は子孫などではなく、源蔵こそが京葉高校を建てた張本人なのだが。


 静音は真信の斜め後ろに張り付くようにして男へ警戒を向ける。静音はこの男を全く信用していない。だが、彼が基本協力的であり、全貌の見えない呪術社会の貴重な情報源であるのは確かだ。

 真信が源蔵と協力体制を構築すると決めた以上、静音に進言できることはない。


「電話でお伝えした通り、資料を見せてもらいに来ました」


「把握している。そちらの部屋だ。鍵は開けておいた」


 礼節正しく頭を下げる真信に、源蔵は理事長室に隣接する部屋の方向を指さす。廊下からはこの部屋に通じる扉はなかった。理事長室を経由しなければ入れない造りになっているらしい。


 町に関する各資料や、歴代の京葉高校生の身元調査資料など、とにかく源蔵の持ちうる情報のうち、秘せられるべきものは全て京葉高校に保管されていると昨晩連絡してわかったのだ。


 深月が必要としている情報も、この中にあるという。


「どうして僕だけしゃなく、もう一人くらい連れて来いなんて言ったんですか? そんなに探すのが大変だとか?」


 静音は捜索要員として呼ばれたのである。深月は労働に向いていない。真信の友人に手伝わせるわけにもいかない。なので自然と、屋敷にいる仲間内から手すきの者を召喚することになった。たまたまその連絡を一番に受け取ったのが静音だったのだ。


「それもあるがね。なんだ、言いにくいが、そこは長年放置していて少々整理ができていなくてね。よければ、ついでに片付けてくれないだろうかと思ったのさ」


「まあついでですし、構いませんけど」


 真信は気安く請け負って扉を開ける。しかし、そのまま中に入ろうとした足は止まってしまった。


「こっ、これは――」


 部屋の入り口でのけ反る真信の肩越しに、静音も中を覗く。


「なんとぉ……」


 思わずらしからぬ奇声が洩れる。


 そこを一言で言い表すならば、汚部屋だった。


 手前の方はまだいい。ただ書類やファイルが乱雑にいくつかの塔を形成しているだけだ。上の方にあるのが新しいものでいいだろう。しかし奥は、まさに資料の墓場だった。


 壁一面に置かれたキャビネットのガラス戸はなぜか全て開け放たれ、色あせた背表紙のファイルが横積みにこれでもかと詰め込まれている。床に足の踏み場はなく、ファイルの留め具が壊れたのか何かの紙が大量にぶちまけられていた。


 何よりほこりが凄まじい。積もったそれは雪原すら思い起こさせるほど。扉を開けた風圧で舞い上がる粒子は火を放てば爆炎へと変貌してしまいそうだ。見ているだけで鼻がかゆい。


