排斥の聚落編

唐突な出張辞令


「アカデミスタという組織が、とある田舎町を使って何やら呪術的実験を進めているらしい」


 そうため息まじりに切り出したのは、樺冴かご深月みつきの後見人、菅野すがの源蔵げんぞうだった。

 いつも通りの胡散臭い白スーツ姿で胸ポケットからは黄色いハンカチーフがのぞいている。今日はすぐこの場を後にする気なのか、シルクハットを脱ぐ気配がない。


 源蔵は湯呑を座卓に置いて、対面に座る真信まさのぶ深月みつきに説明を続けた。


「情報源は真信まさのぶ君から借りている人員だ。しかしそれ以降交信がないまま今に至る。真信君には申し訳ないが、最悪の事態を想定してもらえると助かる」


「それが潜入任務ですから」


 真信はできるだけ感情を込めずに答えた。

 源蔵はそんな少年を何か言いたげに見つめていたが、かぶりを振って二人の間に視線を戻す。男の顔に、いつもの菩薩ぼさつめいた笑みはない。


「アカデミスタは海外の戦場を中心に兵器を開発・販売している組織だ。非合法な研究もそれなりにしていると聞く。規模は五百人前後、本部は日本にあるという。以前から呪術社会と薄い繋がりがあったが、それが最近パイプが太くなっていてね。念を入れて調べてもらっていたらこの有り様さ。みかどにもご報告し、有事の際には手を打ってよいと認可を頂いている」


「で、私たちにどーしろって?」


 長口上に飽き飽きしたというように深月が口を挟んだ。

 それにも源蔵は冷静な視線を向けた。男は落ち着きを払っている。いや、普段よりも落ち着きすぎている。それが真信に緊張を与えていた。


 いまさら前提を確認せねばならないほどに二人が子供ではないと考え直したのだろう。源蔵はこう前置きして深月みつきを見つめた。


「ここ数週間で帝直属の呪術者が幾人か消されている。下手人は不明で、どうやって隠れ潜んでいた彼らを見つけたのかも分かっていない。

 陛下はお嘆きだ。科学側の動きに敏感になっておられる。ゆえに、私の報告にご決断なされた」


 その視線にはいつもの余裕がない。込められた真剣さにこちらの身が震えるほどに。そうして、源蔵は告げる。


直々じきじき奉勅ほうちょく命令だ深月。くだんの町に行き、アカデミスタの動きを調査、奴らが日本国にあだなすと断定した場合は、お前の判断で事態の解決をはかりなさい」


 重々しく授けられた指令は、国の象徴からの言葉そのものだ。ひっそりと息を呑む真信の横で、深月は態度を変えることなく伸びをする。


「はーあ。帝の命令ならそむけないけど……。いいの? に私がここを離れて」


「構わん。あの報道なら、宮内庁に誤報だと確認済みだ」


「本当に?」


「陛下が退位なされるなどありえない」


「そう。ならいーけど」


(……なんだか二人とも剣呑な雰囲気だな)


 飛び交うやりとりの真意を真信は計りかねていた。


 以前から思っていたことだが、この二人の間には部外者には立ち入れない空気がある。

 対峙する度に流れる張り詰めた緊張感と、同じくらいの親しみ。古い付き合いだからこそなのだろうが、そのちぐはぐさが真信にとっては居心地が悪い。


 源蔵が湯のみをあおり、話を今後のことへと進める。


「君たちを送り込む地区はほぼ孤立した集落のような現状にあるらしい。滞在についてはこちらで便宜をはかる。だがあまり長期になっては怪しまれるのでね。許される期限は一週間ほどだ。いけるね?」


 真信は頷き、条件を確認していく。


「人数はどの程度許されますか」


「まだ相手の目的も分からない状態だ。目立つわけにはいかない。深月と真信君と、あと二名ほどが妥当か。大学生のサークルかゼミ生、という設定になる予定だ。裏方工作もこちらで引き受けよう」


