難航


 真信は田んぼを横目に、コンクリートで雑に舗装された細い道路を進んでいた。


 いつも通りに周囲を分析するように視線を配りながらも、その足取りは普段よりも早い。

 そんな彼の後ろを付き従うように追いかけていた静音が、真信の背中へ控えめに声をかける。


「真信さん、よろしかったのですか……?」


「……なにが?」


「その……先ほどはご様子がおかしかったかと。調査におもむかねばならなかったのは確かですが、深月さんの質問をはぐらかしてまでとは思えず……」


「はぐらかしてなんかないよ。本当に分からなかったんだ」


 少年はそこで初めて静音を振り返った。その顔には自責の籠もった苦笑が浮かんでいる。


 真信は深月の質問に対し、「ごめん、よく分からないや」とだけ答えて出てきた。静音はそれを追いかけてきたのだ。彼女が真信の態度に戸惑い、どう声をかければいいか迷っているのが顔を見なくても分かっていた。


(上に立って指示を出す者としてはここで弱い所を見せるわけにはいかないけど……。奈緒にも他人ひとを頼れって言われてるし、それに相手は静音だしな)


 真信が静音に向ける感情は、世に言う信頼とは少し違う。彼女が傍にいるのが当然すぎて裏切りや信用以前の感覚だった。自分の手足がいつでも自分の思い通りになるとは限らないが、少なくとも独立して動き回ったりはしないだろうという、そういう類の認識だ。


 だからか、嘘を吐いてまで彼女に対して隠し事をしようとは思わない。

 真信は木陰で立ち止まり静音が隣に並ぶのを待った。


「ちょうど屋敷にGが出て、ゲームセンターに二人で行った日を覚えてる?」


 唐突なその質問に、静音は頷く。


「はい。確か七月の上旬でしたね」


「その日は僕の妹の誕生日だったんだ。生きていれば十六歳になる」


「真信様の妹君いもうとぎみは確か……」


「うん、十一年前に、平賀に処刑されたよ」


 真信はこともなげに言う。だがいつもの微笑みが静音には、どこか寂しそうに見えた。


 当時から門下だった者ならば彼の妹の話は知っている。平賀が預かっている幼い食客の目玉をえぐろうとしたところを見つかり、そのまま処刑されたのだと。どこでどう処分されたかまでは知られていない。手を下した上等身分の者達に緘口令かんこうれいが敷かれたためだ。


 末妹に会ったことのない静音も詳しいことまでは聞き及んでいなかった。


 ただ、彼女にまつわる噂は知っている。

 平賀の末妹、平賀永吏子えりこは、なぜか他人の眼球が好きだったらしい。手に取って遊びたくなるほど。つまり彼女は、生まれながらにしてどうしようもなく狂っていたのだ。


「僕は兄上たちとは腹違いだ。だからどこか疎外感があった。唯一母親も同じ妹があの頃の僕には大事だったんだ。だからこそ、死んだと聞かされた時は苦しくて、悲しくて。どうにか忘れてしまおうとした。最初は無理だった。けど時が経つにつれて記憶は薄れていく。そうしていつの頃からか本当に、妹のことなんか少しも考えなくなっていた」


「では、どうして今……」


「約束の日だったんだ。永吏子えりこが十六歳になったらって、そういう子供らしい大切な日。それを、その日が過ぎてから思い出した。薄情だよな。あんなに大切だったのに。それでちょっとナイーブになってたんだよ。ただそれだけの、もう終わった話だ。でもやっぱり深月のあの質問には僕じゃ答えられそうにない」


 眉を悲壮に寄せ、真信は薄く笑った。

 そうだ。もう終わった話だ。それにいつまでも心を捕らわれていられるほど真信は暇ではない。やるべきことがある。守るものがある。どれほど根の深い感情でも、切り捨てねばならない時があるのだ。


「変な話してごめんな、静音。でも、心配してくれたおかげで、ちょっと楽になったよ」


「いえ……私でよければいつでもお聞きします」


 こういう話を部下にしたのは初めてだ。少し照れながら罪悪感混じりに礼を言うと、静音も胸元をぎゅっと握って微笑んだ。その頬はほのかに上気していて、控えめな笑みなのに嬉しそうなのが伝わってくるようだった。


 真信としてはあまり静音に負担をかけたくないのだが、不思議とそういう様子ではない。真信は首を傾げて、まあいいかと歩き出した。


 静音は純粋に、真信に心の内を打ち明けてもらえたのが嬉しかったのだが、当の真信には伝わっていない。

 主従は微妙にすれ違いながらも任務へと頭を切り替える。


「じゃあ予定通り聞き込みでもしようか」


「はい。お供致します」


「今回の目的はこの地区に入り込んでいるはずのアカデミスタを見つけ出してその目的を探ること。そこからの方針は彼らの目的次第だな」


 任務内容の確認を数人で行うのは大事だ。認識の齟齬そごを洗い出せるし、幾度も確認することで進展があるたびに微調整ができる。


 静音も頷いて歩を進めた。


「はい。これだけ狭い地区です。それに町中心地の様子を見るに、よそ者はそれだけで目立つ。地元の方々に話さえ聞くことができれば第一目標の達成は安易かと」


「その話を訊くのが難しいんだけどね」


「そうですね……」


 坂を上るとちょうど畑に出た。腰の曲がった老夫が雑草をむしっている。ほっかぶりの老躯へ声をかけようと近づくが、目が合うと露骨に顔が強張った。流れる動作で背中を向けられてしまう。どう前向きに捉えてもとても友好的とは思えない。


