自覚せずとも


 深月みつきがその問いを投げかけられたのは、緒呉おくれに出発する前に連れて行かれたデパートでのことだった。


 そのとき深月は自販機横の椅子に身を沈めていた。

 奈緒なおに散々着せ替え人形にされて疲れてしまったのだ。


 疲労の原因が自販機を操作しながら振り返る。


「いや〜、ごめんなさい。楽しくってはしゃぎ過ぎちゃいましたね。反省です」


「ううん。服とか選んでくれてありがとー。私あんまりこういうの詳しくないから」


「いえいえ~。はいお茶です」


「ありがとう奈緒ちゃん」


 ペットボトルを受けとると奈緒も隣に腰を下ろした。奈緒のほうは紙カップのコーヒーだ。並んで束の間の休息を取る。修学旅行にも参加してこなかった深月にとって、一週間に及ぶ外出は未知のものだ。服類は買えたので今度は旅行道具をそろえる必要があった。まだまだ買い物は終わりそうにない。


 護衛兼荷物持ちで呼んだ竜登りゅうとは大量の紙袋を屋敷に一旦運んでいる。そのため今は奈緒と深月の二人きりだ。


「深月先輩……、一つ真面目な質問いいですか?」


 奈緒にしては気後れしているような口調だった。珍しい彼女の様子を不思議に思いながらも深月は頷く。奈緒は言葉を選ぶようにして口を開いた。


「その……深月先輩って、真信先輩のことどう思ってるんですか?」


「どう……?」


 それは予想だにしない質問だった。意味を掴めず首を傾げる。すると奈緒は慌てたように口をもごもごと動かした。


「いえその、身を引いた側からするともどかし過ぎてどうにか進展させたいっていうか、もしかしてこの二人それ以前の問題なんじゃないかとか考えてしまって」


「…………?」


 奈緒の言っていることが理解できず深月は逆側に首を倒す。すると奈緒は頭痛を抑えるように頭を抱えた。


「駄目だ、たぶんそれ以前の問題なほうだ……。えっと、関係性の定義を聞きたいんです。前にも訊きましたよね。お二人の関係はって」


「真信は私の世話係で飼い主だよ」


「それは役割でしょう」


 そう否定され深月は虚を突かれたように目を丸くした。役割と関係性の何が違うのだろうかと。


 奈緒はどこか問い詰めるように言葉を重ねる。


「あたしが訊いてるのは、深月先輩が真信先輩とどうなりたいのかってことです。何かあるでしょう、もっと彼のことを知りたいとか、ずっと一緒にいたいとか」


「それは思うけど……」


 首肯はするが、それだけで具体的な言葉が思い浮かぶはずもなく。

 自分が真信にどんな関係を求めているのか。今まで考えたこともなかったのだ。急に問われても考えがまとまらない。


「じゃあ、屋敷にいる門下の人達のことはどうです?」


 奈緒が視点を変える。すると深月の思考は途端にクリアになった。


静姉しずねえたちは……家族みたい、かなー」


 言葉はするりと出る。奈緒はふむと頷いた。


「家族ですか」


「うん。一緒に暮らしてる人を家族って呼ぶでしょう? 不思議な感じなんだけどねー。私に家族ができるのって、私の心がなくなった後の話だって、ずっと思ってたから」


 握ったペットボトルのラベルを撫でる。そこには一般に募集された川柳が載っていた。テーマは『ぼくのかぞく』。受賞した作品は父親の温かさとお茶の渋みをかけたものだった。


 深月は父親を知らない。

 自分の遺伝子の半分を形成するはずの男は、すでにこの世にいない。恐らくは深月が産まれてすぐ用済みとして源蔵に処分されている。


 深月は母親の声を聴いたことがない。

 深月の物心つくころにはすでに、母親は狗神に精神のすべてを喰われ、空っぽの人形になっていた。


 樺冴かご家は子孫を絶やすわけにはいかない。狗神を継いでいかねばならないからだ。狗神を継承できるのは、樺冴家直系の女人のみ。それも継承先を無暗に増やすことも許されない。血縁者が増えればそれだけ敵から利用される可能性が増えるだけ。


 故に樺冴家は常にたった一人の女性によって継がれてきた。

 当代当主にもしもがあった時のため、母体は虚ろなまま生かされ続けるが……、それも表向きには存在しないものとして秘匿ひとくされる。だから樺冴家の人間として数えられる者はいつも一人きりだ。