「分かりました。期間は」


「八月一日からの一週間。最終日にその地区の祭があるらしい。それに乗じて事が起こる可能性が高い。できるだけ情報を集めてくれ。規模が規模だからね、問題は樺冴うちだけに収まらない。必要があれば帝直属の部隊への要請も視野に入れておく」


「頼みます」


 短く返答を重ねていく。真信は自分の頭の中に今件の構図を一つ一つ書き連ねていった。


 高速で思考を回転させる彼の横では、深月が三毛猫を膝に乗せて遊んでいる。どうやら猛犬もうけんは基本、真信飼い主の采配には口出ししない方針らしかった。






 樺冴かごの屋敷に滞在する仲間を集め事情を話すのは真信の役割だった。連れて行ける人材は二名。選んだのは真信の付き人であった静音しずねと、諜報ちょうほう任務が専門だった女性、千沙ちさだ。


 今回は見知らぬ土地への潜入任務だ。昔のように平賀という強力なバックアップがあるわけでもない。だからこそ、順応性と専門性。その二つを焦点にした人選だった。


「静音、千沙ちさを頼む。出発までに調整してあげて」


「了解しました真信様」


 短めの黒髪を後ろでむりやりに結んだ若い女性が丁寧に頭を下げる。仕事モードに入ったのか、顔を上げた時には瞳の鋭さが増していた。


 それに真信は、ふと付け加えた。


「あ、現地だと様呼び禁止だから」


「えっ!?」


「最低、『真信さん』でよろしく」


「まっ、かっ、かしこまりました」


 静音の表情が崩れる。真信は微笑んで彼女を送り出した。

 少年は最近、彼女を揶揄からかうのが楽しくなっていた。昔は知らなかった新しい表情が見れるのが新鮮なのだ。とはいえ禁止事項は本当なので、彼女が口籠らないよう後で特訓せねばならない。


 静音が能面みたいな表情をしたおかっぱ女性の背を押して部屋を出て行く。

 二人とも身長が高いほうなので、並ぶと迫力がある。千沙ちさのほうは真信より高い。


 もう少し身長が欲しかった身としてはうらやましかった。


 元門下たちは真信の出発に際して必要な準備を整えに向かう。

 自然、和室に残ったのは真信と、門下ではない木蓮もくれん奈緒なおだけだった。


 真信はスマホを弄っている奈緒へ視線を向ける。


 毛先のウェーブがかった、セミロングくらいの赤毛をした少女だ。勝ち気な瞳はつまらなさそうに下を向いている。学校が夏休みに入ったため着ているのは私服だった。丈の短い服だが腹部にあるはずの銃創は完全に隠れている。


 傷が全快してまだ数日しか経っていないが、奈緒はすでに自宅へ帰っていた。もう少し療養していけばと深月も言ったのだが、丁重に断られたという。今日は話を聞いてもらうためにわざわざ呼んだのだ。