 この集落の人間ときたら、小里家に向かっているときから漏れなくこうだった。かと思えば離れたところからこちらをじっと観察するように見つめてくる。その様子は気味が悪いくらいだった。


 しかしこの程度の威嚇で気後れするほど静音はヤワなではない。


「精が出ますね。植えてあるのは茄子なすですか?」


 静音が畑のあぜ道を伝って老人に近づく。にこやかに声をかけるが、やはり無視された。老人は彼女に答えず、脇の肥料袋を肩に担いで去って行ってしまう。


「逃げられましたね。引き留めるのはやはり不自然でしょうか」


「ああ、今の僕らは大学関係者だからね。名前を借りてる大学に迷惑かけるわけにはいかないし……」


 普段なら一人くらい茂みに連れ込んで口を割らせるのだが、これだけ狭い地区では小さな噂もすぐに広まってしまう。滞在予定は一週間ある。できるだけ余計な警戒を与えたくはなかった。


「この地区の人口は七十ニ人。世帯数は三十八……全員が顔見知りでもおかしくない数だし。慎重を期するに越したことはないかな」


 姿を消した老人を諦め真信たちは道を進んだ。昼を過ぎた時刻であるためか畑仕事に出ている者が多い。とはいえ広大な耕作面積に対して人影はまばらだ。その一つ一つに声をかけるが、ことごとく失敗する。


「う~ん。なかなか上手くいかないな」


「まさか交渉の席にすらつけないとは……どうしましょうか」


「いっそ二手に別れるか。こっちの人数が多いと警戒されやすいみたいだし」


「致し方ありませんね。了解しました。戻りはどうしましょう」


「僕は夕飯の準備があるから早めに帰る。静音も十九時までには帰って来て。一人で遠くに行き過ぎたら駄目だよ。変なほこらとか怪しい生物とかに出会ったら深月の指示を仰ぐこと。何かあったらすぐ連絡してね」


「真信さん……私は幼子おさなごではありませんので……。ではもお気をつけて」


 静音の視線が一瞬だけ資材小屋のほうを向く。二人はさっきから何者かにつけられているのを感じていた。


 気配はプロのものではない。どちらかが振り返ろうとすると慌てて隠れる音がするので、慣れていない者の犯行だろうと目星をつける。これだけ下手だとさすがの真信も気づけた。


 分かれ道で静音と別の道に入った真信は、その気配が自分のほうについて来たのを確かめ、脇道に入る。民家から離れ山のほうへ向かっている。どこに通じるかは見当もつかないが、今も時々軽トラックが通るようで、踏みしめられた地面が植物の成長を拒みわだちを作っていた。


 躊躇うことなくずんずん奥に進む。草の音を掻き分ける音がついて来る。周囲はすっかり林に呑まれてしまった。五分ほど歩くと若干ひらけた場所に出る。ちょうど車がギリギリすれ違える程度の広さだ。


 その道端に石の塔があった。高さは真信の胸元まである。一番上の石が三角屋根になっていて、見た目はずんぐりとしたかね突き堂のようだ。


 一部がこけむし、角も丸くなっている。ずいぶん古いもののようだ。柱の部分に文字が刻まれているのに気づいて真信は屈み込んだ。


 雨風にさらされ彫りが甘くなっていて不鮮明な部分もあるが、何とか字形は判別できる。


『維□永禄十龍集丁卯夏六月如意珠 施主小□□彦等』


「…………ぜんぜん意味が分からない」


 なぞった指のしめりを拭いつつ呟く。これは日本語か? 漢文なのか? その区別もよく分からなかった。中腰になって塔の周りをぐるぐる回る。他に何かが刻まれている様子はない。


 深月から聞いたことを思い出す。


『呪術は地域の信仰にすごく影響されるの。だから、呪術者が何かしようとしてるなら、地元の信仰を利用するかもしれないねー』


 ではこれはどうだろう。何か意味があるものなのか。それが今件に関わりがあるものなのか。深く考え込んでいると襟首を何者かに引っ張られた。湿った落ち葉で足を滑らせ後方に倒れる。その先は急な坂になっていたらしい。崩れた足元を支えるものは何もなく、背中から落ちていく。


 その途中、真信を引っ張った張本人が見えた。肩甲骨まである金髪を編み込んで三つ編みにした、そっくりな顔の子供が二人。倒れゆく真信を両側から目で追っている。


 おかしいと思ったのだ。襟を引っ張る力がなぜか、二方向からのものだったから。


 心の表面でそう納得しつつ、真信は金の人影の間を転がり落ちて行った。


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