真っ黒な弾丸
深月は銃弾の雨に曝されながらその音が止むのを待った。
深月は銃に詳しくない。だが自分に拳銃を向けてくる人間はこれが初めてというわけでもない。マシンガンの弾がどうなっているかはわからないが、拳銃ならば二桁もせずに弾切れが起きるはずだった。
そうやって音の切れ目を待ちながら、深月は人を殺すごとに削られていく自分の心を冷静に見下ろしていた。
残る敵は十数名。
「大丈夫……まだ、やれる」
意識がぼんやりと曇りだすのを認識しながら言葉だけを呟く。
そうして今度は、心の中で言葉を繰り返した。そうだ大丈夫だ。やれる。いや、やらねばならない。……そう自分を奮い立たせる。
劇的にやる気が湧くわけでもない。それでも、いくらかましになる。
それに真信が待っているのだ。彼を解放するまでは意識を保っていなければならない。
(最後の最後にまで、余計な心配かけたくない)
カチンと撃鉄が空鳴りする音がして、深月は歯を食いしばって影の隙間から敵を睨み付けた。狗神が防御姿勢を解いて一番手近にいた男に食らいつく。
悲鳴が上がり残党がそっちに視線を取られた隙にふらつく体をなんとか動かして他の敵に近づく。
狗神はあまり深月から離れることができない。調子のいい時でも十メートルが限度だ。だから敵を
「────これで最後」
フロアの端まで逃げた女性へ狗神を走らせる。女性の顔が恐怖と絶望に歪み、まるで最初から居なかったかのように一瞬でその姿を消失させた。
最初フロアに三、四十ほどいた人間は、細かな血痕だけを残して全て消え失せていた。
(うん、大丈夫だ。まだちょっとは余裕ある)
自分の身体が思い通りに動くことを確認して、深月は安堵した。なぜならこれで終わったわけではないからだ。まだこの騒動の首謀者が残っている。
ここにそれらしき人間はいなかった。二階にもう誰もいない。一階に指揮官クラスの人間がいるはずないと踏んでいたのだが、それ以外いまのところ考えられない。
(あれ、そういえばあの男の人いなかったような)
殺した全員の顔を確認したわけではなかったが、長身の痩せ型の男はいなかったはずだ。
気づかないうちに巻き添えにしてしまったのだろう。仕方ない。消した人間は戻ってこない。
真信のところに戻ろうと
「────!」
深月の視界に飛び込んできたのは、辛そうに息を荒げ倒れ伏す少年と、そんな彼にマシンガンの銃口を向ける痩身の男の姿だった。
「彼に何をしたの」
顔を赤くし額に汗を浮かべている真信を視界の隅に映しながら、深月は男に質問した。男は腰につけた竹筒を示しながら、にやにやと気持ち悪い笑顔で答える。
「なぁに、ちょっとばがり体調を操作しただけさ。コイツの体温はいま四十一度。その意味がわかるか?」
「異常な高熱……。
竹筒と体調の異常。それだけ条件を与えられれば、そっちの知識のある者にはすぐにわかる。
「さすがカミツキ姫、こんな低級動物霊のことなんざ百も承知か。
そう! コイツに取り憑いてんのは俺の飼ってる管狐だ。しかもお上の方々に弄って貰った特別即効性! 管狐には取り憑いた人間を病にする力がある。そら、わかるよなぁ? 取り憑かれたままの状態が続けばコイツはヤバいって」
「──っ」
「おおっと動くなよぉ? その狗神が俺に食いつくより、引き金引くほうが速いんだからなぁ?」
男が構えたマシンガンを
「その狗神を仕舞え。そして誓え、俺の前でその狗神を使わねぇと。もちろん、ただの誓いじゃ駄目だ。破れば命を失う呪術者の誓いだ!」
勝ち誇ったように叫びながら男は深月の動きを逐一観察している。真信を捕虜にすることで、どれだけ深月を言いなりにできるか試しているのだ。
従わなければ男は
「……誓います。私は貴方の前で、この狗神を使いません」
深月は指を組み、宙に向けて祈りを捧げるようにして誓いを立てる。呪術者の素質のある者には深月の身体から出た細い糸のような光が不思議な模様に組上がっていくのが見えただろう。
簡易的な
言葉を告げ終わると狗神の姿がかき消えた。男はそれを確認し、目を見開いて汚ならしく唾を飛ばす。
「はっはあ! あのカミツキ姫サマがまじでやりやがった! 狗神がいなけりゃただの小娘のくせに! そんなにこのガキが大事なのか? ははっ、んじゃなにしてもらおうかなぁ? ほとんど新入りの末端だったとはいえ、あれだけ仲間を殺されたんだ。そうだまずはその服を脱いで真っ裸で土下座でもしてもらおうか」
調子に乗った男の視線が深月の身体を上から下まで余すところなく、舐めるように伝っていく。はだけた肩口から覗く白い肌に目を止め、男はさらに目元を歪ませて舌舐めずりをした。
「そしたらよぉ、ちょっとは楽しませてもらってもいいよなぁ? 地下通路で待機してるクソ中堅幹部共への報告はその後でもいい。────ほら、さっさと脱げよ」
男の言葉に反応して苦しそうに浅い呼吸を繰り返す真信が口を開閉する。何か言おうとして声が出ないのだ。急激な体内環境の変化に意識が伴わず