「ぇぅっ、へくしっ」


「くしゃみ可愛いな……大丈夫か静音」


「ぇ? ご、ご心配には及びません。こんなもの、平賀で受けた汚水域での生存訓練に比べれば――!」


「今はそんなシリアスな局面じゃないはずなんだけどなぁ。ていうか源蔵さん! 何十年放置してたらこうなるんですかっ!」


「いやはや、長く生きていると時間の間隔が曖昧でね。あまり使うこともないから余計に。ふっ。なぁに、授業に間に合わなくても、こちらで便宜をはかる。安心したまえ」


 真信の悲鳴に対しカラカラと笑う男に、静音は殺意すら覚えた。しかしここから目的の資料を探さなくてはならないのは事実。


 それにこの胡散臭い男の前で前言撤回などありえない。取られる上げ足をこちらから晒すなどあってはならないことだった。


 真信がため息をつき、鋭い視線を源蔵に送る。


「仕方ない。源蔵さん、あなたは掃除道具の手配を」


「資料を年代順に並べてくれるだけでいいのだが」


「そんなレベルで解決するわけないでしょう」


 覚悟を決めるしかなかった。汚部屋を前に二人は拳を握り絞め、目つきを改める。


「――――静音、行くぞ。やるなら徹底的にだ」


「はっ。この静音、最期まで御供致しますっ」


 二人とも半分やけくそ気味に、平賀でつちかったチームワークで仕分け作業に取りかかるのであった。





 ノックの音の直後に扉が開く。


「ただいま戻りました……あら、真信様と静音ちゃんが来てるって聞いてたけど、もう帰っちゃったのかしら」


 入ってきたのは見目麗しき女性だった。どちらかといえば小柄で、慈愛に満ちた柔らかな微笑みを絶やすことなく浮かべている。

 女性は抱えた段ボールの上にその豊満な胸部を預けて、辺りを見渡した。


「惜しかったねなぎさ君。彼らなら今しがた退散したよ」


 源蔵は書類を片付けていた手を止めて、隣室に繋がる扉を指差した。段ボールを机に置いたなぎさが部屋を覗き込み、まぁ、すごいと感嘆の声をあげる。


 手がつけられない汚部屋の面影はそこになかった。近年の資料は全てファイリングされ、年代や内容ごとに戸棚に行儀よく並んでいる。


 棚に入りきらなかった書類たちも、ひもで縛られ、種類がわかりやすいよう壁際に積まれていた。

 だんだんと紐の結びかたが乱雑になっていっているのは二人の苦労を推して知るべしということなのだろう。


 床は磨きあげられ、どういうわけか、消えるはずがないと思われていた壁の染みすら見当たらない。


「あスゴい、天井のほこりもないのね」


「脚立が無くてね。肩車していたよ」


「見たかったわ、それ」


「手伝う気はなかったのかい」


「いやですわ、汚れ仕事それはガラじゃないもの。女はちょっとワガママなほうがいいのよ?」


 天真てんしん爛漫らんまんな笑みで渚がくるりと踊る。艶やかに、華やかに。平賀が彼女に与えた役割は、つまるところ『美しくある』ことだった。


 それに加え、習得した話術と観察力を駆使すれば、渚に丸裸にされない男はそう居ない。


 彼女は誰よりも己の武器を正しく把握していた。


 男女問わず警戒を弛めてしまうだろう可愛らしい笑みを浮かべたまま、渚は源蔵へ近づいた。

 部屋の片隅に立て掛けられたモップはまだ湿っている。あの二人が掃除を終わらせたのは、つい先ほどだったらしい。


「それじゃあ入れ違いだったのね。残念。それと、こちらが頼まれていた事務用品です」


「悪いね、秘書なのに買い出しなどさせて」


「悪いと思うならご自分で行くべきではなくて?」


 小悪魔的な表情を造り、源蔵の肩を指先で妖しく撫でる。


 渚は五月の終わりにあった『カミツキ姫幽閉事件』の後から、源蔵の秘書に就いている。呪術社会とのコネクションやら実務やらで忙しい源蔵から、優秀な人員を貸してくれと、真信側へ打診があったということもある。


 しかしそれ以上に、彼女は真信からある役割を期待されていた。


「それよりも、あのカードは確かに届けてくれたかい?」


 書類仕事に戻りながら源蔵が問う。使っているのは某会社から二十年ほど前に発売された限定ものの万年筆。筆跡は癖が強く、払いに特徴がある。


 無意識のレベルでそこまで把握しながら、渚は先日渡されたカードを思い出す。


 二つ折りのシンプルなメッセージカード。中に書かれた赤い文字は源蔵の筆跡ではなかった。


「えぇ、もちろんです。ちゃんと真信様に渡したわ」


「それは良かった。挨拶代わりにと頼まれていたんだよ」


「ねぇ源蔵さん。あのカード、どなたからの恋文ラブレターなのかは教えてくださらないの? 私や貴方はあくまで仲介者。差出人は誰かしら」


 耳元に唇を寄せ、後ろから手を回すようにして源蔵の顔を見つめる。しかし源蔵はニヒルに口角を上げるだけで答えない。


 諜報の世界で鍛え上げた渚の観察眼をしても、そこに意義ある情報を見出だすことはできなかった。


 残念と告げて源蔵から離れる。段ボールの中身を取り出しながら、渚の脳裏に真信の言葉がよぎる。


 ──彼の樺冴のためにという考えは信用できる。けれどそれが、深月の、ひいては僕らのためになるという保証はどこにもない。だから渚さん、あなたは──


(えぇ、わかってるわ、真信様)


 渚の仕事は菅野すがの源蔵げんぞうの監視だ。


 諜報の仕事は、言葉にしてしまえば単純だ。相手に取り入り、共犯を演じて信頼させ、その心を少しだけ誘導し操る。今日も渚はその種を丁寧に蒔いてゆくだけ。


 しかし今回はなにかと難儀していた。

 女の武器が通用せず、源蔵と相手の連絡手段すら特定できていない。今はとにかく、従順な素振そぶりで側にいることくらいしかできない。


 それでも、だ。


(アナタからの仕事お願いは、完璧にこなしてみせるわ)


 見ていて飽きない可愛い弟分のような主の姿を思い出しながら、渚は思考する。

 たとえそれが主である真信を、そして大切な仲間を騙すことであったとしても。


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