小さな面影


 源蔵げんぞうが町に話を通して確保した寝床は、思ったよりも大きい民家だった。


 ここまで見てきた家はみな、瓦屋根の乗った木造平屋ばかりだった。田舎らしく一軒一軒の敷地は無駄に広いものの家の面積自体は都会の一戸建てとそう変わらない。


 だがこれから世話になる小里おざと家はそれらよりも大きい。造りも近代的で、ここ十年ほどで新しく立て直した様子があった。樺冴かごの屋敷ほどではないが、この地区では一番の広さだろう。立地や周囲の空気感からもどこか地元の元豪商といった雰囲気がある。


 真信たちはその二階の和室を二部屋、客室として与えられた。両部屋とも八畳ほどの広さがある。鍵などもちろんなく、廊下との境はふすまだけだが。


 家主を名乗ったもじゃもじゃ頭の少年は、その体格の良い上背をまるめるようにしてさっさと消えてしまった。真信は通された部屋を見渡す。ずっと物置になっていたのか畳の一部にへこみが見られた。最低限の掃除はしてあるものの、あの少年はどうやら几帳面な性格ではないらしい。ふすまのすべりに埃が絡みついてかたまりになっている。


 各々が荷物を下ろす。バスを降りた後しばらく歩いたので、真信たちはともかく深月の疲労がいちじるしかった。少女はすでに畳の上に寝転がっている。夏ということもあって溶けているようにも見えるのがおかしい。自分の居場所をならすようにごろごろと転がるのはいいのだが、自分がいつもと違い軽いスカートを履いているのを忘れているようで、その白く細い足が大胆に見えてしまっていた。


 真信がさりげなく視線をそらすと、察した静音が深月の足元のはだけを直す。静音は部屋への警戒を解いたらしく、ほっと息をついた。


「一先ず落ち着けて良かったです。ここはさすがに、うちよりも田舎ですね……。狭いあぜ道ばかりです。それほど広くもありませんし、車を用意しなくて正解だったかもしれません」


 それに反応したのは深月だ。


……? うちって、樺冴わたしの町のこと?」


 おかしな所にひっかかりを覚えたらしい。寝転がったまま首を傾げる深月に、静音は素直に答える。


「? はい。そうですが……深月さん? なぜニヤついているのです?」


「ううん。なんでもー」


 満足げに笑う深月に真信も思わず微笑んでしまう。どうやら彼女は静音が自分の住む地域を「うち」と称したのが嬉しいらしい。今までは他人行儀に「こちら」と言っていたから無理もない。警戒心の強い動物がようやく住処すみかを認めたといったところか。


 どこにいても変わらない深月のペースに、真信まで落ち着いてくる。真信は彼女の横に片膝をついてそのおでこに自分の手を当てた。


「体調はどう? まださっきの気配は感じる?」


 熱はない。さきほどよりも顔色は良い。だが表情が普段よりも固いのが真信には分かった。


 深月は頷く。


「うん。なんか慣れて楽になってきたかなー。気配はずっとしてる。でも、出所が分からないんだ」


「弱まったってこと?」


「ううん。むしろ、この地区全体に充満してる感じ。どこにいても気配を感じるから、発生源が掴めない。分かるのは、その気配の主がよほど強い何かってこと」


「それは……狗神よりも?」


 思わずそう尋ねる。真信の知る限り狗神は現代に唯一現存する最強の呪物だ。もしもこの地区に存在するが狗神を超える呪詛を宿していたとしたら、ここにいる四人では太刀打ちできないかもしれない。


 深月は真信の憂慮を受け、黙考を始めた。視線を周囲に動かし考えをまとめているようだ。真信は顔を強張らせて少女を待つ。


 どこかに置かれた時計の秒針が時間の経過を一秒ずつ告げて来る。

 深月はひっくり返ったまま、真剣な眼差しで首を横に振った。


「……分からない。こんなの感じたの始めてだから。やっぱり詳しく調べてみないと駄目だねー」


「そっか」


 落胆したような、恐ろしい事実を突きつけられなくて安堵したような、複雑な心境で真信は頷いた。


 やはり現地での情報収集は必須なようだ。


 だがここまでの道のりで見た住人の様子やさっきの少年の反応を見るに、話しを聴くのは安易ではないだろう。どうやらここの地域性が排他的なのは本当なようだ。地元民に話を訊きやすいように大学生のサークルというていをとったが、これなら下手に偽らず高校生と名乗っても同じだったかもしれない。