声が聞こえなくても深月は彼の口の動きで察してしまった。あの少年はこの期に及んで深月の心配をしているのだと。
深月は真信に苦笑を返し、男を見据えてはっきり拒絶を示した。
「下品な男。あまりそうやって呪術者の品格を落とさないで欲しいんだけど。まー、そんな鉄の塊に頼ってる時点でたかが知れてるかー」
「あ? 今なんつったお前。俺がこんなもんに命かけてるとでも言いたいのか?」
安い挑発に乗った男が前のめりになって深月を睨み付ける。照準が真信から少しずれたのを横目で見ながら、深月はさらに続けた。
「やっぱり私みたいな歴とした呪術者には、そんな
言葉で誘導され、男の意識が今度は持っているマシンガンに移る。手首を曲げてマシンガンを見るからその銃口は完全にあらぬ方向を射していた。
「だから、こっちがいい」
深月は指を二本伸ばして拳銃の形を真似た。人差し指を銃口に見立て男へ向ける。指先は真っ直ぐ男の心臓を指していた。
男の背中を何かが駆け抜け、その中へと潜り込む。
「なっ、がっ待っ───」
男は弾かれたように胸元を押さえるが、もう遅い。
「ばーんっ」
伸ばされた少女の腕がはね上がるのと同時。男の胸を突き破った、血液にも似た真っ黒い何かが飛び散る。
まるで拳銃に撃たれたように男の体から力が抜け、その場にくずおれた。
男の心臓を食い破って出てきた真っ黒い何かは地面に着地するとそのまま深月へと走り寄ってくる。
十センチくらいの大きさをした鼠に似た姿の煤のようなもの。それはつい先刻、車を追うために遣わされた
「備えあれば憂いなし、だねー。私、この狗神を使いませんとは誓ったけど、この子達を使わないとは言ってないから……って死んでるか」
白目を向き倒れた男にはもう息がない。死んだのだから誓いは無効だ。深月は狗神を出現させ、狗神鼠を取り込んだ。
「それより、真信を」
突っ伏す真信に不安定な歩調で駆け寄り、覆い被さるようにして彼にとり
熱に浮かされた真信は潤んだ目で深月を見返している。
「みつ……き」
「大丈夫。静かに待ってて。それすぐ落とすから」
本来人間に取り憑いた動物霊を祓うには専門の呪術者を呼んで正式な手順で憑き物落としをしてもらう必要がある。
だが主人を
だから。
「動かないでね真信」
深月は真信の衣服に手を伸ばした。ボタンを外して上半身を露出させる。荒々しく上下する胸元を汗が伝っていった。
「わんこ、お願い」
少年の肌を凝視したまま、深月は左手を軽く掲げた。漂う狗神の裾が溶け、
深月は自身の手が煙のような黒い影に覆われたことを感触だけで確かめ、それを真信の胸に当てた。
冷たい手のひらが筋肉質な胸筋を這う。それが心臓の辺りで停止し、手にまとわりつく影が真信の中へと侵入していった。
内臓をそのまま触られているような感触に真信は鳥肌を立てる。それでも動かないでと言われていたことをなんとか思い出し、身じろぎを堪えた。
極度の集中に息も忘れた深月が、何かを見つけたように眉をひそめる。そして手に力を込めて握り締め、それを真信の身体から引き剥がした。
握った拳と同じ形の影が真信の内からゾロリと現れる。その影は小さく細長い狐に似た半透明の生き物を掴んでいた。
真信の中に取り憑いていた管狐だ。
影はそのまま管狐を取り囲み狗神の口元へと移動する。狗神が口を開けると影ごと放り込んで、それを一口で滅してしまった。
「成功……した?」
少女の不安げな呟きと同時に、真信が身を起こした。自分の身体を触って信じられないというような顔をする。
「すごい……、嘘みたいに身体が軽くなった」
「痛いところはない? 私失敗しなかった?」
「うん。もうどこも変なところはないよ。ありがとう、これ深月のおかげだよね」
「………………よかったー」
一気に力が抜けたというように、深月は大きく息をはいた。
「ごめん、深月。油断してた」
「真信が謝ることじゃないよ。謝るのは私」
「いいや。現場で起きる不測の事態は、対応できなかった人間の責任だ。知識のなかった僕が悪い」
「いや私が──」
「僕が──」
互いに自分のせいだと責任を取り合う。深月はさらに何か言おうとしたが、真信の頑固さに口を閉じた。
「君はもー少し、他人を責めてしまえればいいのにね……」
「何か言った?」
声が小さすぎて聞き取れず真信が尋ねると、深月は左右に首を振り少し青い顔色で階段を指差した。
「あー……。そう、幹部が地下にいるって言ってた。はやく見つけないと」
ここまでやって逃がしてしまっては目も当てられない。深月は力の入らない手足を無理矢理動かして、階段を目指した。手すりに滑らせるようにして下層へ降りていく。
ボタンを留めていた真信は慌ててその後を追いかけた。
少女の表情から生気が抜け落ちていたのを心配しながらも、彼女があまりに懸命な様子で先を急ぐから、真信にはその原因を聞くことがどうしてもできなかった。
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