 このまま狗神の呪詛を削りきれなかったら、深月もいつか婿むこを取らされ、次の子どもに狗神を継承することになる。

 それは、その時すでに自分が使い物にならないことを意味していた。先代が壊れそうになったら次の道具を作るのだと。源蔵げんぞうはそう言っていたから。


 だから家族とは自分から一番遠い存在で、敗北の結果だと思っていたのだ。

 広い屋敷に、一人きり。それが当たり前だった深月にとって、今の賑やかな屋敷はまるで別世界のようだった。


「誰かと一緒に暮らすのって、なんだかあったかくて、すごく嬉しい。血は繋がってないけど、でも、こういうのが家族なんだよね」


 深月が穏やかに笑う。目覚めてから樺冴家の事情を聞かされている奈緒も微笑んで肯定した。


「もちろんですよ。あ、ちなみにあたしもそれ入れてます?」


「うーん、奈緒ちゃんは後輩だけど……。でもやっぱり妹みたい。すごく甘やかしたいかも」


「あうっ、反則的な笑顔……。あたしのお姉ちゃんは一人きりだけど深月お姉ちゃんも捨てがたいっ」


「『深月お姉ちゃん』……。なんだかそう呼ばれると胸がドキドキするね」


「あたしが高鳴らせてどうするっ。そうじゃなくて今大事なのは真信先輩ですよ」


「あ、そうだった。真信のこと忘れてた」


「…………」


 すぐ忘れられるとかあの男、もうちょっとアピールを頑張ったほうがいいんじゃないか。奈緒は心中でそう呟いてしまった。


(この二人あたしが背中押さないと、お互い何も自覚しないまま一生を終えるんじゃ……)


 そんな想像に身震いする。

 とりあえずこの、対人経験が幼児並みの少女からどうにかせねば。


「深月先輩、じゃあそのみんなに向ける気持ちと、真信先輩に向ける気持ちは、同じものですか?」


 確信に迫るためそう質問する。まずは親愛の情と、彼女が真信に抱いている感情の違いに気づいてもらわねば。


 深月は奈緒の問いにうつむいた。自分の胸中と対話するように目を細めている。

 奈緒がじっと待っていると、深月が顔を上げた。じっと奈緒を見つめるその瞳には、彼女自身かみ砕けていない感情のうねりが見て取れた。


「なんか……違う……気がする……」


 困惑してすぐ目を逸らす。奈緒は微笑ましくなってさらに訊いた。


「どこがどう違います?」


「わかんない……」


 少女が弱弱しい様子で言葉をこぼす。不安げな表情はどこか幼子おさなごのようだ。


 きっと彼女は、他人への気持ちをこうやって真剣に考えるのは始めてなのだろう。人の感情はいつもたった一言で表せるほど単純ではない。だからこそ思い、悩む。今まで他人と関わってこれなかった深月は、そんな未知の感覚に戸惑っているようだ。


 奈緒はそっと深月に肩を寄せ、少女の頭に自分の頭をコツンと当てた。


「その気持ちの違い、ちゃんと考えてあげてください。ああ、ちょうどいいです。これ、出張中の宿題ってことで」


 ニヤっと笑ってそう告げると、深月が面倒臭そうに顔を歪める。奈緒は笑みを苦笑に変えてコーヒーを飲み干した。


 苦い。砂糖もミルクも入っていない黒褐色の液体は、奈緒の胸をチリチリと燃やす感情を塗りつぶすのにちょうどいい。


 むしろここで甘味など摂取したら胸焼けがしそうだ。


「しっかり答えを見つけて帰って来てください」


 いつも事の本質を本能で感じ取ってしまう深月だからこそ、こうして自分の中の無自覚と向き合うのは良い刺激になるはずだ。


 立ち上がって紙カップを捨てる。差し出した手を取って深月も腰を上げた。


 休憩は終わりだ。そろそろ竜登も戻る頃だろう。買い物を再開せねばならない。


 並んで店に向かいながら、奈緒は今頃屋敷で夕食の支度をしているだろう少年へ思いを馳せる。彼も彼で、深月への気持ちを無駄にこじらせている気がする。


(ほんと、手のかかる先輩方だことで。まあほかにこの二人のする人いませんからね~。あたしが気を回してあげないと)


 元門下たちはあくまで"仕える者"なのだと静音は言った。主人が地獄へ向かうなら追従するのみだと。

 だが奈緒はそんな未来はまっぴらごめんだ。せっかくこうして命を救われたのだ。第三者であれる自分が、このトップ二人の力になれたらいい。


 裁定者であることと、彼らを導くことは、奈緒の中で矛盾しない。

 それは、道を間違える者を放って置くことを見守るとは呼ばないと、そう考えたからだ。


 奈緒はじっくり考えて行動しているつもりだが、こうした性質は本来、生来のものだった。奈緒自身はそのことに気付いていない。


 たとえ相手が恋した相手でなくても、恩人の少女でなくとも。それがたとえ赤の他人だろうと、奈緒は他人の過ちを放置できる人間ではなかった。



 そんな彼女の性格が、後に人の命を知らず救うこととなる。


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