早朝四時 後


竜登りゅうとなぎささん、見張り当番お疲れ様。時間だから交代するよ」


 そう言って屋敷の奥から二人の前に現れたのは、中肉中背の少年だった。目立たないように整えられた黒髪に、顔には優しげな笑みが浮かんでいる。言うまでもなく二人のあるじ平賀ひらが真信まさのぶである。


 すでに朝の走り込みを終えた後なのだろう、身支度まで完璧に済ませ、学生服を着込んでいる。その脇には同じく普段通りの装いの静音しずねが控えていた。


 といってもこちらは意外と朝が苦手なのか、無理やり後ろでまとめた短髪も所々跳ね、目付きがいつにも増してけわしい。一歩間違えれば今にも人を殺しそうな形相になっている。端的に言えば顔が恐い。


 そんな静音しずねを見て「あらあら」と困り顔なのはなぎさだ。自分の容姿を磨きあげ、男を堕落させるテクニックの全てを兼ね備えた彼女にしてみれば、男性の前で気の抜けている静音しずねに言いたいこともあるのだろう。


 平賀ひらがにあって対男性戦の諜報を専門に行ってきたなぎさと、付き人として主を側で支える静音とは対照的だ。あと、たわわに育った渚との胸囲の差もあからさまであったりする。


「ところで、なんだか騒がしかったけど。何かあったの?」


 笑顔のまま真信が二人に問いかけた。しかし彼の目の奥は全く笑っていない。戦闘と火薬を専門とする竜登は、背筋を伸ばして足元で眠っている男を両の手のひらで示す。


「侵入者を捕まえたんですよ!」


「うちの情報全然持ってなかったから、たぶん呪術側の人間ね」


 渚も男を指先でつつきながら補足する。それに真信はちらりと目をやり、深く頷く。


「そっかありがとう。でも……次はもう少し静かに、ね?」


 笑顔なのに、笑っていなかった。


「り、了解っす……」

「はぁい」


 背筋に走る悪寒に口元をひきつらせて、竜登は返事をする。渚は大人としての余裕かスカートの裾を持ち上げにこやかにお辞儀した。


 そうやって彼女が前屈みになると余計に胸が強調されることになる。竜登は隣に立つ女性から目をそらした。対して正面にいる真信は顔色一つ変えない。竜登はおかしなところで自らの信望する主を、さすがだな、と見直した。


 そういえば、平賀では当主の実子は女性の誘惑ハニトラに屈しないよう特殊な訓練を積まされると噂される。どんな訓練なのか女性陣の居ないところで聞いてみようと竜登は心に決めた。


「我らがお姫さまは今頃夢の中なんかねえ」


 捕まえた男の引き継ぎを済ませた竜登は、ふと屋敷の主人の姿を思い出して顔を上げた。男の手首を紐で縛っていた真信も同じく顔を上げ、屋敷の奥へと視線を向ける。その先には狗神憑きの少女の自室があった。


深月みつきなら、昨日は十時半には自室に戻って、十一時二十二分には布団に入ったみたいだから。今頃はノンレム睡眠中かな。揺すっても起きないだろうね」


「うわぁ……」

「? どうかした?」

「い、いえ。なんでも」


 言ってはいけないことを口走りそうになって竜登は慌てて誤魔化した。

 危なかった。つい、仕事に真面目な真信とストっ……性癖異常者とを同視してしまうところだった。


 嫌な冷や汗を拭う。短気ですぐ思ったことを喋ってしまう己の性格を竜登は怨めしく思う。勘づかれてはいまいかと真信に視線を向けると、彼はすでに竜登に背を向けていた。


 寝ている男を完全に縛り上げた真信は、男の顔を確認しながら静音となにやら話し込んでいる。


「今月町に入った部外者は、これで残すところ二人だったかな」


「はい。現在確認できているのはそれだけです。こちらから接触しますか?」


「いや、向こうが動くのを待とう。今は、まだ──」


 聞こえてくる声から察するに今後の方針を定めているのだろう。竜登はあまり頭が良くない。そのまま聞いていても余計なことを考えてしまうだけだ。


 自分は真信の手足であればいい。そう胸に決意を固めていると、渚が小走りに真信たちへ駆け寄り人の警戒心をとろけさせる笑みを見せた。


「では、私は借りてるアパートに戻ります。なにかあったら連絡ちょうだいね?」


「あ、俺も自室に戻っときます」


 ついでにと竜登も声をかける。真信がそれに微笑みを返す。竜登の当番もこれで完全に終わりだ。玄関に向かう渚を見送るためその背を追う。


 この町に来た門下の全員が樺冴家に居候しているわけではない。効率を考えて、一般市民を装って町に溶け込んでいる者もいる。渚はその一人だった。


「そうだわ、竜登ちゃんが面白くて忘れるところだった。いつの間にか屋敷のポストにこんなものが入ってたの」


 渚に追い付いた瞬間、彼女が突然に振り返った。ぶつかりそうになって慌てて身をよじり変なポーズで停止する。すれ違いざまにゴメンね? とウインクされて頭の回転も停止した。思春期の青年に色気たっぷりのお姉さんは毒である。


 押しあげられた胸ポケットから取り出されたのは、一枚のカードだった。二つ折りにされたそれを渚が開いて真信たちに見せる。


「どう思う?」


 そこには、赤い文字でこう記されていた。



『──殺し屋がキミを見ている──』



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る