 人の気配が周囲から完全に消えるのを見計らっていたのだろう。奈緒が急にスマホから顔を上げ真信に詰め寄って来る。


「ちょっと先輩、あたしを連れてかないってどういうことですか」


 冷静なように見えて憤りを含んだ語調だった。


 当たり前だ。奈緒は真信の人生の裁定者としてここにいる。なのに別行動をとると言えば、“逃げ”と捉えられても無理はない。


 だからこれは想定していた問いだった。真信は落ち着いて答える。


「今回は潜入捜査に慣れている人間がいい。奈緒はこっちの動きを見張ってくれないか」


「見張る? 何をですか」


 向けられるのはこっちの本音を見抜こうとする視線だ。真信は彼女のうたぐりに笑って、他意はないと両手を上げる。


「実を言えばね、僕はまだ、身内を無条件に信じられるほど改心できたつもりはないんだよ」


 言って思い出す。そもそも真信が平賀を出たのは、無駄に人を欺いたり、欺かれたりするのが当たり前なあの環境にんでいたからだ。

 だがあの場で培われた警戒心は、まだ真信の内に巣くっている。


「それ、皆さんを疑ってるってことですか。みんな真信先輩を慕ってここまでついて来てくれたのに?」


 事情を聴いている奈緒が、真信を責めるように眉をひそめる。真信はかぶりを振った。


「いいや、そこが問題なんじゃない。けれど……そうだな。ありえないけど、例えば僕がいない時に、ここに平賀の当主が来て彼らに命令を下したとして、それに逆らえる人間がどれだけいるかっていうことだ」


 語ったもしもの話に奈緒がハッと表情を変える。さすがに話が早いなと思いながら真信は続けた。


「彼らの中にはまだ平賀に対する畏怖がある。それは向こうにとって都合のいいことだ。

 ……正直に言おう。今の僕が絶対の信頼を置けるのは、深月とキミだけだ。だから今回みたいに陣営を分けなきゃならないなら、どちらかには残っていて欲しい」


 今回は深月を置いて行くわけにはいかない。だからこそ、奈緒には屋敷側に残って情勢を見極めていてほしかった。


 奈緒は他人の表情の機微に敏感だ。少ない説明でも真信の真剣さが伝わったのだろう、しぶしぶといった様子で首肯してくれた。


「むぅ……そういうことなら、仕方ないです。分かりました。引き受けてあげます」


「ありがとう」


「でも、せめて静音さんとマッドさんくらいは信用してあげてくださいよ」


 むすくれた顔でそう付け加えられ、真信は己の認識の甘さに驚いた。思わず笑ってしまう。


「ふっ、あはは、静音は一緒にいるのが自然すぎてカウントしてなかったや。マッドは、門下と呼ぶのはちょっとアレだし」


「アレってなんですか」


「いや、聞かないほうがいいよ」


「……? 意味わかりませんが、マッドさんが安易に踏み込んじゃいけない謎領域だってことは分かりました」


「うん、そういう理解で正しい」


 笑って、真信は本題に入った。

 自分がいない間を彼女に任せるのだ。それなりの事前説明が必要だった。


 メモには決して残さない口頭だけのそれを、奈緒は取りこぼさず頭に叩き込んだ。

 熱心な彼女の様子に真信は安心する。これなら自分は仕事に集中できる。奈緒になら任せられると。


 少し長く話すぎてしまった。真信は自分の準備をしに立ち上がる。


「じゃあそういうことで、よろしく頼むよ」


「は~い、了解です」


 軽い返事が頼もしい。

 真信は振り返りもせずに部屋を出て行った。


 残された奈緒が壁に背を預ける。一週間分の情報を一度で覚えるのはさすがに疲れた。忘れないよう脳裏で繰り返しシミュレートしながら、つい言葉をこぼす。


「はぁ、信頼して留守を預けるって何それ……。真信先輩ってあたしへの評価が高すぎませんかね~。やだなぁもうっ、頑張るしかないじゃないですか」


 面倒臭そうに顔をしかめてみても、口元がニヤけるのを完全にごまかすことはできそうにない。


 その笑みが、ふと消える。

 一人になった部屋で、真信の消えたほうへ視線を向けた。


「頑張って来てください、先輩。たとえ離れていても、あなたの命の行く末を見守るあたしの役割は変わりませんから」


 宣言は届かず、されど確約されている。

 自分が生き残った理由を、命の対価を、木蓮もくれん奈緒なおは忘れない。


「ま、それはそれとして〜。深月先輩も潜入ってことは、服装とか変えるべきですよねぇいや変えるべき! あはっ、これは着せ替えのチャンス〜」


 打って変わって上機嫌になり、軽やかな歩調で部屋を出ていく。


 その後、奈緒に捕まった少女がデパートを連れ回され、おぶられて帰ってくることになるのだった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る