うつろいゆく歯車
梅雨の時期にしては珍しく晴れ間の覗く昼下がり。水たまりには青空が映り太陽の光を乱反射させる。
朝方の雨に冷やされた空気が湿気を吹き飛ばしてくれるおかげで、
連日の土砂降りに屋内へ押し込められていた反動か、普段は教室や食堂で昼食をとる者達も外へ足を運び、水気を避けてベンチや校舎の影で食事をとっているのが見える。
(屋敷で留守番してる連中は、溜まった洗濯物を干してくれてるかな……)
争奪戦のすえ全て埋まったベンチの一つに、そんな主婦の様な
膝の上に広げたお弁当を早くも空にして所在なさげに箸を開閉している
「んでよ、この時期になるとなぜか
「え? ごめん聞き流してた」
「素直にタチ悪いな!?」
そう少年の右側で驚嘆の声を上げるのは彼の友人、
「なあ、
こちらも早々に食べ終わった弁当を片付けながら真信を挟んで反対側へと話しかけた。
声をかけられ食べかけのお弁当箱から顔を上げたのは、美しい顔立ちをした少女だ。透けるようなブラウンの髪が腰の辺りまで流れ、伸びた前髪の隙間から、とろんとした大きな瞳が覗いている。
並ぶ少年二人のクラスメイト、
「んー、なにか言ってた?」
「そもそも聞いてなかっただと!?」
なんてこったと額を叩く。落語じみた動作に自然と周囲の注目が集まった。
(目立ってるなぁ)
顔の良い二人の真ん中で真信は人知れず苦笑を漏らす。常彦はそもそも友人が多い上に女子の目を引く好男子だ。一方の深月も美人なのだからよく目立つ。それが人の多い場所にそろっているから注目の的だ。
家業柄、基本的に目立たないよう普通に生きてきた真信としてはなんとも落ち着かない。
「ところで
深月が食事を終えたのを見計らって、真信は右隣にそう話を切り出した。深月は天気が変わったくらいで外へ赴く情緒を持ち合わせていない。それに合わせる真信も、もちろん教室で昼食をとるつもりだった。二人を中庭に連れ出したのが常彦だ。
彼とは度々お昼を共にすることがあったが、恒例行事というわけでもない。人付き合いのいい常彦は部活に顔を出したり、他クラスへ足を運ぶことも多いのだ。なぜわざわざ今日に限って真信と深月をまとめて外に引っ張ってきたのか。真信はそこを疑問に思っていた。
「いやだってお前らセットだろ。というか俺は二人に聞いて欲しいことがあんだよ」
軽く言って、常彦は二人に向き直った。真信と膝がぶつかる。むしろ押し付けるようにして、常彦は内緒話でもするように話し始めた。
「ここ最近の話なんだけどよ。町はずれにある駅の近くに小っさい橋があるだろ? そこで変なことが起きるようになったんだ」
「へぇ、どんなこと?」
「人がよく転ぶようになってだな、散歩してる犬が怯えて渡らない。挙句の果てには車のエンジンが急に止まっちまった――つってもこれは本当かどうかわからねぇが。いいか、これは実際に今、この町で起きてることだ」
羽ばたく蝶々を眺めていた深月がピクリと反応する。それに常彦はしたりと頷いて、さらに続けた。
「昔からってわけでもねえ。ほんの一月くらい前から突然に起こり始めた。それ以前は別に異変はなかったらしい。おかしくないか? しかもその橋の上だけで異常が起きる」
だんだんと小声になる常彦に、自然三人の顔が近寄っていく。全員の視線が一点に集まって、常彦は指を鳴らしてにやりと笑った。
「こりゃ、なぁんかあると思わねぇか」
眼を輝かせて問いかける常彦に、真信は呆れてしまった。噂好きな彼のいつもの与太話と何が違うのかわからなかったからだ。
「またそういう変な噂、どっから聞いてくるのさ」
「そりゃ友達の友達経由でいろいろとな。で、どう思う?」
常彦が少女に問う。深月はしばらく黙考してから、眼を細めて呟いた。
「まー何かが起きてるっていうのは、確かだろうねー」
「そらな。やっぱ聴くやつによっては大事件なんだぜ」
常彦がしてやったりという風に真信の背中を叩く。真信は腑に落ちないまでも、深月がそう言うならそうなのだろうと納得した。
手を合わせてからお弁当箱を片付け始めた深月は、中空を眺めながら考え事をしているようだ。
「真信、今日の放課後って」
「駅まで見送りがあるけど……まさか、調べに行くの?」
「うん。気になることがあるしねー」
「おお、乗り気だな深月さん。何かわかったら教えてくれよ」
常彦の言葉に反応を示さず空の弁当箱を真信に渡し、深月は黙りこくってなにやら思案し始めた。
声を掛けにくい雰囲気になって男二人は苦笑するしかない。すると突然なにかに気がついた常彦は、真信の肩に腕を回し、自分のほうに引き寄せた。
「ったく、またか。羨ましいねこの色男」
「なにが?」
「まさか気づいてないのか?」
「…………なにに?」
全く訳がわからず真信は眉をひそめる。常彦は呆れたようなため息をつき、指示を出してきた。
「いいか? 絶対振り返るなよ。目だけ、そう、そっちに向けて――」
言われて真信は背後にゆっくりと眼玉を滑らせていく。それがぎりぎり背後を視界に収めると、ようやく真信は友人の言いたいことを理解した。
立ち並ぶ木々の向こうにある校舎の二階の窓には、こちらを観察する一人の少女がいた。少し離れているので名札の文字までは見えないが、学年色は一年生を示している。
平均的な身長に、地毛だろうか、ウェーブのかかった赤い髪が鎖骨の前で揺れている。大きなつり目と薄い唇が、勝気そうな顔立ちをより際立たせていた。
少女は片手に双眼鏡を持ち、ちょうどなにやらメモを取っていて真信の視線に気づいていない。
真信はゆっくり眼球を前方へ戻し、再度常彦に困惑を投げかけた。
「えっと、常彦のファンじゃなくて?」
「違えよ。あの子はいっつもお前らばっか観察してんだぜ?」
「…………いつから?」
「先週くらいからだ。登下校中にも何度か見たな」
「嘘でしょ、尾行があまりに素人すぎて気がつかなかった」
「見張られのプロかお前は」
真信は常彦の冷静な言葉に思わず唸った。
町中に監視カメラを設置し、人の出入りを徹底的に監視する体制を整えていながら、同じ学校の生徒の動向一つ気づけなかったとは。
つくづく自分の日常への警戒心のなさを思い知らされる。平賀に居た頃はそれでよかった。“平賀真信”という存在の情報は完全に統制されていたからだ。しかしこれから先は、そんなことではやっていけないというのに。
「心当たりはないのか? 実は顔見知りだとか」
予想以上の苦悶を示す真信に、常彦が
「見たことない顔だよ。常彦なら知ってるんじゃない? 可愛い子の名前はだいたい把握してるんでしょ?」
「ふっ、まあな! もちろん学年問わず可愛い子はチェック済みだが……。あの子は確か──
「そういうんじゃないよ。ただ……」
「ただ?」
「……なんでもないよ」
適当に誤魔化してそれ以上の追及を避ける。常彦はまだ何か言おうとしたが、丁度良くチャイムが鳴り、会話が途切れた。いまだ思案中の深月を
中庭を出る時、一瞬だけ二階の窓へ視線を向けたが、すでにそこに人影はない。
今朝屋敷に届いていたという謎のカード。そこに記されていた文言が、一瞬真信の頭をかすめて消えていった。
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