向かうはド田舎
九州から新幹線に乗って約一時間半。
市から町までバスを乗り継ぎ二時間。
さらに町中心地から各停バスに乗り、目的の地区まで四十分程度。
県庁所在地からは六十キロ近くも離れた山奥、むしろ県境と呼ぶべき秘奥にその集落はある。
とはいえ、名目上は町だ。その町の中央区から集落へ向かうには、車を使うか日に四本しかないバスを待つかしかない。徒歩で行くには峠を越えなくてはならず、大人の足で近道しても三時間以上はかかるとのことだ。
というのを小さなバスセンターで聞いた時には、ちょうど次のバスまで十数分というタイミングだった。
「えぇ、あなた達あそこに行くんけ? 親戚か誰かがおるとか? 違う? じゃあなんだってあん恐ろしいところに」
バス停のベンチで休憩していると、そんなふうに話しかけて来るおばさんがいた。これからスーパーに向かうといった風情の主婦だ。彼女はこの近くの商店街で雑貨屋をしているらしく、そこを訪れる町民はみな覚えているらしい。
こんな田舎に見慣れない若い集団がいるとそれだけで目立つそうだ。人懐こい彼女は真信たち四人に興味津々である。
「恐ろしい場所とは?」
静音が代表してそう尋ねる。すると主婦はもったいぶってから語った。
「あそこの里―—昔は里って呼ばれてたんよ―—はほどんど外に出てこんくてねえ、最初の国勢調査でようやっとお国に認知されたくらいで。それが何でかって
「……えっと、何代前?」
「んー五代くらい?」
脇でこそこそと確認する真信と深月のことは見えていないらしく、主婦は調子を崩さず続ける。
「当時、食べ物が無くなりよったってんであの里に救援求めに行った小僧が、見たらしいんじゃ。薄闇を歩く、人間とは思われんほど大柄な人影―———あの里には化け物が住んどるってなぁ」
「化け物……? それはいったい」
「さあ? 昔から言われよる噂話じゃけん。んでも、今でもあそこん地区の年寄りは、よほどのことがなかと、外には出てこんね。ほんと薄気味悪い場所じゃて」
言って、主婦は一方的に満足したらしい。はーいやだいやだと呟きながら買い物に向かって行った。
それを見送って、ようやくバスが来た。乗り込みながら深月が呟く。
「なーんか。一筋縄では行きそうにないねー」
バスには真信たち以外に乗客がいなかった。すっかり空いた座席の空白がどこか心細い。四人は一番後ろに並んで座った。
バス停を一つ過ぎていくたび、民家や建築物が少しずつその数を減らしていく。田んぼや畑が広がっていると思ったら、それもすぐ隠れて雑木林が続くようになった。道路沿いからはもう立ち並ぶ木々しか見えない。いつの間にか山道に入っていたらしく、バスがぐねぐねと繰り返すカーブに揺れる。三半規管の弱い者ならすでに嘔吐を堪えているほどだ。
(これは……平賀で鍛えられてた僕らでもちょっときついな……もしこれが一時間以上続いてたら具合が悪くなりそうだ)
この奥にある地区から人が出てこないのはこの道のせいでは? とまで思えてしまう。真信の右隣にいる静音も同じことを思ったらしい。
「航空写真で確認してはいましたがこれほどとは……。こうなると
バッグから取り出した紙束をめくっている。それは事前に調べさせた
その中に、道に関する報告が一つあったはずだ。
「ああ、トンネル開通して隣県まで直通の国道を敷こうって計画を、あの地区の人達が拒否して
「ええ。もう予算も下りていた昭和期の計画です。政権の交代期でうやむやになり立ち消えましたが、実現していれば交通便は良くなっていたはずです…………うぷっ」
「ああ、こんな揺れの中で書類見るから……」
「へっ平気です。その……お隣で車体よりも揺れている深月さんに比べれば……」
「確かにね! 深月、大丈夫?」
真信は反対側の深月へ視線を移した。さっきから支えてはいるのだが、バスの揺れに抵抗できないのか思い切りふらついている。しかも何やら様子がおかしい。表情は思いつめたように暗く、口数もどんどん少なくなっていた。
もしかしなくても……。
「車酔い? マッドから貰った酔い止めは飲ませたんだけど、もう効果が切れたかな……」
「ち……違うよー……」
「喋って大丈夫? 中身出ない?」
「意地でも出さない。……酔ってはないんだけどー、なんか、
「
「これから行くとこ何かいるみたい。わんこがこんなになるなんて、ちょっと……ヤバいかも」
バスの走るその先を見据えて、深月は身体を抱きしめた。
狗神が震えているのが使役者である深月には分かる。狗神がこんな状態になるのは始めてだった。
意志のない狗神が怯えるなど、よほどの脅威が向かう先に待ち受けているのかもしれない。
心配してくれる真信に平気と笑い、深月は狗神を落ち着かせることに集中する。冷えた身体に両隣の熱が温かい。能面みたいに無表情な
俯き、自分のカバンを見る。奈緒が選んでくれたレディースもののポシェットだ。その中には出発する前にマッドから渡された薬が入っている。
『──いいデす深月ち? コれは、深月ちのお心整えわんちャんの侵食月食カけうどんをカットするモのれす』
そう言って渡された二粒の錠剤だ。何かの粉が小さめのカプセルにぎっしり詰まっている。
それは一種の向精神薬だった。
使役者の精神を喰らう狗神の侵食程度は、使役者の精神状態に影響される。心が弱っていれば、それだけ早く多く精神が蝕まれていくのだ。
マッドが作り出したのは一時的に精神状態を向上させ、狗神からの干渉を最低限にする薬だった。最初の試作品を使った時も深月の状態はいつもより軽くになっていた。それだけで凄いと思っていたのだが、今回渡されたのはその改良版だという。
深月はありがたく受け取ったが、渡した当の本人は不安げだ。
『コれモまだまダ試作品ゆえ頼リ過ギは禁物鍋ます。あくまデ補助剤。ホントに駄目っテなッた時ニ飲むデすよ。コれしカできテなくって、データも取れテまセぬのデ……』
マッドとしては、十全でない薬を自分の患者に渡すのは不満らしい。
『マッちゃん、これいつもの副作よ──別の効果はあるの?』
『むにぃ、時間なクっテくテくテ
『ううん、むしろありがとー』
それはそれでありがたいと思いながら薬をプラスチックのケースに仕舞う。マッドが薬につける余分な作用は、使用者から何かを奪うものではない。むしろ何かを増やしたり、増幅させるものだ。だが今回はそっちに気を取られて使いどころを見誤るのは避けたかった。
去り際、マッドに腕を掴まれて振り返る。
『これガあるカらっテ、無理しちャ駄目デすカらネ!』
いつもより真剣な表情でそう最後に釘を刺された。
(信用がないなー。自分の行いのせいだけど。大切に使わないと。……今はまだ、大丈夫)
ふわりとポシェットを撫でて、深月は顔を上げる。
きっとこの薬を使わねばならない時がくる。それも、割とすぐに。
そんな予感が彼女の中を渦巻いていた。
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