 などと考えていても後の祭りだ。そもそも真信たちの設定は源蔵がでっち上げたものなので変更ができない。


 静音が空気を入れ替えるためか窓を開ける。風と共にセミの鳴き声が響いてきた。夏だなと感じるが、ここは周囲を自然に囲まれているせいか都会よりも幾分涼しい。吹き込む風もどこか冷たかった。


 そこで、そういえばと思い出す。


 真信は立ち上がり、窓から身を乗り出した。辺りを見渡すがそこには日光に焼けた瓦しかない。

 真信の行動に何を思ったのか静音も同じように窓から頭を出す。枠が小さいため二人並ぶとちょっと狭い。


「そういえば、ここに来るとき子供がいましたね」


「そうなんだ。なんかこっちを見て飛び上がって逃げてったけど。ここから出たのかな。やっぱりこの家の子?」


 事前資料にはこの家には三人の子どもがいるとある。

 一人はさっき見たもじゃ毛の少年。小里おざとひいらぎだ。父親を早くに亡くし、母親も再婚してから三年ほどで亡くなっている。今この家にいる父親は再婚して入ってきた男だ。夫婦の間には双子の姉弟きょうだいが生まれている。


 兄と双子では半分しか血が繋がっていない。この家庭がどういう状況にあるかまでは分からない。ただ兄のひいらぎが、双子が生まれてからほとんど学校に通っていないのが気になった。彼はもう十八歳のはずだが高校の入学試験を受けた経歴すらない。時々町のほうでアルバイトをしているようではあるが。


 遠くから見えた、金色をした二つの小さな人影。あれがこの家の双子なのだろうか。


 小里おざとちがやと、小里おざと菖蒲しょうぶ。二人は小学六年生のはずだ。


 毛色の違う、歳の離れた弟と妹。ひいらぎは二人をどう思っているのだろうか。


(…………人様の家庭のことを深掘りするのはやめよう)


 真信はそうかぶりを振って部屋の中に戻った。


 家族のことをずっと考えていると、真信はどうしても思い出したくない記憶に行き着いてしまう。

 それは顔も見たことない母親や、恐ろしい父親、冷血な兄たちのことではない。彼らの想い出も十分消したいが、それ以上に掘り起こしたくない自分の根幹が真信の心の奥には隠れ潜んでいた。


 普段は絶対に思い出さない。そんなふうに鍵をかけた記憶。

 “家族”、“妹”という単語に反応してその施錠がゆるむ。奈緒の一件があってからゆるみは無視できないものになっていた。


 なぜなら、あの騒動の時にいつの間にか過ぎていた日付は、昔交わした大切な一日だったはずだから。それをここ数年すっかり忘れていた自分が情けなく、我ながらどれだけ薄情なのかと痛めつけたくなる。


 自分と唯一、全く同じ血を引いた幼い少女の影が視界をちらつく。

 久しぶりに思い出した姿は真信にとって猛毒に等しい。


 その影を消そうと自分の荷物に手を伸ばす。荷物の整理でもしよう。何かしていれば気もまぎれる。そう思ったのだ。


 そうして無意識に思考の逃げに転じていたからこそ、その荷物の横にいた深月がふと思い出したというように問いかけてきた内容は、真信にとって衝撃で。


「ねえ真信、真信にとって家族ってどんなもの?」


 その質問は唐突だっから、無防備な真信の脳みそを揺さぶるに十分だった。


 まぶたに浮かぶ少女の名前は、平賀ひらが永吏子えりこ

 平賀によって処刑された、真信の妹だった。


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